亜貴の過去
19年前
「アタシ、亜貴のお嫁さんになりたい」
その言葉が、全ての始まりだったのだろうか?
場所は、亜貴が昔住んでいた実家。
その実家で、当時11歳であった亜貴は、家に居ても暇だからという理由で自分の家に遊びに来た、
当時5歳だった幼馴染の多貴子から、突然そんな衝撃的な言葉を受けた。
しかも、コップに入れたオレンジジュースを飲んでいる時に。
そして亜貴は皆の想像通り、その場でムセた。
「ヴエッゴホッ!! カハッ……ハァ……い……いきなりお前なに言ってんだ?」
苦しさのあまり、ちょっと涙目になって、亜貴は多貴子に尋ねた。
すると多貴子は、亜貴がムセたせいで顔に少々かかったオレンジジの汁をペロリと舐め、
「だってなりたいんだもん。しょうがないじゃない」
顔を赤らめながらも、真剣な眼差しで亜貴を見つめた。
お前は本当に多貴子なのか、とその瞬間、亜貴は何度も思った。
なぜならその真剣な目の向こう側に、なにやら混沌にも似た……
口では説明できないような、そんな気味が悪いナニかが在ったような気がしたから。
おまけに亜貴がムセたせいでかかったオレンジの汁を舐めるなど、普通ではない。
いやそれ以前に、亜貴はこんな多貴子を知らなかった。
「どうしたの亜貴? せっかくアタシ告白したのに、返事はそれだけ?」
まだ少々オレンジの汁がかかった顔を亜貴に近付けようとする多貴子。
しかし、さっきも言ったが亜貴は11歳。多貴子は5歳であり、身長差はそれなりにある……
ハズなのだが、多貴子から発せられる気迫のせいなのか、
亜貴は背の低い多貴子に脅威を感じた。
言っておくが、亜貴はロリコンではない。
だが、今この場に居る多貴子にずうっと迫られ続けたら、
自分の将来がとんでもない事になるような予感がしたので、亜貴は勇気を振り絞り、
「そうだな。お前の名前が世間に知れ渡ったら、嫁として貰ってやるよ」
どうせ叶いっこない条件を付けてやった。
ちなみに多貴子は、顔はいい方だが、世間に名を知られるレヴェルではない。
多貴子と同じレヴェルの女の子はこの世界にはたくさん居るのだ。
その内の、世間に名前が浸透するレヴェルまで達するのは、ほんの一握りだ。
そんな厳しい世界で、多貴子が有名になるなど、到底ムリである。
「……分かった。アタシが有名になったら、貰ってくれるのね?」
「ああマジだ。男に二言はねぇよ」
無表情で俺に問う多貴子に、亜貴はポケットから出したハンカチで、
多貴子の顔にいまだ付いているオレンジの汁を拭き取りながらそう返した。
この時亜貴は、本当にそんな条件を、多貴子なんかがクリアできるとは全然思っていなかった。
だがバカだった。亜貴は多貴子をはナメてた。多貴子の――――〝怖いくらいの本気〟というヤツを。
12年後
亜貴は、行動力などの高さを見込まれ、とある〝結社〟の社員となっていた。
一応言っておくが、世界を裏で支配しているとか、そういう悪の秘密結社的な所ではない。
世界規模の結社という所は同じではあるが、その仕事内容は、
世界中の情報を掌握し、依頼を通じて世界中で起きる事件を解決に導く……そんな事をする結社である。
そんな結社の男性用トイレの中にて、亜貴は用をたしている最中、
同じく隣で用をたしている上司に、突然こう尋ねられた。
「おい亜貴、篠崎って人を知ってるか?」
「誰ですかソイツ?」
知らない名前であった。
「今から13年前に結社を辞めた……俺の元上司で、この日本支部の支部長候補だった人だ」
「この結社を……辞めた?」
「ああ。本部に居る『総統』の休暇中に、辞表を本部の『総統』の机に置いて、そのまま」
「なんでその人辞めたんですか? っていうかどうして俺にそんな話を?」
「まぁ話を聞け」
そう言って亜貴の上司は、用をたし終えチャックを閉め、洗面所で手を洗いながら、
「なんでも……と言っても尾ひれが付いた噂だろうが、
『俺はこういう組織とかっていうのは苦手なんで。それに俺には、ペットや家出人の捜索とかの、下町で起こるような〝小さい事件〟を解決する方が性に合ってるんで辞める。』
と辞表に堂々とした字で書いてあったそうだ」
「もったいないですね。せっかく支部長候補まで上り詰めたのに」
「いや、でも分からなくも無いよ。あの人の言い分は」
「えっ?」
「いやだから、組織という所に所属していると起こる……なんと言うか……息苦しさ?」
亜貴は、なんとなくだが分かった気がした。
「とまぁ、過去にそんな事があったから言っておく」
とそこまで言うと、急に亜貴の上司は、真剣な顔になった。
そして1度深呼吸をすると、亜貴にこう言った。
「お前は俺の前から居なくなるなよ?」
え゛? なんですかなんですか? 俺にはそういう趣味はありませんよ?
