Episode004 天宮家の進む道
5月10日(火)
「じゃあ、今日の授業はここまで」
転校したばかりのかなえにも一切の容赦なく大量の宿題を出し、そしてハヤトの夜の仕事を目撃するキッカケを作った、学校一厳しいと有名な数学教師・服部光信は、自分用の教科書や参考書を整理しながら、生徒達に授業の終了を告げた。
生徒達が終礼の挨拶をする。
同時に2時間目の終礼のチャイムが校舎中に響き渡る。
するとそれを合図に、光信先生はスタスタと教室から出て行った。
チャイムが鳴り終わると、ハヤトはまた、自分の腕を枕にして眠りについた。
昨夜も遅くまで、かなえが目撃した夜の学校での仕事をこなしていたのだろう。
一方でかなえは、椅子に座りながら考えていた。
これから自分は……いや、自分の家族はどうするべきなのかを……。
とその時だった。
「な~~に落ち込んでんのよ? 悩み事だったら私に話してよ? 力になれるかもしれないわよ?」
かなえの隣の席の伊万里優が話しかけてきた。
聞く者全てに元気を与えるような、明るい声であった。
今のかなえにとって、これほど心強い言葉はない。彼女になら話していいかも、と一瞬思うほどだ。
しかし同時に、かなえは思う。
(優ちゃんにこんな話をして……本当にいいの……?)
昨夜かなえがハヤトから聞いた話によれば、この星川町は異星人――地球外生命体が住む町。有名どころの都市伝説によると、アメリカ大統領と繋がりがあるだとかイギリス王室を乗っ取っているとかいう、怪しげな噂が絶えない存在が居る町。
特撮ドラマやSFアニメでは多くの場合、地球を侵略しようとする敵として登場する存在が居る町。
ようは異星人という未知の存在が、この町では地球人の日常の一部となっているのだ。にも拘わらず、目の前でかなえを見つめているかなえの友人は、昨日と同じ笑顔をかなえに向けていた。
なぜ、未知なる存在がすぐそばに居るという状況下で、そこまで平常心を保てるのだろうか。かなえには理解できなかった。
普通であれば、自分とは異なる存在がすぐそばに居れば、恐怖心が芽生えるハズなのに……。
もしかしたら、優はこの町に異星人が住んでいる事を知らないのだろうか。
もしくは逆に、優がハヤトの仲間なのか。
(でも、優ちゃんに限って……そんな事……)
どちらの可能性も、あり得ない事は無い。
しかし、かなえはどちらも信じたくなかった。たとえ友達になってからまだ1日しか経っていなくとも、彼女を大切な友達だと思っているからだ。
だがいつまでも答えを聞かなければ、知らなければ……余計に恐怖を覚えるのもまた事実。
なのでかなえは、思い切って優に話してみる事にした。
「この町の事……昨日コイツからいろいろ聞いたの」
かなえは後ろの席のハヤトを一瞥しつつ、優にそう告げた。それだけで充分だと思ったのだ。
もしもこの町の事を知らないならば、何の事かと訊いてくるだろう。
もしも知っていたのであれば、何らかのアクションを起こすハズである。
かなえは返事を待っ……いや、待つまでもなかった。
突然優の顔が……笑顔から、真剣さが滲み出る無表情な顔に変わったのだから。
「そう。で、どうするの? この町に住む?」
「えっ!?」
まさかの、冷静なる質問返し。かなえの嫌な予感は当たってしまった。
優は星川町の秘密を知りながら、地球人の側からすれば、未知なる存在である異星人がこの町に住んでいる事を知りながら、この町に住んでいた。
「っていうか優ちゃんは何も感じないの!?」
かなえは叫んだ。
心の奥底にある、異星人達への……未知なる存在への恐怖を吐き出すように。
「宇宙人が住んでるのよ!? この町に! あっ、まさか……」
とそこで、かなえはふと思い至る。
なぜ優が……異星人が住むこの町で、平然と過ごせていたのか。
それは、即ち……。
「ま、さか……優ちゃんも……?」
かなえは優から遠ざかるように、窓際の壁に寄りかかった。
優という存在も、もしかすると未知なる異星人ではないかと思ったのだ。
だが予想に反し、優は嘆息すると、
「いいえ。私は地球人よ」
そう答えながら、目を瞑り、首を横に振った。
