追走の果てに
あぁ……今日はなんでこんなにも不幸なンだ?
フラフラになりながらも、なんとか通行人の間を縫うように走りながら、不法侵入者は思っていた。
〝あの人〟の奥さんとその連れ子達の監視に行って、奥さんがガキ共と一緒に倒れたのを見計らって、
入ったのはいいンだけど……まさか生意気にも〝倒れたフリ〟をしてやがったとはナ。
でもって、いきなり背後から殴られて……んで気付いたらグルグル巻きって……あンのクソアマ……
おかげで〝実験の計画〟がいろいろと狂いっぱなしじゃあねェかヨ。
不法侵入者は怒りをあらわにしながら、後ろを振り返る。
今のところ……誰も尾けてねぇヨなぁ? さっきまでワゴン車がしつこく追い回してたが……まぁいい。
とりあえず……〝あの人〟とこれからの事の相談を……。
そして不法侵入者は、近くの裏路地の向こうへと消えて行った。
だがそれを、麻耶はしっかりと見ていた。
ちなみになぜ尾行がバレなかったのかというと、麻耶が人混みに隠れてしまう程、小柄であるからだ。
はぁ……まったく、なんで私があのクソ女の家に侵入した犯人を尾行しなきゃいけないんだろ?
険しい顔で歩きながら、麻耶は思った。
しかしすぐに、この依頼の依頼人が亜貴である事を改めて思い出し、
……………亜貴先輩、あなたはいったいあのクソ女のどこに惚れたのですか?
私は……私はこんなにもあなたの事を想っているというのに……。
そして麻耶は思い出す。亜貴と始めて出会った日の事。
人身売買系シンジケートの所有する輸送船から、亜貴が自分を救出してくれた日の事を。
不法侵入者は尾行対策の為、いくつもの路地裏を通り抜けた。
いつになったらヤツはアジトに入るんだろう?
路地裏をなんとか音を立てずに通りながら、麻耶はさらに険しい顔をしながら思った。
そしてしばらく歩いていると、なんと不法侵入者は遊楽街を抜け、
街から少し離れた所にある廃工場の、閉ざされた門を乗り越え、工場の敷地内へと入って行った。
「……『ガリエル製薬』?」
それが、不法侵入者が入って行った廃工場の名前だった。
いつ廃れたのかは分からないが、工場の門に張ってあるネームプレートの文字が、
一応まだ読めるところからすると、おそらく廃れたのはそんなに昔ではないだろう。
不法侵入者がカンッカンッと音を立てて、工場の事務所があったであろう、
工場の生産ラインがある建物とはまた違う、2階建ての小さい建物の、2階へと続く階段を登っていく。
そして不法侵入者がその建物の2階の中に入った瞬間、麻耶は工場の敷地内への侵入を開始した。
門を乗り越え、不法侵入者が入って行った建物へと、音を立てずに、早足で向かう。
そしてその最中、秀平にメールを出した。
『不法侵入者。「ガリエル製薬」に侵入。』
「……これでよし。あとは秀平が来るまで……少しでも情報を……」
できるだけ音を立てず、不法侵入者が通った階段を登る。
階段の頂上。建物の2階へと続く扉の前まで来た。
しかし麻耶は中へと入らず、とりあえずワンピースの陰に忍ばせた、日本警察も使っているタイプの
拳銃(中身は麻酔弾)を取り出し、今回の依頼のパートナーである秀平を待った。
自分の短所は、自分がよく分かっていた。
後先考えず、真実を突き止める為だけに突っ走ってしまう事。それが麻耶の短所。
……〝結社〟が倒産する前は、その短所のせいで何回も自分がピンチに陥ったっけ。
でもってそのたびに亜貴先輩に助けてもらって……あの頃は自分が1番足手まといだったな。
ほんの数年前の事を、麻耶はふと思い出した。
とその時、工場の門の方からガタガタという小さな音が聞こえてきた。
ふと目をやると、秀平が工場の敷地内に着地したのが見えた。
そしてすぐに秀平は、麻耶の隣へと、できるだけ音を立てずに近付き、懐からあるモノを取り出した。
麻耶も今手に持っている、日本の警察で使われているタイプの拳銃だった。
そして中身も、麻耶の拳銃と同じく麻酔弾である。
「そういえば麻耶、中の様子は?」
「あっ……ごめん、今から確かめる」
ヤバイヤバイ。息を整えたりするのに夢中で聞き耳を立てる事を忘れてた。ブランクってヤツかな?
そう自分に言い訳をしながら、麻耶は不法侵入者が入ったドアに聞き耳を立てた。
麻耶は耳がよかった。地獄耳だと言われる程に。
故に麻耶は、標的の拠点の突入の任務の際には〝結社〟にとても重宝されたりしていた。
『――――なるほどな。そんな事があったのか』
最初に、不法侵入者の上司と思わしき男の声が聞こえた。
そして、すぐに不法侵入者が情けない声を出しながら、
『すンません。せっかく〝脱獄〟したのに、あまり活躍できませンで』
『なに。新人とはそういうモノだ。咎めはしない』
『は……はい! ありがとうございマス!』
『それに、この町全体で実施中の〝実験〟の計画にさほど狂いは無い。
多貴子とその娘達の行方が分からなくなったのは、少々惜しいがな』
!!? あのクソ女の名前を知っている? あのクソ女の知り合いかしら?
そんでもって……実験? ヤツらいったいこの町でなにを……?
