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第一章

第一章


 透き通るような秋晴れの空の下、雄一はマフラーに顔を埋め学校への道を急いだ。いつもより冷えた今朝の空気は、しばらくの間雄一を布団に縛り付けた。そのおかげで、休み明けの月曜日からいきなり彼は学校に遅刻しそうだった。一時間目はなんだったかなぁ、なんて事を考えつつ雄一は鞄をかけ直し、少し前屈みに小走りを始めた。

 2、3分程遅れて学校につくと彼は先生が教室にいる可能性を考え、背中を丸めて忍び寄るようにドアの隙間から教室に滑り込んだ。しかし先生はまだ来ておらず、生徒達は和やかな雰囲気で談笑していた。なんだよ、と少し拍子抜けしたように呟き、雄一は自分の席に着いた。

「おう、雄一。来てたのか」少し骨張った体型の、眼鏡をかけた天然パーマ男が雄一に声をかけた。おう、と応えながら雄一は彼の方を向いた。

 雄一は、このパーマ男とは小学校からの友人である。親友という程ではないが、それなりに今まで仲良くやってきたとは思っている。彼の名は吉岡俊公というのだが、雄一は彼を名前で呼んだ事は少なく、大概「痩せパーマ」か「眼鏡パーマ」になるのだった。近頃は本人の抗議もあってか、安全に「俊公」と呼ぶ事に決まった。

 雄一は俊公とマンガやゲームの話で少し盛り上がった後、気になっていた事を聞いた。

「そういえばさ、先生はいつになったら来るんだ?」

「それが、今朝から誰もあの人を見かけないんだよ」俊公はパーマのかかった髪を手でとかしつつ、さも関心が無いかのように言った。

「えぇ?」雄一は度肝を抜かれ、間抜けな声で返事をした。「だ、誰も見てないってなんだよ」

 まあまあ、と俊公は雄一をなだめるように返事をした。「どうせ遅刻か病気だろ。それよりさ——」

 俊公がいつものように、芸能人のくだらないゴシップや分かりもしない政治の事について語り始めたので、雄一は適当な受け答えをしつつ、なかなか現れない先生について考えていた。彼は石崎先生というのだが、いつもはかなり早くから学校に来ていて、滅多な事では学校を休まない厳格な先生だったため、この出来事は雄一にとってそれなりに違和感のある物となった。

 その日は結局先生が現れる事はないらしく、他のクラスの担任が自習を告げにきた。生徒達は久しぶりの自習に喜びの声を上げ、それぞれが勝手気ままに時間を潰していた。雄一もやはり何か胸に引っかかる物があったが、あまり気にしないように心がけて、俊公やその仲間達と下品な話に花を咲かせていた。

 見渡す限りの青空にどこか寂しげに浮かぶ鱗雲の群れを、優しく拭い去るかのように木枯らしが去って行く。そろそろイチョウの葉が黄色く舞い始める時期だ。



 シャーペンの芯を出したり引っ込めたりしながら、結衣は古文の教師の低く単調な朗読を耳で感じ取っていた。


  ——秋のけはひ入り立つままに、土御門殿のありさま、言はむかたなくをかし。池のわたりの梢ども、遣水のほとりの草むら、おのがじし色づきわたりつつ、おほかたの空も艶なるにもてはやされて、不断の御読経の声々、あはれまりけり——


 何が言いたいのか、結衣にはさっぱり分からなかったが、何となく秋の自然の美しさを読んでいるという事は分かった。1000年前にも季節は同じように巡り、当時の歌人達もその美しさをこうして表現していたのか、などとぼんやりとした回想をしながら結衣は時間が過ぎるのを待った。

 秋の日がカーテンを通して教室に暖かく降り注ぎ、風が質素だがどこか懐かしい冷えた朝のアスファルトの匂いを運んできた。どこまでも静かな街の気配と先生の単調な朗読に包まれるように、窓際に座る結衣はウトウトと船をこぎ始めた。昨日の疲れもあってか、彼女の脳は本格的に熟睡の準備を始めた——。

 ——ガンッ、という音とともに結衣は夢うつつから引き戻さた。額が痛むのでとりあえず手で押さえながら周りを見ると、生徒達が必死に笑いをこらえていた。おそるおそる先生の方を向くと、彼は何とも言えない表情で結衣の方をじっと見ていた。

「あ、あの、すいません」結衣は消え入るような声で謝った。「疲れてたもので……」

「大丈夫かね?」先生は、相変わらず形容し難い表情で応じた。「顔を洗ってこなくても平気かね?」

 大丈夫です、と蚊の鳴くような声で答えた彼女は教科書に目を落とした。しっかりしろ、と自分に喝を入れて彼女は朗読に耳を傾けた。しかし、その気合いも長くは続かなかった。