けれど、その答えでは余計に納得がいかないかなえは「だったら、なんで宇宙人と一緒に居て、何も感じないの!?」と、すぐに質問する。
「かなえちん……あなたが出会った異星人の中で、あなたに何か……襲ってきたりした異星人は居たの?」
しかし質問はまた、質問で返された。
淋しそうな目で、かなえを見つめながら。
「えっ?」
それ相応の返答があるものと思っていたかなえは、一瞬、面食らった顔をした。
けれど再び質問したところで、納得がいく返答があるとは限らない。そう思ったかなえは、律儀にも言われた通り思い返してみた。
どう思い返しても、異星人に襲われたりした覚えは無かった。
でも、
「無いけど……それが何!? 相手は宇宙人なんだよ!?」
かなえは強く主張した。
そう、相手は異星人である。地球人のように見えて、地球人とは全く異なる誕生経緯を持つ生命体である。地球人と同じように知恵を持つ、知的生命体である。
もしかすると、地球人の寝首を掻き、地球に害悪をもたらすかもしれない、未知の存在である。それなのに、なぜそんな存在を信じられるのか。
かなえには、優の考えが理解できなかった。
すると優は、今度は蔑むような目でかなえを見つめ……昨夜のハヤトも発した、まるで氷のように冷たい声で言った。
「何もしていないのに、その存在自体が罪みたいな事言って、あなた……人として最低ね」
「えっ? 優……ちゃん……?」
突然の優の豹変に、かなえは困惑した。
まるで罪人を見ているような冷えた眼差しであった。
先ほどの無表情への豹変も怖かったが、今度のはそれ以上に怖かった。
もしかして目の前に居るのは、昨日一緒にゲームセンターに遊びに行った、この学校での最初の友達ではないのではないかと。友達の皮を被った、別の存在なのではないかとさえ思ってしまう。
しかしそんなかなえの考えなどどうでもいいとばかりに、優は右手の人差し指を友人へと向け、言い放つ。
「あなたのような人が居るから、せっかく歩み寄ろうとしている異星人達は私達に歩み寄れないんじゃないッ」
次の瞬間。かなえは自分の心に、ズキッとくる衝撃を感じた。
まるで、悪いのは全面的に自分である事を、思い知らされたかのような感覚だ。
しかし優は、そんなかなえの事などお構いなしに……さらに話を続けた。
「別に彼らは地球を侵略したいワケじゃない。私達と仲良くしたいだけなの」
「えっ? な……なんでそんな事が分かるの!?」
「目を見れば、それくらい分かるわよ」
優は不敵に笑うと、かなえの横に立ち、1人のクラスメイトを指差した。
背が175cmくらいある青髪の少年だ。自分の机で本を読んでいる。本が好きなのだろうか。
「彼の名前はラドゥー=ロウシャウ。惑星アーシュリー出身の人よ」
「えっ!? あの人も宇宙人!?」
「そうよ。それじゃあ彼の目を見て。アレが侵略を企てている人の目かしら?」
かなえはラドゥーの目を見た。
その目は純粋そのもので、侵略を企てているようにはちっとも見えない。
「……見えない」
かなえは正直に答えた。
「じゃあ次はアイツ!」
優が次に指差したのは、キレイな橙色の髪をした、3人の女友達と喋っている、背が低めの女の子だ。
「彼女の名前はエリュリス=ヴァネリア。惑星カウラドナ出身の人よ」
かなえは彼女の目も見た。
彼女の目も、純粋そのものであった。
「どう? この町に住み続ける? これだけ言って住みたくないって言うなら、私は別に止めないわよ?」
優は不敵な笑みを浮かべたまま、かなえに言った。
するとかなえは、そのまま考え込んでしまった。
異星人に対する恐怖が、まだ完全には無くなっていないのだろうと優は思った。
そしておそらく、結論を出すには休み時間だけでは足りないだろうとも思った。
だけど優は気長に待つつもりであった。たとえかなえが、どちらを選ぼうとも。
かつての星川町には、幾多もの出会いと別れがあったのだから。
しかしそんな優の予想に反し、すぐにかなえから答えは返ってきた。
「……私、この町に住んでみようと思う」
まるで吸い込まれるような、かなえの覚悟を決めた目が、優を見つめている。
「正直、まだ宇宙人の事が怖い。でも、ずっとそのままじゃ……私は前に進む事ができないから」
※
「…………はぁ」
