下
それは、突然のことだった。
「ちょっと待て、琴。どう言うことか説明してくれ」
「再生ボタンを押してもあのカセットテープが再生されなかったのは、長い年月を経て擦り切れてしまったのです。しかし、私はそのカセットテープの内容を今でも覚えています。菊さんが亡くなる前に、伝えたいのです。最後のカセットテープに込められた伊兵衛さんのその言葉を」
菊さんと言うのは、宅配便に名前のあった送り主であり、このラジカセ修理の依頼主だ。と言うことは、伊兵衛さんと言うのは菊さんの友人なのだろう。
「分かった。一緒に行こう。案内してくれ」
「良いのですか?」
「修理したラジカセを届ける次いでさ」
御堂は、誰にでも分かり切った嘘を一つ吐き、菊さんの入院している病院へと向かった。
菊さんの病室は、個室であった。
それは同時に、死期が近いと言うことでもあり、赤の他人であるはずの御堂は、一瞬入っても良いものかと一瞬躊躇ったが、二度三度とノックをし入室した。
「失礼します」
「あなたは……?」
菊さんと思われる女性は、首を傾げていた。
「私は、神田骨董店の御堂と申します。ラジカセの修理が終わったので、伺わせて頂きました」
ラジカセを少し上に上げ、菊さんに見えるようにした。
「そうですか、あなたが。これは、お疲れ様でした」
「実は、ラジカセは直すことが出来たのですが、カセットテープの方は擦り切れていて、読み込むことが出来なかったんです。申し訳御座いません」
「いえ、謝らないで下さい。あんな古い物を修理して下さっただけでも十分です」
そして、本題へと進む。
「あの、伊兵衛さんと言う方を御存知ですか?」
「え……どうして、その名前を」
菊さんは、目を丸くしていた。
「実は、伊兵衛さんをよく知る方から最後の言葉を預かって来ました」
琴の方を見遣り、そして――琴の言う言葉を一句たりとも違わぬよう、それを全て菊さんへと伝える。かつて、伊兵衛さんの伝えられなかったその想いを。
両想いだった菊さんと伊兵衛さんは、面と面を向い合せて話すのが恥ずかしかったのか、カセットテープへ言葉を録音し、それを交換していた。
そんな、ある日のことだった。
戦争が二人の恋を阻んだのだ。
戦争が激化し、伊兵衛さんにも徴兵令が下ることになった。
もしかしたら、もう二度と会えないかもしれない――そう思った伊兵衛さんは、カセットテープへ菊さんに対する気持ちを残した。それが、最後に残されたこのカセットテープだった。
伊兵衛さんの思いを琴へと繋ぎ、その思いを御堂の口から菊さんへと繋ぐ。
それは、長い年月を要した。
とても、とても長い年月を。
しかし、今こうして涙を流す菊さんを見ていると、その思いを伝えることが出来たのは、奇跡と呼ぶに等しい運命だったのではないか――そう、思わずにはいられなかった。
そして、翌日の朝。
菊さんは、安らかなる眠りについたと、御堂の耳に入ることとなるのだった。
後日、御堂は菊さんの墓参りへと来ていた。
菊さんは、生涯を独身で過ごしたそうだ。
きっと伊兵衛さんが必ず返って来ると信じて待っていたのだろう。
琴も一緒に来られたら良かったのだが、あのラジカセからは既にはいなくなっていた。もしかしたら、未だに二人の恋路を見守っているのかもしれない。
御堂は、墓前でこんな話をしようと決めていた。
実は、二人にはずっと見守ってきた恋のキューピッドがいたのだと。