Episode007 危険な帰り道
17時20分
夕暮れ時の星川町に、その緊急連絡は響き渡った。
ピーンポーンパーンポーン♪
『町内のどこかに、野生の危険生物が潜んでいる可能性があります。外に居る人は速やかに近くの建物の中に避難し、厳重に鍵を掛けてください』
ピーンポーンパーンポーン♪
発信源は、星川町全ての電柱に設置されているスピーカー。
ハヤトが町長の部下である和夫に電話をして、町役場の放送室から、この放送を流してもらうよう頼んだのである。
「ふぅ。これでとりあえず、町のみんなは大丈夫だ」
ハヤトは放送を聴くなり、得物である日本刀を腰のベルトに提げた。
「もう夕方だし、家まで送ってくよ。あ、それとも病院にする?」
そして右手に懐中電灯を持ったところで、かなえに訊ねた。
誰も居ない家か。
両親とリュンとユンファが居る病院か。
かなえは一瞬だけ悩んだが、危険な野生動物が星川町をうろついている緊急事態である今、1人で居るのはあまりにも怖いので、病院に送ってもらうようハヤトに頼んだ。
※
「ねぇ、もしかしてその刀で……その……殺すの?」
隣を歩くハヤトが腰のベルトに提げている得物――謎の一振りの日本刀を見つめながら、かなえはおそるおそる訊ねた。
火器や刀剣の所持にとても厳しい日本で、なぜ自分と同じ中学生であるハヤトが持てるのか、についての疑問も勿論であるが、それ以上に……それを手にした時に言った『久々にコイツの出番が来たな』という言葉。
もしやハヤトは、自分が星川町に来る前に、その日本刀を……子供のチャンバラごっこや厨二病のそれとは違い、下手をすると自分が死んでしまいかねない、正真正銘の〝命のやり取り〟の中で何度も使ってきたのかと。そして、もしかしてその日本刀で、誰か、もしくは何かの命を奪った事があるのでは、と。
危険物を所持しているがために。
ふと……かなえはそんな想像をしてしまった。
それ故に、質問した。
かなえにとっては、ただの興味本位。そして、危険生物バスターウォルフにいつ襲われるか分からない、この緊迫した雰囲気を少しでも和らげるために、思わず、口から出てしまった台詞であるが、言った後……すぐに彼女は後悔した。
ハヤトにとっては、されたくはない質問である可能性もあるからだ。
かなえの顔が蒼褪める。
しかしハヤトは、そんなかなえの予想に反し、少し黙り込むと……夕日に染まる空を見上げ、
「ああ、殺す。生け捕りが無理ならな」
サラリと、それが当然とでも言いたげに……事務的な調子でそう返した。
――生け捕りが無理なら殺す。
その宣言に、かなえの背筋は凍り付いた。
とても、自分と同い年の中学生の台詞とは思えない。
なんで、ハヤトは平然とそんな事を言えるのだろう。
(まるで……社会の波に煽られて、不自然に大人びてしまったみたい)
一瞬の中で、かなえは思う。
すると同時に、彼女はクラス担任である加賀美麗香先生が、自分が転校した日に言っていた事を思い出した。
――彼が真夜中までいろいろ頑張っているから、私やこのクラスの皆がこの町に居られるんですもの。
その言葉の意味を、かなえはやっと理解したような気がした。しかしそれでも、かなえは納得がいかなかった。
「ねぇ、アンタはなんでこんな……普通は大人がやるような事をやってんの?」
だから思い切って、かなえは訊ねた。
するとハヤトは、今度は平坦な口調で、
「別に。それが、俺がやるべき事だからやっているんだ。それ以外に理由は無い」
眉1つ動かさず、そう答えた。
ハヤトにとっては答えになっているだろうが、かなえにとってはまったく答えになっていない意味不明な返答だった。
もしや、話が噛み合っていないのではないか、とも思えるその返答に、かなえは頭を痛めた。しかし彼女はめげず、さらに質問をした。
「……オーケー、じゃあ質問を変えるわ。なんで中学生のアンタが、普通は大人がやる仕事をする事ができるの?」
「……知りたい?」
ハヤトは不敵な笑みを浮かべ、逆にかなえに訊ねた。
するとかなえは、ハヤトに対し、星川町に最初に来た時にも感じた、あのホラー映画のオチを見た時と同じような悪寒を……再び覚えた。
