Episode022 来訪者の思い
10年前。
ある事件を境に、惑星アルガーノは変わってしまった。
地上に多くの犯罪者が蔓延り、弱い者から消えていく。
そんな、強者しか生き残れない――弱肉強食の世界に。
ジェイドは、そんな己の故郷の変わり様を見ながら生きてきた。
彼もかつては、惑星アルガーノで平凡に生きる家族のもとに生まれた男だった。
と言っても、元々他の有人惑星と比べて、惑星アルガーノはまだまだ発展途上であったため、地球で言うところの、SFというジャンルの中に時折登場する近未来的な生活水準ではなく、人間がまだ機械に頼っていないどころか発明すらしてない時代とほとんど同じ生活水準であったのだが……彼も例に漏れず、そんな昔ながらの生活をしている1人だった。
だが10年前の事件を境に家族を失い、そして自身も追い詰められたその時……彼も変わってしまった。
生きるためならなんでもした。窃盗。強盗。恐喝。他にもいろいろやった。
沸き起こる罪悪感を抑え、自分にできる限りで、様々な犯罪に手を染めた。
でもジェイドは、自分より弱い者達に対し、1回もそれらをやらなかった。
手応えが無いから? 違う。
強者に対しての憎しみ? 違う。
たとえ世界が変わってしまっても。
たとえ自分が犯罪者に変わってしまっても。
彼の心にはまだ、最後の一線を踏み越えたくない思いがあったのだ。
他の強者達のように、弱者を食い物にして生き残りたくなかったのだ。
だから、敢えて彼は強者を標的にした。
それは、このクソッタレな世界への……ちっぽけながらも立派な反抗だった。
当の本人に、その自覚があったかどうかは分からない。
だが少なくとも、彼を知っている者達にとって、彼は自分達を代表する反抗者であり――希望だった。
だからだろうか。そんな彼のもとに、いつしか共に世界を変えたいと願う者達が集まり、ついには自警団のようなモノが出来上がった。
口にこそ出さなかったが、ジェイドは嬉しかった。
志を1つにし、共に戦ってくれる仲間が出来た事が。
だけど、その幸せは長く続かなかった。
いつから、狂ってしまったのだろうか?
◆ ◆
現在 11時25分
「…………はっ!?」
町立星川中学校の保健室のベッドの上で、ジェイドは目を覚ました。
同時に気絶させられた直後の記憶が脳内でフラッシュバックし、ジェイドはすぐに、己を一撃で倒したハヤトを追わねばと、慌てて上半身を起こした。
だがその直後、ジェイドの腹部に激痛が走る。ハヤトの正拳突きによる痛みが、まだ残っていたのだ。
「うぐっ」
あまりの激痛に、ジェイドは呻き、苦悶の表情を浮かべた。
地球人で言うところの盲腸などの病気ほどの痛みではない。だがそれでも普通であれば安静が必要なほどの痛みだ。
ハヤトの正拳突きにより、攻撃された部位の下にある内臓か骨が損傷しているのかとジェイドは一瞬思ったが、上着をめくって自分の腹部を確かめると、青アザが出来ているだけでそこまで深刻なダメージは無い。
「……なら、まだ戦える」
ジェイドは自分に言い聞かせるように、呟いた。
彼にとってはこの程度の傷など、敗北の経験など、再戦を申し込まない理由にはならないようだ。
「待ってろハヤト。今度こそ……俺が……ッ」
故にジェイドは、腹痛に顔をしかめながらも、強引に自分の体を動かす。
しかしその直後。
運が良いのか悪いのか。保健室のドアが開き、そこから入ってきた養護教諭が、彼を優しい声色で「こら」と制止する。
「まだ安静にしていなきゃダメよ、ジェイド君?」
両腕を組みながら、養護教諭は困った顔でジェイドを見た。
ハタから見れば、学校の生徒ではない少年に対して養護教諭がここまで普通に、しかも保健室で話しかけているこの場面は、日本全国探しても、あまり見かけない珍しい光景である。
もしかすると、ジェイドの存在が優やリュン、そしてユンファに知られている事からして、彼が保健室に運び込まれた事は1度や2度ではないのかもしれない。
