Episode006 彷徨える異星獣
(なぜ……アイツは俺の存在を感じ取れるんだ?)
獲物である少女達を草葉の陰から見ていたその獣は、生まれて初めて〝戸惑い〟を経験していた。
なぜならばその獣は、自分の存在を獲物に気付かれた事が、今までに、たったの1度さえも無かったのだから。
今まで己が捕食してきた生物達の事を、その獣は頭の中で振り返る。
人間に飼われていた、己と同じような外見の小さい生物も、己よりも小さいが、この星における己と同じ種も……全て相手に気付かれる前に捕食していたハズだ。
にも拘わらずその獣の存在は、しっかりと少女には気付かれていた。
その事実は、獣の誇りを酷く傷付けた。
故に獣は、己の内に沸き起こる怒りのまま……少女達に向かって駆け出した。
※
かなえは己の死角から、その〝存在〟が猛スピードで近付いてくるのを感じた。
逃げようとは思った。しかし逃げようと思った瞬間、かなえは動けなくなった。『蛇に睨まれた蛙』とは、この状態の事を言うのかもしれない。
かなえは、その〝存在〟の目を見ていないが、代わりに異星人やそれに関係あるモノの気配を『感知』できる『異能力』を持っている。
その『異能力』が、目視による確認をせずともその獣の位置、さらには自分達に向けられた感情や視線を『感知』し、最終的には己の脳がそれらの情報をまとめ、今はすぐに逃げなければならない状況であると判断する。
だがその直後。
かなえの生物としての本能が告げた。
すぐに追い付かれる、と。
「えっ?」
そんなバカな、と思いつつ、かなえは後ろを振り返る。
するとまさにその瞬間。獣はかなえ達に向かって、勢いよく跳躍した。
かなえ達に向かって跳躍してきた獣が、口を大きく開けた。口内全体に広がっていた涎が、獣の上顎の歯や牙と、下顎の歯や牙との間に糸を引く。
(……死、ヌ……!?)
刹那、かなえはそう思った。
そしてその刹那を越えた次の瞬間。
辺り一面に、血飛沫が飛び散った。
かなえは目を疑った。
できるならば、コレは夢なんだ……と思いたかった。
けど、自分にかかった緑色の液体。
そのニオイが。
その生温かさが。
今起きている事は現実なのだと、無理やり自分に理解させた。
目の前には、右腕で、左腕がくっ付いていた部分からドクドクと流れ出る緑色の液体を必死に押さえ、激痛に苦しみながら地面を転がるリュンが居た。
そのそばには、リュンの左腕であった肉片を口にくわえている、黒い毛色の獣が1匹。
その獣の体長は、およそ2m。
4本足で、お尻の方に、獣の体長の4分の3ほどの長さの、大きい尻尾が付いている。口はどことなく、狼を思わせるくらい長かった。その口に並ぶ鋭い歯や牙、そして4本の足から出ている爪が、太陽に照らされ、キラリと不気味に光る。
獣はしばらくの間、左腕が無くなったリュンを見ていたが、見飽きたのか、今度はかなえとユンファの方へと視線を向けた。
(な……なに、コイツ!?)