いきなりで、しかも意味深な台詞だったので、亜貴は思わず深読みしてしまった。
すると亜貴の上司は、ジロリと亜貴を睨んで、
「……お前、今失礼な事を考えたろ?」
「い……いえいえなにも?」
図星だったので、亜貴は慌ててしまった。
結社の仕事上、社員のほとんどが、人の心をある程度当てる術を身に付けている。
なので少なくとも社内では、迂闊に自分の気持ちを顔に出してはいけない。
入社して間もない亜貴は、改めて、入社してから上司にそう言われた事を、改めて思い返した。
上司は手を洗い終え、フゥと息を吐くと、話を続けた。
「……まぁいい。とにかくお前は、その篠崎さんと同じように、
結社の仕事をちょっとナメてるというか……まぁ入社して間もないから仕方ないかもしれんが、
『自分や自分の周りに危険が及ぶ可能性があれば、あまり事件に深入りしたくない』
とか思っている所があるからな。一応言っといたまでだ」
そしてハンカチで手に付いた水滴を拭きながら、最後に上司は、亜貴にこう言った。
「ああそうだ。あと支部長が言ってたぞ? お前は篠崎さん以上の原石かもしれないってな」
……嬉しい事言ってくれるじゃねぇか支部長。
亜貴は顔に出さずに、心の中でそう喜んだ。
帰宅時間
仕事の都合上、世界の大きな事件ばかりに目を通していたばっかりに、
自分の身の回りで起きていた小さい事件の事など、亜貴は知りもしなかった。
故に、帰りにコンビニの前を通った時、中学校入学時から高校卒業まで度々やった、
漫画雑誌の『立ち読み』を久々にやろうかな、などとかいう気持ちが急に生まれ、
自然にコンビニの中に入り、雑誌コーナーへと向かった時――――亜貴は驚いた。
なぜならとある少年誌の表紙に、見知った顔が載っていたのだから。
「……ウソだろ?」
そう。その表紙には、なにを隠そう〝多貴子〟の姿があったのだ。
人違いではない。ちゃんと表紙にも多貴子の当時のフルネーム『隅谷多貴子』という文字があった。
ちなみに今は夏。その為か多貴子は、その少年誌の表紙でビキニタイプの水着を着ていた。
ちなみに、出るとこ出てて、引っ込んでるとこはちゃんと引っ込んでいる。
っていうか、雑誌のグラビアモデルって……マジかよ?
亜貴は目を丸くしながら、雑誌の表紙を眺めた。
亜貴が多貴子と最後に会ったのは、亜貴が東京の高校に見事合格し、
『イェイ! 念願の1人暮らしだぜぇ!』などと浮かれながら、東京の新居に引っ越す前の日だ。
ちなみになぜ15歳くらいでの1人暮らしを親が許してくれたかと言うと、
亜貴に、親に認められる程の生活力があった為だ。
その時多貴子は……確か9歳で、歳相応のプロポーションだったんだが……女って、変わるモンだな。
いや、俺が変えたのか? 小さい時、俺と多貴子の人生を左右しかねない約束をしちまった……気がする。
小さい時だったからあまりよく覚えていないが……おいおいおい。
まさかとは思うがアイツ……その約束を守って!? って、考え過ぎか?
驚きのあまり、いろんな事を一気に思ってしまったが、亜貴はとりあえず落ち着き、
自分が知らない間、多貴子になにがあったのか、とりあえず調べる事にした。
すると、幼馴染の自分ですら知らなかった、多貴子の事をいろいろ知った。
多貴子の両親が、亜貴と多貴子が知り合ってからしばらく経ってから離婚していた事。
父親が家を出て行き、残った母親から……暴力こそ無いものの、ほとんど育児放棄状態であった事。
母親が別の男と知り合い、ほとんど家に帰って来ない日が続き、
多貴子が16歳になった時、ついには書き置きだけを残して失踪してしまった事。
そんな絶望の中で唯一の心の拠り所であった、幼馴染であり、兄のような存在でもある大好きな人の事。
その人に相応しい人になる為だけに、様々な努力をしている事を。
「……なんてこった」
パソコンの画面を眺めながら、亜貴は思わず呟いた。
同時に、亜貴は多貴子のこの一途な想いに対し、どう応えればいいのか、大いに悩んだ。
一応言っておくが、亜貴は別に多貴子が嫌いなワケではない。
むしろ好きであるが、それは幼馴染として、であるし、
その好き以上に、亜貴は多貴子に対して苦手意識もあった。
俺はアイツの気持ちに……応えるべきなのか?
でもその苦手意識も、多貴子と距離を置いていた為か、
それとも多貴子の過去を知ったせいか、徐々に無くなりつつあった。
しかし同情にも似た今の気持ちで、アイツの気持ちを受けて、アイツを――――多貴子を幸せにできるのか?