少なくとも、3人がジェイドの再登場を待ち望むほどには適度に訪れ、その度に病院や保健室の世話になっているのだろう。
「まったく、毎度毎度ハヤト君と喧嘩して」
養護教諭は1度嘆息すると、再び話し出した。
「っていうか、ハヤト君もハヤト君よ。ジェイド君と会うたびにジェイド君にケガを負わせて。ジェイド君を治療するコッチの身にもなって欲しいわ。あ、でも逆にハヤト君が負けても結果は同じ……よねぇ?」
「……先生も、相変わらずオネエ口調だな」
ジェイドは目の前に居る養護教諭を、真顔で見ながら言った。
町立星川中学校で養護教諭を務めているのは、富士岡真琴という名前の……一応男性である。
スキンヘッドな事と、ジェイドが言ったようにオネェ口調が特徴である端正な顔立ちの30代前半の男性だが、本人によればオネェ口調はただ趣味で常日頃使っているだけであり、別に同性愛者ではないため、普通に星川中学に採用されたという変わった経歴を持つ教諭だ。
「そんな事はどうでもいいでしょ?」
真琴先生はジェイドの言葉に動じる事なく、腕を組みつつ溜め息を吐いた。
「まったく。そもそも貴方が毎度毎度ハヤト君に襲い掛からなければ、こんな事にはならないのに」
「アンタが言うと変な意味に聞こえるな」
「なっ!? ひっどぉ~~い!」
真琴先生は、ジェイドの皮肉が込められた返事に少しばかり傷付いた。
だがジェイドは『んな事知るか』と言わんばかりに彼の言葉をスルーした。
代わりに腹を中心に広がる激痛に顔をしかめつつ、歯を食い縛って我慢すると、ゆっくりとベッドから降りて歩き出す。
「もう歩けるの? さすがアルガーノ星人。タフネスね」
だが真琴先生はそんなジェイドの事を止めなかった。
養護教諭として、彼を止めたい気持ちは勿論あった。
だがそれ以上に、彼の気持ちを尊重したかったのだ。
彼の故郷で起こった事、そして彼がハヤトと戦いたいその理由を、ジェイド自身から聞いて知っているが故に。
「タフネスだろうがそうじゃなかろうが、俺は倒れるワケにはいかないんだよ」
話す余裕が出てきたのだろうか。ジェイドは言葉を返した。
「ていうかそれ以前に、あんな光ハヤトに瞬殺されて、おちおち寝ちゃいられねぇんだよ」
そして最後にそう言うと、彼は保健室のドアを開け、ハヤトを捜しに行った。
※
同時刻
4時間目は体育で、内容は身体力測定だった。
みなさんご存知の通り、男子と女子、別々に分かれ、運動場と体育館を使い、今の自分の身体能力を測る授業である。
「位置について、よーい……」
既に『50m走』のタイムの測定を終えた1人の男子生徒が、教師の指示に従いスターターピストルを片手に、スタートラインの横に立った。
彼はピストルを持った利き腕を天に向け、その腕をそのまま耳に押し当てて塞ぐと、反対側の耳も余った方の手の平で塞ぎ、ピストルの引き金を引いた。
パンッ、と乾いた音が周囲に響く。
同時に、2人の走者が全速力で走り出した。
ハヤトと、カルマだった。
走る生徒達は番号順2列で並んでおり、必然的に『ひ』から名前が始まるハヤトと『ふ』から名前が始まるカルマが一緒に走る事になったのだ。
結果は、ハヤトがスタート直後からカルマを大きく引き離しそのままゴール。
するとその事実に、カルマは目を丸くするほど驚愕した。そして驚愕したまま、彼もゴールすると……息切れしながらもハヤトに訊ねた。
「って、お前……ハァ……いつの間に……ハァ……あんなに速く……ハァ……走れるように……? 最後に……かけっこした時も……フゥ……確かにお前が速かったけど……ほぼ同じくらいの速さだった……ハズ……」
「…………あれから……いろいろあったから……な」
「……そっか」
カルマはハヤトの気持ちを考え、すぐに会話を終わらせた。
たとえ親友であろうと、話せない事もあるのだと。
己の力が及ばない何かが、ハヤトの背景にはあるのかもしれないと……自分自身に言い聞かせつつ。
だけど同時に、カルマは思うのだ。