ハヤトが本当に、自分と同じ人間なのか……いや、それどころか、ハヤトが得体の知れない存在なのではないか、と……星川町の秘密を知らされた時にも思った事を、再び思ったのだ。
かなえは、これ以上質問をする気にはなれなくなった。
※
病院に着く頃には、もう太陽が半分以上沈んでいた。
ハヤトとかなえは、病院の出入口の前で別れる事にした。
かなえはハヤトに「また明日」とだけ言うと、早歩きで受付の方へ行き、受付の看護師に両親を呼んでもらうよう頼んだ。
すると看護師は、苦笑を浮かべながら「天宮先生と、香織さんなら……とっくにお帰りになられましたよ」と2人の娘に告げた。
「えっ!? マジ!?」
かなえは、驚きながら訊ねた。
「マジです」
看護師は相変わらず苦笑しながら、そう返した。
かなえは看護師に礼を言うと、急いで出入口に戻り、まだ遠くに居ないハヤトを呼び止める。
「どうしたんだ?」
ハヤトは病院の出入口前まで歩き、立ち止まった。
そしてかなえから、両親がもう家に帰った事を聞いた。
「なるほど。でも、友達と一緒じゃなくていいのか?」
「うん。確かにリュンちゃんやユンファちゃんのそばに、一緒に居てあげたいけど
……ちょっとね」
「?」
歯切れの悪いかなえの返事に、ハヤトは疑問符を浮かべた。
かなえが病院に居たくないのには理由があった。
かなえは、異星人の存在を『感知』する『異能力』を持っている。
そして、地球人だけでなく異星人までもが、入院したり、働いていたりする病院にいつまでも居れば、頭が痛くなったり吐き気がしたりで、自分の体にも悪いし、そのせいで病院の世話になるのも、病院側に悪い気がしたのだ。
(異能力の事……コイツに話しても大丈夫かな? でもコイツが、宇宙人の存在は認めても異能力の存在は認めないタイプじゃない保障は無いし……)
かなえは、異能力の事をハヤトに話そうかどうか迷ったが……結局話さない事にした。仮に異能力に対してなんらかの理解があろうとも、日を改めても問題無い、と判断したのだ。
※
数分後
空の色が紫色に変わり始めた。
さらにあと数分で、陽は完全に沈み、夜になる。
かなえの家に向かう道中、ハヤトは懐中電灯のスイッチを入れた。
「暗くなったな」
「………………」
ハヤトが、何気なくかなえに声をかける。
だがかなえは、どうした事かいつの間にやら俯いており……何も答えなかった。
(同級生が、目の前で危険生物に襲われたんだ。今までなんとか平静を装えた方が奇跡かもしれない)
しかしハヤトは彼女を咎めたりはせず、むしろ同情と哀れみ。そして改めて危険生物であるバスターウォルフへの怒りを心中に抱いた。
だが実際のかなえの胸中は、ハヤトの予想とは全く違っていた。
彼女は、揉め事相談所でバスターウォルフの詳細を知ってから、今まで、ずっとずっと……危険生物バスターウォルフに対する、不自然に大人びたハヤトの事を。そして当のバスターウォルフの事を考えていた。
飼い主に地球に捨てられ、今まで孤独に生きてきたバスターウォルフ。
そしてそんなバスターウォルフを、危険だからという理由で容赦なく駆除しようとするハヤト。
何かが、いけない気がした。
このまま両者が邂逅すれば……両者にとって、取り返しのつかない事になるかのような。ハヤトが。同級生がさらに深い所まで。戻ってこられない領域にまで踏み込んでしまう……かなえはそんな悪い予感がした。
(それに、バスターウォルフが私達を襲ってきたのは、もしかしたら、捨てた飼い主に対する……ううん。飼っておきながら身勝手に動物を捨てたりする、全人類に向けての怒りだとしたら……)
そして、そこまでの結論に至った時。
かなえの中で……〝何か〟が生まれ始めた。
「ねぇ、バスターウォルフの事だけど……」
かなえは、俯きながら……言う。
「ん? どした?」
「被害者の私が言うのもなんだけど……なんとか、バスターウォルフを助けてくれない?」
「……ん?」
町民を助ける立場にあるハヤトは、なぜ今回の事件の被害者の1人であるかなえがそんな事を言ってくるのか、一瞬理解できなかった。
ハヤトはすかさず「なぜだ」と訊ねた。
するとかなえは、悲しげな瞳をハヤトに向けて、
「だって、バスターウォルフが可哀想じゃない!」
