なんてこった
アイリスとメイフェアの間で話が進む中、ユバは表情を曇らせていた。おそらくはメイフェアの言う通りで、宇宙軍、ないしは航路警備隊の設立は焦眉の事案なのだろう。交易航路はすなわちチャンドリアンのライフラインであり、その安全が他者の意のままとされればチャンドラーに残る同朋は言いなりになるしかなくなる。だが、しかし。
「閣下、艦長、艦の仕様以外にも解決すべき問題があります」
「なんですか?ユバさん」
「その顔だと結構深刻?」
切り出したユバにアイリスとメイフェアが議論を中断して振り返った。
「実務経験のあるクルーがいません。クラークでは航宙技術がロストしていたので…」
「…失念していましたわ」
「研修は始めてたよね?確か」
「成人サイバーへの研修は現在座学が終盤に差し掛かったところです。ユバ中佐と同様に知識を刷り込んだ児童サイバーを用意することは公団の教材を用いれば可能と思われます。姫様」
アイリスに振られたクオがざっくりと現状を報告した。自前の輸送船を運用するためのクルーの育成はセサミシードとキューブリックステーションに委託して始まってはいたが、関連法規や港湾規則、船の構造等の学習は目途が立ちつつあるものの実際の操作運用に関しては進捗の芳しい者がようやくシミュレータに乗り始めた、という所だ。船上で実務経験のあるチャンドリアンはプレイヤー以外は皆無である。ちなみに、セサミオープナー内では学校事業であり、港湾局ともかかわりが深いのでプルナの管轄という事になっている。押し付けられたわけではない。ないったらない。
「先輩、これってパワーレベリングが必要なとこでは?」
「やっぱ、そう思う?飛鳥ちゃん」
「船の運用はじっくり習熟させたかったのですが、そうも言っていられませんね」
飛鳥の確認にアイリスが頷き、メイフェアも不本意ながら、という表情ではあるが同意を示した。
「メイちゃん。【ハリケーン】は武装ミサイル。ブリッジはバーチャルコンソールでアルケニーCのシートとザラマンダ用コネクターバーの選択使用。後のフィニッシャー級についてはまた検討しよう」
「はい。すぐにドックへ指示を回します」
アイリスの決断は速く、それになれているメイフェアの反応もまた速い。
「クオ、プルナさんに研修生の抽出依頼書を回して。人数は30名。公団に実習教官の派遣要請を。こっちは5名。文面は任せる」
「はい。姫様」
元々指導教官は公団からの派遣と港湾局や運用中の交易船のクルーからの抜き出しを予定していた。急な予定の前倒しだが、もし手配が付かなければセサミシード側でどうにかするしかないだろう。
「じゃあ先輩、私はとりあえず制服兼用の軽宇宙服仕立てときます。メイフェアさん、ブリッジが艤装終わったら呼んでください。システムキャリブレーションに付き合います」
ザラマンダを所有するサイバーである飛鳥がいればザラマンダ用バーチャルコンソールとサイバーリンクのどちらの調整もできる。おおまかなベースセッティングは出しておかなければ役に立たないし、その作業はある程度は「あるべき状態」が理解できていなければならない。
「中佐はクラークへの報告や向こうでの手配をお願い。転移ゲートで送るよ」
「了解しました。閣下は?」
「やることがいくつかね。メイちゃんは相談したいことがまだあるから手配が済んだら執務室に」
メイフェアが飛鳥にキャリブレーションを任せ、アイリスの待つ執務室に現れたのは数時間後の事だった。
「お待たせしました?」
「いんや。待ってる間色々と進めてたからそんなに待った気はしないよ、メイちゃん」
デスクの機能で開いていた設計画面を閉じながらアイリスが答えた。
「それで、相談というのは?」
「実習のメニューなんだけどね」
メイフェアの問いかけに答えつつアイリスはデスク上にフロンティア星系の広域マップを投影した。
「チュートリアルにセサミシード周辺、航海実習にセサミシード・クラーク航路。ここまではいいんだけど」
「まあ、妥当ですね」
セサミシードのバンゲリング港から出港、近辺を周回して再びバンゲリング港に戻るコースと、ラグランジュ4のセサミシードからチャンドラー公転軌道を使う省エネ航路でクラーク港を目指し、チャンドラーを周回して一旦クラーク港へ降下、補給と休息の後クラーク港のマスドライバーで初期加速をして最短距離の短縮航路で帰投するコースの二つのラインがマップ上に描かれ、それを見たメイフェアが頷く。まず運用と出入港の基礎を実践させ、それに習熟したところで時間はかかるがプロペラントを食わない航法と消費は大きいが高速で連絡できる航法、タイプの違う二つを学ばせる。
「問題は、戦闘訓練をどうするか、なんだよね」
セサミシード・クラーク間はデブリや小天体が少なく、まだ海賊の進出報告もないので初期訓練には好都合な反面戦闘訓練には穏やかすぎるきらいがある。初期訓練の後はキューブリックステーションへの航路での訓練になるのが最初の想定だったが、途中のトーラス帯に海賊が巣くっていると見なされており、最悪いきなり実践になることもあり得るので事前に多少の戦闘訓練はしたいところなのだ。
「仮想敵にプリンセスメイフェアは…だめですね。強力すぎるし大きすぎます。それに、できればしばらくは私がハリケーンについておきたいですし」
「だよねぇ」
海賊の使用報告のある日輪級は高速巡洋艦のプリンセスメイフェアよりも二回りは小さい。アグレッサーはもっと近いサイズの方が望ましいだろう。また、ハリケーンに初期トラブルが出た場合に設計者のメイフェアが乗船していれば対処が容易であろうとも予想される。
「あ、私も同乗するつもりだからね」
「どうしてです?アイリスさん」
「艦内白兵戦訓練もいるかと」
「バズーさんやバダーさんにお任せしては?」
「二人ともしばらくは公団経由の依頼でクラーク防衛軍のブートキャンプ指導で手が離せないんだよ」