それをハヤトは、いつか話してくれるかもしれないと。そしてハヤトはそういうヤツなのだと……。
だから彼は、ハヤトが詳しい事を話してくれない事を一切気にせず、一緒に次に測る『走り幅跳び』の測定場所である砂場へと向かおうとした。
だがその時。
「ここに居やがったかぁぁぁぁーーーーーーッッッッ!!!! 光ハヤトォォォォ
ーーーーーーッッッッ!!!!」
ハヤトとカルマの後方から、またあの大声が聞こえた。
「……また出やがった」
普通に終わると思っていた体力測定が、絶対タダでは終わらない事態になる予感がして、ハヤトはげんなりした。
「ていうか、今は授業中だからお前の相手をしている暇は無い」
だが相手にしないワケにもいかないため、彼は見るからに面倒臭そうな顔のまま振り向こうとした。
しかしその直後。
ハヤトは本能的に命の危機を感じ、咄嗟に振り向くのをやめた。
次の瞬間。
風が切れる音がした。
同時にジェイドの拳が、ハヤトの頬を横切った。
あのまま振り向いていたら、確実にハヤトの頬に拳がヒットしていた位置だ。
「おっと!」
「うわっ!」
ハヤトとカルマは、すぐ近くまで来ていたジェイドから離れようと、お互い左右に分かれ、数m距離を取った。
そして改めてジェイドと向き合うと、ハヤトは彼を睨み付けつつ言った。
「……いつも真正面から向かって来ていたお前が、後ろから不意討ちかよ。堕ちたモンだな」
「堕ちたのはどっちだ?」
だがジェイドは、ハヤトの言葉に狼狽える事は無かった。
いやそれどころか、ギリギリ誰にでも聞こえる小さな声で問いかけた。
「…………なに?」
しかしハヤトには、ジェイドの言葉の意味が分からなかった。
だがそんな事は関係無いとばかりに、ジェイドはハヤトに向け、校内に響き渡るくらいの大声で、心の底からの思いをぶちまける。
「1年前まで!! お前は俺と、楽しそうな顔で!! 最長で15分は戦ってくれた!! 今の俺の目標は!! お前を超える事!! だからお前と戦いたい!! そんな俺のワガママを!! お前は喜んで承知してくれた!! でも今のお前の戦い方はなんだ!!? ケンカが始まった直後!! 俺の急所に一撃くらわせてはい終わり!!? フザけんじゃねぇぞ!! いつもお前にくっ付いていた、あのガキが居なくなっちまったくらいで!! お前は俺と戦う余裕さえも無くしちまったのかよ!!?」
(あのガキ? いったい誰の事だ?)
新たに出てきた、自分が知らない時期のハヤトに関する情報に……カルマは困惑し眉根を寄せた。
カルマとハヤトは小学校での親友だ。
当たり前の事だが当然、それ以降のハヤトに起こった事は全く知らない。なので彼は説明を求めてハヤトの方を見た。
「……分かった。お前の望み通り、お前が満足するまで戦ってやろうじゃねぇか」
「「……えっ?」」
だがその直後。
カルマは、いやそれどころかジェイドも困惑する事が起きた。
聞こえてきたのは、先ほど聞いていたハヤトの声とは全く異なる質の声。
まるで地獄の底に封じられた、怨霊達の怨嗟の如き、強圧的な声だった。
ハヤトの声である事は間違い無い。
その声を彼自身が出すのを今この瞬間、直接目撃しているからだ。
しかしそれでも、カルマは、いったい今何が起こったのかを理解できなかった。
否。
正確には――理解、したくなかった。
なぜなら。
目の前に。
――まるで何人も殺してきた殺人鬼の目の如き、突き刺すような眼差しのハヤトが居たのだから。
「……光……ハヤ、ト?」
ハヤトの謎の豹変振りに、ジェイドは先ほどまでハヤトに向けていた怒りをつい忘れ、困惑した。
一方ハヤトは、ジェイドの声を無視して、代わりに殺意に満ちた冷たい眼差しをジェイドに突き刺し、告げた。
「ただし……命の保障はしねぇぞ?」
「えっ!? ちょ、待て光ハヤト! 俺は命のやり取りをしに来たんじゃ――」
「問答……無用だッ!!」
次の瞬間。
ハヤトはジェイドの頬に、目にも留まらぬ速度の右ストレートを食らわせた。