第二章
第二章
たちの悪い冗談だ、と思った。この人は自分たちをからかっているだけなんだ、とも。しかし結衣も雄一も、石崎先生が生徒を呼び出してまで悪質な嘘をつくような人ではないという事は、十分理解していた。
「あの、えっと、どっちが年上なんですか?」雄一の思考回路はもはや機能していなかった。そのおかげで、自分でも驚く程この状況にそぐわぬ質問を、無意識のうちにしていた。
しばらくの静寂の後、先生が少しどもり気味に答えた。「い、一応お前だが、双子らしいからあまり差はないぞ」
「あ、はい。ありがとうございます」未だに状況がよく理解できてない雄一は、寝ぼけたように言った。
この不毛な茶番にうんざりした結衣は機関銃のように質問を浴びせかけた。証拠はあるのか、なぜ先生がそんな事を知っているのか、私に兄などいなかったはずだ、訳が分からないーー。
「落ち着きなさい」先生は駄々をこねる幼児を諭すように言った。「この事は家の人にも連絡してある。これから話し合わなければいけない事もたくさんあると思うが、とりあえず今は落ち着いて聞いてくれ」
先生の話によると、高校では新しく入学した生徒達が義務教育課程を終了しているかを調査するために、それぞれの戸籍に目を通すらしい。その際、戸籍上の雄一と結衣の家族構成が互いに、兄と妹、となっていたのだ。もちろん彼らには兄妹はいないはずだ。現に彼らが入学した際に受け取った戸籍には、二人とも赤の他人として記載されていたはずだ。彼は最初、職員の手違いだろう、と思ったがすぐに手違いなんかではないという事に気付いた。というのも、当時の生徒達の戸籍を管理していたのは、彼自身だったのだ。彼は不審に思いながらも結衣の父、明夫に連絡を取り、家族構成の訂正を申請するように言った。両親がいない雄一には、学校側が特別に手続きを取っておいた。奇怪な出来事だったが、特に問題なく話は通って一件落着したかのように見えた。しかし先週、今一度戸籍の整理をしていた彼は再び結衣と雄一の戸籍に不具合を見つけた。またもや彼らの関係は、「兄妹」に変わっていたのである。これはもはや何者かによる戸籍の操作である、と確信した彼は再度明夫に連絡をし、この不具合について問いつめた。すると明夫は、彼に驚くべき事を打ち明けた。結衣と雄一は、実際に血のつながった兄妹であると言うのだ。もちろん彼は明夫の言う事が信じられる訳が無く、後に市役所へ行って二人の戸籍に改ざんされた後が無いか、調べてもらった。すると何という事か、彼らの戸籍からは確かに改ざんの跡が発見され、彼らは本当に血がつながっているだけでなく、双子である事まで判明した。さらに、操作されていたのは血縁関係のみならず、出生届や住民票に至るまで嘘の情報が記入されていた事が明らかになった。これが今日の出来事であり、石崎が学校を休んだ理由でもある、との事だった。
先生は丁寧に順序を追って説明してくれたが、雄一には、恐らく結衣にも同じように、分からない事が次から次へと浮かんできた。それらの疑問の最も深い所に位置するのが、誰が何のためにこんな事をしたのか、という物だった。それについては市役所の方でも心当たりが無いか調べてもらっているが、あまり期待はしない方がいい、と先生は言った。
そうして彼らが先生を質問責めにしているうちに下校の時間になり、結衣は慌てた様子で部活に急いだ。帰宅部の雄一は手持ち無沙汰な面持ちでそんな結衣の後ろ姿を見送った後、先生に急かされるようにして職員室を出た。石崎は雄一がおぼつかない足取りで職員室を出て行った後、肩の重荷を下ろすかのように深いため息をついた。窓に目をやると、カラスの群れが今や紅色に染まった夕空を泳ぐかのように飛んでいた。彼はしばらくそれを眺めてから、書類の整理を始めた。
結衣は吹奏楽部に入っているのだが、その日の練習に彼女は全く集中できなかった。おかげで簡単なパートを何度も間違えて、顧問からはしかられるわ、周りからは白い目で見られるわで散々だった。
「結衣、大丈夫?何か今日、変じゃない?」練習後、結衣がぼんやりと帰りの支度をしていると、彼女と共にクラリネットを担当しているクラスメートの美咲が声をかけてきた。
「・・・え?ああ、うん」結衣は彼女の質問など上の空の様子で応じた。そんな彼女を美咲は訝しむかのように見つめると、すぐ隣に腰を下ろして囁くように言った。
「もしかして、恋煩い?」
いつもの結衣はこの手の質問をされると、怒ったように、それでいて少し照れたように、違うって、などと答えるのだが今日の結衣は相変わらず黙って遠くを見つめていた。二人の間にしばし気まずい沈黙が流れる。あまりにも微妙な空気に耐えられなくなった美咲は謝ろうとしたが、それよりも先に結衣が口を開いた。
「そうだったら、いいんだけどねぇ・・・」少し老人じみた苦笑いで答えると、結衣はさっさと荷物をまとめて行ってしまった。置いてかれた美咲はぽかんと口を開けたまま、しばらくその場を動かなかったが、気付くと他の友人達も帰ろうとしていたので、慌ててそれを追った。
まさかあの結衣が恋に飢えていたとは、と彼女は下駄箱から靴を取り出しつつ、結衣に深い同情を寄せた。