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第四章

第四章


 歩き馴れた家までの道を、雄一はのろのろと歩いていた。死刑宣告のような先生の言葉が頭から離れない。雄一はかなりショックを受けていたが、先生の言った事を完全に信じている訳では無かった。第一あまりにも唐突すぎる上に、赤の他人だと思っていた人物が実の妹だったなどという非日常は自分には絶対に起こらない、というのが雄一の意見だった。それほどまでに彼の日常は平和かつ平凡だったのだ。

 遠くで豆腐屋が鳴らす、間抜けだがどこか懐かしいラッパの音が聞こえてきた。雄一はその音を聞きながら、結衣の淡く茶色がかった髪を何となく思い出していた。彼は結衣の事を全く知らない訳では無かった。もちろん学校では姿を見かける事はあったが、それ以上に何か自分との間に深いつながりがあると思えて仕方が無いのだ。あの夜思い出した湿った秋の日の風と、何か関係があるのだろうか。

 彼はそこまで考えると、混乱した頭を醒ますかのように駆け出した。カチャカチャ、と鞄についている金具が歌うように鳴る。頬をなでる冷たい風は冬の訪れを感じさせたが、やはりまだどこか、秋の香りを残していた。


 

 時は少し遡って、今日の昼下がり。自宅からさほど遠くない勤め先で、明夫は昼の休憩中だった。プリントアウトした資料と地図のようなものを机の上に粗雑に置くと、コンビニで買ってきた弁当を広げた。しかし何か考え事でも始めたのか、開けたての弁当にあまり箸が行かない。実際、彼は悩んでいた。今あの事を結衣に打ち明けておかないと、また暫くの間はおざなりになってしまう気がしてならないのだ。そうなるともう二度と機会は訪れないだろう。そこまで考えると、彼は弁当の残りを一気にたいらげ、ペンと紙を持ってきて何かを書き始めた。これでいいんだ、と自分に言い聞かせるように呟いて、黙々と書き続けた。

 もう二度と結衣とは会えなくなるかもしれないという事は、分かっていたのだろう。


 

 赤く染まった空に、西の方角から徐々に夜がやってきた。結衣の使う通学路は、繁華街から比較的離れているため、夕方でも人通りが少ない。ひっそりとした通りを結衣は重い足取りで歩いていた。彼女の心は鉛のようだった。さすがにまだこれが冗談だとは思っていないが、かといって完全に受け入れた訳でもなかった。彼女のいたって平凡な毎日があんなだらしのない男子生徒に崩されて行くのだと思うと軽く目眩がした。

 突き当たりを右に曲がり、仮設駐車場を右に見ながら15メートル程進むと小さな踏切がある。結衣は小さい頃よく明夫と共に、今は駐車場となっている公園に遊びに行くときにこの踏切を通った。あの頃は、物凄い速さで電車が目の前を通るたびに明夫の陰に隠れたものだ。彼はそんな結衣の頭を温かい手で優しくなでてくれた。

 明夫との想いでを思い出しながら駐車場の横を進んで行くと、踏切の前にどこか見知った後ろ姿を発見した。どうやら手にコンビニのビニール袋を提げているようだ。その立ち姿はまぎれも無く、あの男子だった。


 雄一はぼんやりとした顔で踏切が、カンカンカン、と音を立てながら下りていくのを見ていた。普段から割とぼんやりしている彼だが、今日は特に生気が無かった。やがて電車が通り過ぎ、少しすると踏切が上がった。よいしょ、と鞄をかけ直して歩き始めると、後ろからカツカツ、と小さな足音が聞こえた。さっきまではこの踏切には雄一しかいなかったので、誰だろう、と思って目をやった。

「あっ」雄一は驚いた顔で立ち止まった。自然と声が出た。「きょ、今日はどうも」

 結衣は、最悪だ、といったような顔をして、どうも、と短く返事をした。何が「どうも」だよ、と思った。二人の間に気まずい沈黙が漂う。

「あの、家、この近くなの?」雄一が微妙な沈黙を破った。ヤクルトの入ったビニール袋がカサカサと揺れる。二人はゆっくりと歩き出した。

 結衣は、まあね、と短く応じてから逆に雄一に聞いた。「ええと、西田君は?」

「俺もだよ。今コンビニから帰るとこ」

「もう家には帰ったの?」

「うん。帰宅部だから」雄一は力なく笑った。「えっと、佐々木さんは何か部活に入ってるの?」

「吹奏楽部に入ってる」結衣はクラリネットの入っているケースを軽く持ち上げた。なかなか上達しないけどね、と彼女は少しはにかんだ。

 その時雄一は、結衣の困ったような笑顔にどこか懐かしいようで惹き付けられるような感覚がした。ずいぶん前にもこのような体験をしたことがある。彼は記憶を探ったが、やはり詳しくは思い出せなかった。

「どうしたの?」遠くを見つめたまま押し黙ってしまった雄一を見て、結衣は心配そうに尋ねた。「考え事?」

 雄一はふいに我に返った。「ああ、ごめん」

「大丈夫?」結衣はそう尋ねたが、家の近くまで来ていたので、じゃあね、といって雄一と別れた。

「え?じゃ、じゃあ」突然そう言われたので、雄一は戸惑いながらも返事をした。彼は呆然とした様子で、去って行く結衣の後ろ姿を見ていたがしばらくすると洗濯物が干したままなのを思い出して、帰路についた。



 ネオンの光る繁華街の人ごみを避けるように、一人の男がビルの暗がりにたたずんでいた。咥えているタバコの煙をため息とともに吐き出して、空を見上げる。

「たしか、ここら辺のはずだが……」男はそう呟いて、あたりを見回した。彼はある人物を捜していた。人に尋ねるという手もあったが、なるべく証拠は残したくない。そう考えると男は手元の資料にある会社名を見ながら、同じ名前の会社を探して、すっかり夜の帳が下りた繁華街の人ごみの中に消えて行った

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