かなえは、足をガタガタ震わせながら思った。
――次元が違う。
異能力が『感知』した相対する獣の情報から……脳が、そしてかなえ自身の生存本能がそう判断する。
そしてそんなかなえ達に対して、その獣は慈悲も容赦も無く……ついに歩を進め始めた。
自分の、今までの狩りの常識を破り、誇りを傷付けられた怒りを込めて……。
だが、その時だった。
「キャアアアアアアァァァァァ――――――――ッッッッ!!!!!!!!!!」
ユンファが泣きそうな顔で、両手で頭を抱えながら、これでもかというくらいの声量で絶叫した。その声は町の広範囲に響き渡った。かなえは思わず耳を塞いた。
かなえも詳しくは知らない、というか訊ねてもいないのだが、ユンファはどうも声や音に関する進化を遂げた異星人らしい。
理屈は不明ではあるが、その異星人は様々な音声を正確に聞き分けられ、中には声の大きさや質を、地球人以上に変えられるタイプも居るそうだ。
そしてそんな異星人であるユンファがここに居た事は……まさに不幸中の幸いと言うべきか。彼女のおかげで、その獣は悲鳴に驚き、その場からすぐに走り去ったのだから。
同時に、ユンファはその場で気絶した。全力で絶叫したせいで、精根尽き果てたのかもしれない。
その様子を、かなえは耳を塞ぎながら、唖然としながら見ていた。
正直、彼女も悲鳴を上げたかったのだが、ユンファの悲鳴が予想を遥かに超えて大きかったため、それどころではなくなったのである。
「おーーい! どうしたんだぁーー!?」
それからもうしばらく唖然としていると、かなえ達に向けた声が遠くから聞こえてきた。ユンファの悲鳴を聞きつけ、その声の到達圏内に居た町民の方々が、駆け付けてくれたのだ。
(た……助かった、の?)
町民の存在を確認すると、かなえはようやく両手を両耳から離した。と同時に、腰から一気に力が抜け……地面に座り込んだ。
※
その後、リュンとユンファは病院へと運ばれた。
腕をもがれたリュンは、なんとか一命を取り留めた。
担当した医師によれば、あと数分搬送するのが遅ければ、出血多量で死んでいたかもしれない状況だったらしい。
気絶したユンファは、まだ精神が安定していないらしいが、数日すれば回復するそうだ。
※
一方で、かなえは【星川町揉め事相談所】に来ていた。
もちろん、リュンの血を浴びた服から清潔な別の服に家で着替えてからだ。
なぜかと言えば、星川町には警察署どころか交番すら無いからである。
どうやら何か事件が起こったらまず【星川町揉め事相談所】に行くのが、この町の決まりらしい。
かなえは、事務所の依頼人用の椅子に座りながら、ハヤトに差し出されたお茶を飲んだ。飲むと少しホッとした。
「少しは落ち着いたか?」
ハヤトはかなえを気遣い、優しい声色で訊ねた。
「……うん。もう平気」
ハヤトの気遣いに、かなえは微笑みで応えた。
正直かなえは、まだ平気と言える程の精神状態ではなかったのだが、いつまでもウジウジしているワケにもいかないので、無理やり強がってみせたのだ。
だけどハヤトは、かなえが強がっている事を直感で感じ取っていた。今まで多くの相談を受け続けてきた経験則によるものか。
だが、このままにしておいたら精神状態が悪化するかもしれないので、かなえの精神状態が正常である今の内に話を進める事にした。
「じゃあ、お前が見たという化け物……もとい、異星獣の特徴を教えてくれ」
そう言うなりハヤトは、所長の机の下から1台のノートパソコンを取り出すと、電源を入れ、パソコンを開いた。
「ちょ……アンタこんな時に何やって――」
同級生が謎の猛獣によって重傷を負わされた今の状況で、場違いにもパソコンを起動したハヤトを見てかなえは怒ったが、彼に画面を見せられ……ハッとした。
パソコンの画面には、いくつかの入力欄がある。
そしてその入力欄の上には『異星獣百科 特徴検索』と題名があった。
「じゃあ改めて、その異星獣の特徴を、教えてくれるか?」
ハヤトは真剣な眼差しを、かなえに向けた。
態度には出さないが、ハヤトも同級生を傷付けた異星獣を早く捕まえたいのだ。
勘違いで怒った事に、かなえは恥ずかしさのあまり顔が赤くなったが、コクリと頷いて、ハヤトに、自分が見た異星獣の特徴を話した。
画面全ての入力欄を埋めると、数秒でその異星獣に関するデータが検索された。データにはこうある。