香織は己と夫が勤めている星川総合病院の中庭のベンチの上で溜め息を吐いた。まるで赴任して早々、鬱病になったかのような深い溜め息であった。
そしてそんな気怠げな香織は、自分の隣に座り、同じく気怠げな様子の夫の哲郎に、不安そうな顔をしながら訊ねた。
「ねぇアナタ、これからどうするの? この町に残るの?」
昨夜ハヤトからこの町の秘密を知らされてから、娘のかなえと同じように、2人も悩んでいた。
当然だろう。
異星人という未知の存在が。自分達と同じ知的生命体であるが、その誕生経緯が大いに異なる生命体が。自分達地球人の寝首を掻く可能性がある、信用しきれない相手が。
何食わぬ顔で住んでいるこの町で、これからも住み続けるのかどうか……それを問われているのだから。
妻に問われた哲朗は、遠くを見ながら逡巡した。
そして考え抜いた末に……ポツリポツリと、何を、どう話すべきかを考えながら話し出した。
「俺、この町に住んでもいいんじゃないかって……昨日の夜、ふと思ったんだ」
「えっ!?」
香織は、まるでこの世の終わりでも見たかのような顔で哲朗を見た。まさか夫がこの町に対して好印象を抱いているとは思えないが、それでも、そんな意見を夫がするなどとは微塵も思っていなかった。
そんな妻の事を知ってか知らずか、哲郎はさらに言葉を続ける。
「確かにこの町には、ハヤト君の言う通り、宇宙人が住んでいる。でも、俺達と同じ容姿だし、宇宙人だなんて思わなければやっていける……そう思えてきたんだ」
「……本気なの?」
あまりにも楽観的過ぎる意見であった。もしかすると、その異星人の何食わぬ顔は偽りの顔で、いずれは自分達に害悪を及ぼさんと、心の奥底では思っているかもしれないのに。
「ああ。慣れるまでに時間は掛かるだろうけどね……ハハ……」
「アナタ……冗談よね? 冗談だって言ってよ……」
香織は哲朗に、冗談だと言ってほしかった。
彼女はかなえと同じく、異星人という、自分にとって常識外れな存在に対して、恐怖していた。できれば家族全員でこの町を出て、他の場所に移り住みたかった。
香織にとって、哲朗だけが頼りだった。
なのに、裏切られた。
香織はその事に、深い怒りと悲しみを覚えた。
そして彼女は、自分の中で沸き起こる感情に任せて、哲朗に罵声を浴びせようとした……まさにその時だった。
「お2人さん、もうすぐ休み時間終わりますよ?」
2人の背後から、2人にとっては既に聞き慣れた声が聞こえてきた。
ハッとして、2人はすぐに後ろを振り返った。
するとそこには、ハゲかけている頭と、額縁眼鏡が特徴の、50代前半の医者が立っていた。2人の上司である本城礼治先生であった。
「「本城先生!?」」
自分達の背後に突然上司が気配も無く現れたため、哲朗と香織は仰天した。
「隣、いいかい?」
しかしそんな2人の心境などお構いなしに、そして2人の返事を待たずに、本城先生はなぜか、病院の中庭のベンチに座る2人の間に無理やり割り込み、座った。
「「ちょ……本城先生!?」」
2人はさらに驚いた。
なんて非常識……というかそれ以前に、なぜ並んでいる2人の間に無理やり入るのだろうか。もしや彼なりのスキンシップであろうか。そうであったならば間違いなくセクシャルハラスメントと呼ばれるスキンシップであろう。
「なぁお2人さん、医師や看護師が1番やっちゃいけない事ってなんだと思う?」
「「えっ?」」
けれど当の本城先生は、過剰なスキンシップをしているという自覚が無いのか、自覚した上でそうしているのかは不明だが、とにかく過剰なスキンシップに対する詫びなど全くせず、それどころか天宮夫妻に、今の流れからして全く脈絡があったとは言い難い質問をした。当然2人は困惑した。
しかしそんな2人を余所に。そんな2人よりも先に……本城先生は自分の出した問いに答える。
「それはな、命を差別する事だ」
「「!?」」
なんとも自分勝手な話の流れであった。だがその流れの中で告げられた答えは、2人にとっては聞き捨てならないモノであった。
2人は思わず目を見開きながら、本城先生の話に耳を傾ける。
「病院は人の命を扱う『絶対の聖域』と言っても過言じゃない場所だ。そしてその聖域の中では、たとえ患者がどんなご身分であろうとも、その命は平等だ」