 突然、校内放送特有の割れた機会音が全校中に鳴り響いたのだ。


「二年の佐々木結衣さんと、二年の西田雄一さん。至急職員室までどうぞ」


 静まり返った教室に、校内放送の終了を告げる機会音だけが響き渡った。地獄のような数分間の後結衣は、しっかりしろ、と自分に再度喝を入れて立ち上がった。

「あ、あの、すいません」結衣は真っ赤な顔で呟いた。「呼ばれちゃったもので……」

「——行ってきなさい」苦虫を噛み潰したような顔で、先生は呟き返した。



 職員室に通じる渡り廊下を歩きながら雄一は、自分が何かしたのかという不安と、ササキユイとは一体誰だろうという好奇心に苛まれていた。もちろん彼にはササキユイなる人物と、学校の規則に反する事をしでかした覚えはまるで無い。従って彼は渡り廊下を渡り終える頃には、久しぶりの自習の時間に、意味も無く生徒を呼び出す職員達に、軽い反感を覚えていた。

 職員室の前に着くと、雄一は少し乱暴にドアを開けた。一呼吸おいてから、失礼します、と言いかけたところで彼はある人物に目がいった。それは今日学校を休んだはずの、石崎先生その人だった。彼は疲れ果てたような顔で雄一を見ると、力なく、しかし意味ありげに頷いた。


 結衣はまだあまりすっきりしない頭で、過去に自分がしてきた事を振り返っていた。しかしどんなに考えても、職員室に呼ばれるような事件を起こした覚えは無い上に、自分とニシダユウイチとか言う人物との関係性も全く見いだせなかった。あまりにも分からない事だらけなので、職員室では何を聞かれても黙秘を貫こう、と彼女は心に決め、階段を一気に飛び降りた。

 職員室の前までくると、結衣は少し呼吸を整えてからドアを開けた。

「すいません、佐々木結衣ですけど——」彼女は部屋を見回しながら言った。すると、ある一点で彼女の目が釘付けになった。結衣の頭の中に昨日の光景が浮かび上がってきた。無人の待ち合い所でほの暗い明かりに照らせれて、俯き加減に座っていたあの「少年」。

 彼が、そこにいた。



 ササキユイとはこの人か、と雄一はまた少し賢くなると同時に、綺麗だな、と少し見とれた。しかし相変わらず何故自分と、この女子生徒が呼ばれたのかは分からなかった。

 ニシダユウイチとはこいつだったのか、というのが結衣の率直な意見だった。だらしない人だな、とも思った。それは、寝癖が爆発し、シャツも半分はみ出ている雄一を見たごく普通の人間からの、一般的な意見だった。

「さて、揃ったな」石崎は雄一の身だしなみを一通り注意してから短く言った。結衣はその一言で、何故自分がこの男子と共に呼び出されたのかという疑問が再び浮かんだ。

「あの、先生、何で私たちは——」結衣の質問は、先生によって妨げられた。

「まあ、そう急かすな」彼は結衣の質問に重ねるように言って湯のみに手を伸ばし、のんびりとお茶を飲み始めた。

「先生はなんで今日、学校に来なかったんですか」雄一が畳み掛けるように聞いた。しかし先生は、まあまあ、と彼をなだめるように手を振り、湯のみを机に置いた。

「ちょっと市役所に用があったんだ」彼は簡単に返事をした。

「市役所?」雄一には訳が分からなかった。「一体なんで——」

「いいから最後まで聞きなさい」先生が、低く鋭い声で言った。雄一はまだ何か言いたげな顔をしていたが、先生の気迫に押されるように口を閉じた。

「お前ら、」いつもとは違うただならぬ雰囲気に、部屋の中の空気が一気に張りつめた。「落ち着いて聞いてくれ」

「実はな、お前達は、」先生はここで少し間を置いた。結衣は遠くの方で木々が風に揺れる音を聴いていた。

 彼は結衣と雄一の顔を交互に見ると、決意したように口を開いた。


「お前達は、『兄妹』なんだ」


 ザアッ、と突然の突風に校庭の木々がいっきに揺れた。枯れ葉が舞い上がり、カサカサと寂しげな音を立てながら宙を舞う。職員室の窓もガタガタと静かに鳴った。赤い秋の日差しが斜めに差し込み、三人の影を細く、長く形作った。

 冬はもう、そこまで来ていた

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