下
「私が前の家にやって来たのは、数十年も前の話だ。あれは、前の前の持ち主が新しいストーブを買ったとかで、譲られてやって来た」
長く生きる物には、よくある話だった。
「前の持ち主は、名を卯吉と言った。私が卯吉の元へとやって来た時には、既に妻は先立っていたようだった。卯吉はどういうわけか、私をいないはずの妻と見立てて、薪を焼べてはよく話をしていた」
卯吉とは、さっき来た男性の祖父に当たる方なのだろう。
「卯吉さんは、灯を見ることは出来た人なのか?」
「いいや、私の姿も声も卯吉には見ることも聞くことも出来なかったはずだ。しかし、私はそれでも構わなかった。私とは何の関係も無い話ではあったが、それでも私の知らない世界の話だったからな」
どこか懐かしげに語る灯の表情は、心なしか嬉々として見えた様な気がした。
「しかし、ある日を境に卯吉は私に薪を焼べることは無かった。待てども待てども、それが訪れることは無かった。そして、私は悟った。結局、卯吉も他の人間と同じように、私を捨てたんだと」
「それは違う」
御堂は、透かさず言った。
「何が違うと言うんだ! 私は、捨てられるどころか、売られてここへ来たのだろう? 御蔭で、ここを離れられなくていい迷惑だ!」
「灯、確かに君はここへは売られてきた。けれど、それは卯吉さんが不要になって手放したわけじゃない。卯吉さんは、灯に薪を焼べなくなったその日辺りから病を患って、入院していたんだ」
「卯吉が病を患っていただと?」
「やはり、知らなかったようだね。君をここへ売りに来たのは、卯吉さんの孫だ」
灯は、何が何だかわかってはいないようであった。
しかし、御堂は灯の為に自分の知る全てを教えてやった。
「卯吉さんは、少し前に病で亡くなったそうだ」
「卯吉は死んで……いたのか?」
灯は御堂の両肩を掴む。
「ああ、そうだ」
「私は捨てられたわけでは無いのだな?」
灯は、掴んだ両肩を激しく揺さぶる。
「ああ、そうだ」
「そうだったのか……」
そして、灯は安堵の息を漏らした。
物は使われなくなると、自分はもう要らないのではないか、捨てられてしまうのではないか――そう思ってしまう。いや、そう思わずにはいられないのだ。いつも薪を焼べてくれていた卯吉さんが薪を焼べてくれなくなり、灯は誰よりも不安だったのだ。
しかし、真実は灯の思っていたそれとは違っていた。
安堵した灯の頬を、一筋の涙が伝って行くのをただただ御堂は黙って見ていた。
「なあ、人の子よ」
「なんだ?」
「人間の一生とは、儚きものだな」
灯は涙を拭わず、そう言った。
「ああ、そうだな」
御堂は、それ以外の言葉を掛けることが出来なかった。
「私は、少々疲れた。休ませてもらうとするよ」
「こちらこそ、すまなかった」
「謝るな、私は感謝しているくらいだ。卯吉やお前のような人間もいるなら、もう少しだけ人間と言う生き物を信じてやっても良い――そう思ったさ」
そう言い灯は、薪ストーブの中へと消え去った。
「ありがとう、灯」
灯と分かれるのも束の間、どこからかすすり泣き声が聞こえて来る。
「ぐすん、ぐすん……先生」
「どうした、暁?」
「不覚にも、とても良い話でした」
「そうだな」
そう言い、御堂はそっと暁の頭を撫でてやった。
その晩のこと。
薪ストーブの掃除を兼ねて、修理しようと見てみると、ボロボロに見えていたのは素人の修理の痕だった。恐らく、卯吉さんが壊れては直し、壊れては直し、何度もそうするうちにボロボロになっていったのだろう。
この薪ストーブの背景を鑑みれば、このままでも良いのかもしれないが、お店で売る商品としては、ある程度までは直さなければならなかった。
とは言っても、御堂は必要以上の修理は施さなかった。と言うより、施せなかったのだ。自分が、灯と卯吉の関係を壊してしまうようで。
修理をしているうちに、脳裏に灯と卯吉との日々が映し出されてきた。
これは、灯が見ている夢だろか――御堂はそう思った。
楽しそうに語る卯吉にそれを聞く灯。
温かさにうとうとする卯吉にそれを微笑ましく見ている灯。
それらが修理をしている御堂にも流れ込んできていたのだ。長くこの仕事を生業としている御堂にとって、こういった現象は別段珍しいことではなかった。だから、今は灯を起こさぬようそっとしてやることにした。
そして、数日後。
御堂骨董店へ三十代であろう夫婦が訪れた。
どうやら、定年を迎えた両親が田舎で隠居暮らしをすることになったそうで、お疲れ様でしたと言う感謝の意を込めて、何か贈り物をしたいとのことだった。その話を聞いた御堂は真っ先にある商品を紹介した。
身も心も暖めてくれる――そんな商品がありますよ、と。