まだ整理しきれていない思いを、整理できた部分だけでもと吐き出した。
「……えっ?」
「信じていた飼い主に地球に捨てられて……それでもバスターウォルフは、今まで必死に生きようと頑張ってきたのよ!? それを、生け捕りにできなかったら殺すだなんて……バスターウォルフが、可哀想だよ……ッ」
吐き出す内に、かなえはだんだんと感情的になってきた。
バスターウォルフが危険生物となってしまった原因が、自分達人間にあるのだと思うと、友人を傷付けたバスターウォルフを……彼女は心の底から憎めなかった。
正直に言うならば、かなえは異星人に対し、まだ少しばかり恐怖を感じていた。無論、異星獣に対しても……いや、異星獣のせいでその恐怖は却って大きくなったかもしれない。
しかし、それでも。
危険生物となってでも必死に生きてきたバスターウォルフの結末が、その原因を作った人間により齎された死など……あまりにも報われない。
その事実に彼女は……悲しみを覚え、涙を滲ませた。
すると、その時だった。
ハヤトの中で、かなえのその顔が……なぜか、かつて【星川町揉め事相談所】の所員であった――ある少女と重なった。
「……ハル、カ?」
すると、そんな不意打ち気味に起きた現象に対して心が動揺し、ハヤトは思わず
……その少女の名を呟いた。
「えっ? ハルカ?」
謎の人名が、唐突にハヤトの口から出るという予想外の展開に、かなえは思わず呆気に取られ……泣くのをやめていた。
するとほぼ同時に、かなえがその名前を口にした事実から、自分がいったい何を呟いたのかを察し……ハヤトはハッとした。
「あっ……いや、なんでもない。こっちの話だ」
彼は慌てて、かなえから目を逸らした。
だが、そんな反応をされると、逆に訊ねたくなるのが人間である。
かなえはハヤトに『ハルカ』なる人物について、この緊迫した雰囲気を和らげるために、そしてかなえ自身の興味もあってニヤニヤしながら訊ねた。
「ねぇ、ハルカって誰? もしかして……アンタの彼女?」
「……そんなんじゃない」
するとハヤトは、なぜか淋しげな顔になりながら小声でそう答えた……まさに、その瞬間。
頭が痛くなるほどの、強烈な〝気配〟を……かなえは再び感じ取った。
「ッ!?」
途端にかなえの体がブルブルと、まるで寒気を覚えているかのように震え出す。
近くに異星の存在が。それも自分達に怒りや憎しみなどの、強力な感情を向けている存在――バスターウォルフが居る。そう改めて自覚すると、どうしてもあの時の……リュンが襲われた時の場面が脳裏に甦り、さらには、心へ刻み込まれた恐怖までもが合わせて甦る。
また、あの時のような悲劇が起こるのか。
今度は、自分と、ハヤトに対してその牙を向けられるのか。
確かにバスターウォルフは可哀想だと、かなえは思う。
しかしそれでも、あの時の恐怖を打ち消せるほどではなかった。
「お……おい、どうした急に?」
ハヤトはすぐにかなえの異常に気付き、声をかけた。
しかしかなえは、ハヤトの声には応えず、代わりに震える声で告げた。
「く……来る……」
「は?」
ハヤトは首を傾げた。
それだけ言われても何の事なのか、さすがの彼にも分からない。
するとかなえは、
「もう……そこまで来てる!!」
今度は絶叫した。
すると、その時だった。
近くの家の屋根から、体長が2m近くある獣が、ハヤトとかなえに向かって飛び降りた。その動きには無駄が無い。しかもその獣は音を立てずに飛び降りたため、その存在はかなえを除いて誰にも気付かれなかった。
だが、絶叫されては……さすがにハヤトも事態を把握する。
いったい何が何やらワケが分からないが、彼は咄嗟に、恐怖のあまり足が竦んでいるかなえを庇うように抱きかかえると、今立っている場所から転がるように移動した。
ハヤトの手から懐中電灯が離れ、地面に落ちる。
落ちたせいで、その明かりは2回点滅すると消えてしまった。
だが2度目の点滅が起きた、その瞬間。
ハヤトはその光の中で……確かに見た。
今まさに、自分達の居た場所へと飛び降りんとするバスターウォルフの姿を。
「ッ!?」
ハヤトはその光景に、そしてかなえが絶叫してまで告げた事が事実であった事に驚き、目を丸くした。