麻耶は聞き耳を立てながら、首を傾げた。
クソ女こと多貴子が今どうなったのか、麻耶はまだ知らないからだ。
……………まさかあのクソ女の身になにかあったの?
いろいろと考えるが、情報がほとんど無いため、答えが出ない。
とその時だった。
不法侵入者の上司と思わしき男が、なにかに気付いたのか、ドアの方へと目を向けた。
しかし、ドアの方からは音どころか気配すらしない。
だが不法侵入者の上司と思わしき男は、確信を持って言う。
『ん? 外にネズミが居るようだが、これはいったいどういう事だ新人?』
「「『!!!!!!!!?』」」
その言葉を聞いた瞬間、麻耶、秀平、不法侵入者の男の中に戦慄が走った。
バレた!? いや、そんな事を考えている余裕は無い! 早く逃げなければ!
自分達の存在がバレた以上、次になにが起こるのか予測できない。
こういう場合は、とりあえずその場から少し離れるのが吉である。
当初は相手が油断している時に建物内に踏み込む予定だったが、今ヘタに行動すれば返り討ちに遭う。
麻耶はすぐに扉から離れるよう、小声で秀平に指示を出した。
秀平が慌てて、できるだけ音を立てずに階段を駆け下りる。
麻耶も秀平の後に続き、階段に足を1歩踏み出し――――
――――その瞬間、麻耶は自身の周りが一瞬明るくなったのを見た。
「……えっ?」
いったいなにが起こったのか理解できず、そのまま一瞬思考が停止した。
階段に片足を踏み出した直後だったため、バランスを崩し、そのまま階段から落ちそうになる。
だがその瞬間、秀平は麻耶の両肩を掴み、
「おいっ! しっかりしろ!」
「……!? しゅ……秀平」
秀平の言葉で、麻耶の意識はすぐに現実に戻った。
「逃げるぞ! 相手はレーザー兵器かなにかを所持してる!」
麻耶の後方に目をやり、困惑の表情をした秀平が、できるだけ小声で告げた。
レーザー兵器? さっき一瞬明るくなったのはレーザーの光のせい?
そう思い、麻耶は秀平の視線の先を見た。
そして麻耶も、秀平と同じように困惑の表情をして、
「……う……うそ……?」
「驚いている暇は無い。早く逃げよう!」
「くっ! その方がよさそうね」
そして2人は、急いで階段を駆け下り、廃工場をあとにした。
数分後
星川総合病院
俺が……俺が仕事人間にならなければ……こんな事には……。
自身の大切な者達が――――死んだ。
逃れようの無い事実をつきつけられた亜貴は頭を抱え、
廊下に設置されたベンチの上で俯き、ただ呆然としていた。
もう、泣いてはいなかった。
涙が枯れてしまったのか、もう出なかった。
医師はそんな亜貴に、多貴子達の遺体のこれからについて、相談をしようとした。
多貴子達の突然死には謎が多過ぎる。もし多貴子達を死に至らしめた原因が新種のウィルスだとすれば、
新種のウィルスが外界にまだ蔓延していないであろう今の内に、
多貴子達の身体からウィルスを採取し、ワクチンを精製しなければいけない。
医師側としては、多貴子達の身体をいろいろ調べたかった。
だが、『元』とはいえ家族であった亜貴に対して、医師達はそんな残酷な提案を言えなかった。
医師達は亜貴を取り囲むように、ただ立っている事しかできなかった。
とその時、亜貴のズボンの中からバイブ音が聞こえた。
すると亜貴はゆっくりとズボンの中から、バイブ音を出している携帯電話を取り出し、通話ボタンを押した。
医師達はすぐに亜貴に、携帯電話を使わないよう指導しようとした。
だがすぐに亜貴の電話が終わり、
「……もしかすると、多貴子達だけじゃないかもしれない」
「……へっ?」
医師の1人が、間の抜けた声を出した。
「多貴子達以外にも……被害者が居るかもしれない」
そう言うと同時、亜貴はスックと立ち上がり、
「ドクター、多貴子達を……調べてくれませんか?」
腰の辺りで握り締めた両手を震わせながら、亜貴は医師達に言った。
「……構いませんけど、いいのですか? あなたの元・家族の身体にメスを入れる事になるかも――――」
「家族が傷付く事に抵抗が無いと言えばウソになる。でも!!」
次の瞬間、亜貴の目に憎しみの炎が宿った。
「今この瞬間にも!! 多貴子達と同じ目に遭っている人達が居るかもしれないんだ!!」
「!!? いったいどういう……」
「ワケは後で話します!! 時間が無いんだ!! だから頼みます!!
あと、多貴子達を調べてなにか分かったら、すぐに連絡をしてください!!」
その言葉を最後に、亜貴は〝2つある携帯電話の片方〟を医師達に預け、すぐにその場から走り去った。
多貴子達を、本当はきちんと眠らせてやりたいと、亜貴は心の底から思っていた。
だけど、秀平達の得た情報が本当だとすれば、多貴子達と同じような目に遭っている人達は何人も居る。
多貴子達の死は異常だ。人為的……悪意を持った人間によって引き起こされた事件だ。
このまま多貴子達を眠らせてしまったら、事件解決への唯一の手がかりを眠らせてしまったら、
これから先、どれ程の人が多貴子達と同じ痛みと苦しみを、
自分と同じ悲しみを味わう事になるか、予想できない。
罰なら死んだ後でいつまでも受けてやる! だから多貴子……奈美……奈央……協力してくれ……。