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異星名称:ルドア・ガルグ
地球英名:バスターウォルフ
無人惑星『シャオローン』の温帯地方に生息する、地球でいう狼に該当する大型の哺乳類。
肉食動物であるものの、草食動物は食べず、代わりに他の肉食動物や雑食動物を捕食する。
江戸後期~明治初期にかけて、いろんな異星人によってペットとして日本に持ち込まれたが、無責任な飼い主が森に捨てたりしたため、今も日本の森の中を、その子孫が彷徨っていると言われている。
一説によると、ニホンオオカミを絶滅に追い込んだ原因の1つであるらしいが、真相は明らかでは――。
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「ちょ、ちょっと待って!?」
読んでいる最中、かなえは画面を下へと移動させるハヤトに待ったをかけた。
「ま……まさかあの狼、日本の森の中を彷徨っている……1匹だって言うの!?」
あんな怪物がまだ居るのか。
かなえは背筋が寒くなるような感覚を覚えた。
「いや、おそらく日本に居るのはお前が見たヤツだけだろう」
だがかなえの疑問に、ハヤトは少し考えてからそう答えた。
「えっ? どうして私やリュンちゃんやユンファちゃんが見たヤツ以外いない事が分かるの?」
「バスターウォルフは普通の狼の数倍、寿命が長い代わりに、繁殖能力が低いからな。このデータによると、日本に捨てられたバスターウォルフはほんの数匹ぐらいらしい。そしてバスターウォルフのメスは、今の日本の女性の生涯出産数の平均と同じく、一生の内に、1匹か2匹ぐらいしか子供を産めないみたいだ」
「えっ?」
かなえはさらにワケが分からなくなった。
「子孫を残すには、それだけ多くの同じ種が必要って事だ。アダムとイヴを例にして説明するぞ? ちなみにイヴとその子孫は、一生の内に2人までしか子供を産めないという設定でだ」
ハヤトは咳払いをして、続けた。
「まず、アダムとイヴの間に2人の子供が生まれる。そしてその2人の子供の間に子供が生まれる。
……とここで、アダムとイヴの遺伝子を持った種は途絶える」
「えっ? それってどういう……あっ! そうか!」
ここでかなえは、ようやくハヤトの言いたい事を理解した。
アダムとイヴの子供は、近い血縁者同士で、子供を生さねばならなくなるという事を。あくまで、アダムとイヴの子供が男1人、女1人の場合だが。
近い血縁者との間に子を生す。
それは、とてもリスクが高い事だ。
近親者である両親の共通の劣性遺伝子を子が受け継ぎ、障害者となったり、最悪の場合は1歳未満で死亡する可能性が高まるからである。
「そういう事だ。さて、説明が終わったから……オオカミ退治に行くとするか」
情報の整理と説明がようやく終わり、ハヤトは1度伸びをしてから椅子から立ち上がると……なぜか自分の背後の壁に右手を押し当てた。
ハヤトがいったい何をしているのか、かなえにはワケが分からなかった。
だがその疑問は、直後に解決した。
まず初めに、ハヤトが右手を当てている部分の壁に、ハヤトの手より少し大きい四角い切れ目が入り、その部分の壁がガコンと音を立てて沈んだ。
次に、壁に縦一文字の切れ目が入り、まるで自動ドアの如く、その切れ目を中心として壁が左右にスライドした。
かなえはその仕掛けに、目を丸くした。まるで忍者屋敷……というよりもSF系の作品に出てくる、本格的な隠し部屋である。
左右にスライドした壁の向こうには、畳一畳分の広さの小部屋があった。剣道場などのように、そのほとんどが木で造られた部屋だ。
部屋の正面の壁には、鞘に収まった状態の、二振りの日本刀が置かれた刀掛けが取り付けられている。ハヤトの目当ては、おそらくこの日本刀だろう。
「な……ななななななあああああぁぁぁぁあああああーーーーッッッッ!!!?」
「大きい声出して驚くなそして慌てるな」
あまりにも驚愕の事態が連続したがために驚いたかなえに、ハヤトは両手で耳を塞ぎながらピシャリと言う。そして二振りある日本刀の内の一振りを手に取り、彼は呟いた。
「久々にコイツの出番が来たな」
その言葉を聞いてかなえは、前にも使った事があるのかと、心の中でまたしても驚愕した。