そして本城先生は一息つくと、さらにこう言った。
「それは、異星人も同じじゃないのかい?」
「「!!」」
哲朗と香織は、その言葉に心を打たれた。
異星人にだって、命はある。
自分達地球人と同じ、命が。
なぜ今まで、そう思わなかったのだろう、と2人は同時に思った。
そして本城先生は、言いたい事を2人に伝えるとゆっくりと立ち上がり……病院の出入口へと黙って歩いて向かった。
※
そして、運命の日は訪れた。
「で、どうします? やっぱりこの町から出て行きますか?」
星川町の秘密を告げた3日前と全く同じ位置で、己の話を聞き届けるかなえ達にハヤトは訊ねた。
空気が、張り詰めていた。
普通であれば、誰もが口を噤むような雰囲気であった。
だがそんな状況の中、なんと哲朗が最初に口を開く。
「いや。私達家族はこの町に残る」
それは、揺るぎが感じられない、とても力強い返事だった。
とても3日前まで、自分達が知った異星人絡みの事実を前に混乱していた男性と同一人物だとは思えないくらいに。
「宇宙人だとはいえ患者は患者。患者を見捨てちゃ、私達、医者と看護師失格よ。ねっ?」
夫に続き、今度は妻の香織が、夫に目配せしながらそう言った。
哲郎に比べると、そこまで強い答えとは思えない、空元気のような返事であったが……ハヤトは、いずれ乗り越えられる可能性のある返事だと思った。
そして、最後にかなえも告げる。
「私、この町の中学校に転校して……前の中学校と同じくらい……ううん、もっと素晴らしい友達が出来た。その中には宇宙人も居るけど……私は、それでもみんなと別れたくない」
それは、父・哲郎以上に強い決心が感じられる返事だった。
父親と同じく、3日前の、異星人という存在を前にして混乱の極みに至っていた少女と同一人物だとは到底思えないほどだ。
「……そうですか」
3人の好意的な返事に、ハヤトは笑みを見せる。
そう決断をしてくれて、とても嬉しいのだと……誰もが分かる笑みだ。
そして彼は、かなえ、香織、哲朗へと、改めてこの言葉を告げた。
「では改めまして……天宮さん、星川町へようこそ!」
※
「ハヤト君、次の段階に進むのなら予め言ってください。水臭いですよ」
3日前。
運動場に無事着陸した貨物宇宙船をかなえが目撃する、数分前の事。
貨物宇宙船を中学校の運動場へと誘導するための、赤い光を灯す2つの異星製特殊誘導灯が、運動場の中心にてチカチカと点滅している。
誘導灯を持っているのは、中学生にして【星川町揉め事相談所】の所長を務める光ハヤトと、星川町の町長補佐こと黒井和夫の2人である。
地球へと突入する際の角度調整のため、空の彼方――衛星軌道上で待機している貨物宇宙船が、地球への正しい突入をする際の角度を計算し、さらには地上の誘導灯に気付くまで、まだ数分の時間がある。
地球製のよりも高い演算能力を持つコンピュータを備え付けてある上に、地球製よりも遥かに頑丈な異星製の宇宙船ではあるが、それでも大気圏突入が命懸けなのは、地球のロケットと同じなのである。
しかしただ待っていては暇なので、その時間を使って和夫はハヤトに話しかけたのだ。
いきなり〝計画〟が第二段階へと移行した事についてを。
するとハヤトは一瞬、体をピクリと震わせ、動きを止めた。
動揺しているのだろうか。しかしすぐに、ハヤトは口を開いた。
「すみません。本当は今年4月から移行していたらしいんですが、どこかで連絡が途切れていたようで……俺も今日、初めて知りました」
「なるほど。組織っていうのは大きくなればなるほど、複雑になりますからね」
「まったくです」
「それでも……できれば、移行しそうな兆しがあった時は、予め言ってください。話しちゃいけない事まで話すところでしたよ」
「すみません。次からは気をつけます」
とその時だった。
夜空の中に、不自然な動きをする謎の光が現れた。
明らかに流星ではない。ようやく大気圏に突入した貨物宇宙船である。
するとハヤトと和夫は、すぐに気持ちを切り替え……異星製特殊誘導灯を振って貨物宇宙船を誘導する仕事に取り掛かった。
校門の外に、かなえが居る事に気付かずに――。




