Episode019 異能力よさらば?
5月27日(金) 17時10分
かなえは【星川町揉め事相談所】の玄関のドアの前に居た。
揉め事を持ってきた、などの理由で訪れたのではない。ましてやハヤトに対して恋愛感情的なモノを持ち合わせているから、という理由でもない。
それ以前に、そんな感情なんぞ一切持ち合わせていなかったが。
「まったく、また私を呼び出して。今日はリュンちゃんの退院日だったのに」
揉め事相談所へと通じる道に人が居ないのをいい事に、かなえはその眉間に皺を寄せ、ここぞとばかりに怒りの感情をあらわにした。
かなえがリュンと呼ぶ子は、フルネームをリュン=ミミック=シェパードいう、変わった名前の少女である。
だがこの地球人と異星人が共存する特異な町である星川町では、普通に存在する異星人らしい名前の1つだ。
そう。リュンとは、かなえがこの星川町に引っ越した後に出来た、中学の友達の1人である異星人の少女にして、先日、地球英名で『バスターウォルフ』という凶暴な異星獣に片腕をもがれ、今日までかなえの両親が勤める町内の病院で入院していた少女なのである。
そのリュンが、退院する。
同じくかなえの友達であり、さらにはリュンがバスターウォルフに襲われた現場に居合わせ、精神的ショックを受けて入院していたが、3日前の24日に無事退院を果たした、同じく異星人少女であるユンファ=ミィに次いで……今日退院する。
病院に勤めているかなえの両親から、ユンファの退院の朗報に次ぐ2度目のその朗報を昨日、直接自宅で知らされ、かなえは今まで嬉しさでいっぱいだった。
だがその嬉しさは、1時間ほど前、自分の携帯電話にかかってきたハヤトからの電話により、水を差された。
【星川町揉め事相談所】所長である彼の多忙さからして、ハヤトは仕方なくかなえの携帯電話を通じて、リュンにお祝いの言葉を言おうとしたのでは、と思いかなえは自分の携帯電話に出たのだが、それは間違いだった。
彼はただ、かなえを相談所に呼び出しただけだった。
かなえに関係ある重要なニュースだと、ハヤトは言っていた。だがそれよりも、友達の退院日の方がかなえには重要だった。
さらに言えば、報告など学校でも充分できるので、かなえはハヤトの呼び出しを1度断り、ユンファを始めとするリュンの学校の友達との集合場所に行った。
だが、ハヤトからの呼び出しの電話の事をついユンファ達に愚痴った時「いや、行った方がいいよそれ」や「ハヤト君がそう言うくらいだから、余程の事だよ」と神妙な顔で勧められ、かなえは渋々ここまで来たワケである。
というか、神妙な顔までするほど、ハヤトの事情をある程度理解している友達の勧めでなければ、わざわざここまで来る義理は無い。
「いったい何を見せるつもりなんだか……大したモンじゃなかったら、1発殴ってやる」
友達の退院を祝いに行けない原因を作った事に対して怒るのはごもっともだが、それでも言い過ぎと言ってもいいくらい乱暴な事を言いながら、かなえは【星川町揉め事相談所】のドアを開けた。
所内には2人の人間が居た。
長い黒髪が特徴的な地球人女性と、その女性の相談にのっている、同じく地球人であるハヤトだ。
女性は客人用のソファに、ハヤトは事務仕事用の椅子にそれぞれ座り、深刻な顔で何かを言い合っている。
この事務所の名前からも分かる通り、おそらく揉め事相談だろう。
(もしかするとこれが……本来の【星川町揉め事相談所】の光景なんだろうな)
今までかなえが見てきた限りでは、この揉め事相談所は保健所や警察辺りが担当すべき仕事しかしてなかったので、相談者と向かい合う今の光景はかなえには新鮮に映った。
「――ですからその〝お見合い〟の話、受けるべきか受けないべきか、迷っているんです」
「なるほど。話は分かりました」
だが当のハヤトと女性は、なんと【お見合いの相談】をしていた。
「…………は?」
かなえはその場で固まった。
(ここは揉め事相談所じゃないの? なんでお見合いの相談をしてるの? まさかお見合いで何らかのトラブルでも起こったの?)
明らかにその相談は結婚相談所辺りが担当すべき仕事だった。
またしても畑が違う仕事を請け負う揉め事相談所所長ことハヤトを前に、かなえは呼び出された事に対する怒りなど忘れ苦笑するしかなかった。
(も、もう表の看板を【なんでも屋】にでも書き換えた方がいいんじゃない?)
そしてついにはそんな事まで思ってしまった、まさにその時。
「……ん? ああ、来てくれたか天宮」
ようやくハヤトはかなえの存在に気付き、安堵した表情を見せた。
「すまんが、適当に椅子に座って待っててくれないか?」
だが今は相談の真っ最中。友人よりも客人を優先せねばならないため、ハヤトはかなえにそれだけを言うと、女性との相談を再開する。
かなえは言われた通り、目についた椅子に座って待つ事にした。
「正直言って、あなたのお見合い相手……黒い噂が絶えないですよ?」
ハヤトが神妙な顔で告げる。
「ええっ!? そうなんですか!?」
女性は驚きの声を上げ、不安そうな顔をした。
「ええ。確かに彼は宇宙連邦政府連邦軍の陸軍の大佐……つまりエリートですが」
結構凄い人物に、相談者は見初められたようだ。だが相談者の顔色は優れない。
もしかすると相手は余程の醜男、あるいは性悪な人物なのかもしれない。いや、どちらにせよ、いったい相談者はどこで見初められたのだろう。
「気に入らない奴がいればすぐにその人をバッサリと切り捨てるわ、犯罪者の情報を集めるため、敢えて一部の犯罪者と協力関係を持っているだとか」
次にハヤトの口から出てきたのは、なんとも中学生らしくない怖い説明だった。
そして当然の事ながら、そんな怖い話を面と向かって聞いている相談者の女性の顔は徐々に蒼褪めていき、
「ち……超危険人物じゃないですかぁ!?」
ついには悲鳴にも似た声を相談者が上げる。しかも涙目だ。
相談していなかったら、自分はいったいどうなっていたかと考えると、そういう反応をするのも無理もない。
「ですからお見合い話は、断った方がいいですよ?」
「い……言われなくてもそうします。ご相談、ありがとうございました」
神妙な顔を崩さないまま助言するハヤトに、相談者の女性は気が動転しているのか生意気な返答をしつつ、涙目のまま頭を下げ、すぐに相談所を出て行った。
「ふぅ。町の人が変な犯罪に巻き込まれなくてよかった」
普通の人であればムッとするであろう事を言われたハヤト。
しかしハヤトは女性の生意気な反論など気にせず、ただ星川町とそこに住む町民の安全が保たれた事に安堵した。
この程度の相談者の返答が、日常茶飯事だから慣れているのか。
それともそんな返答が気にならないほど、星川町の平和を保てて嬉しいのか。
それは誰にも分からない。
とにかくハヤトは、安堵した。
だが次に、かなえの座っている椅子を見て、
「ところで、なんでお前が俺の椅子に座ってるんだ?」
安堵の表情から一転。
その顔は険しいモノへと一瞬で変わった。
「それよりアンタ……なんでそんな、一部の人しか知らないようなディープな噂を知ってんのよ?」
だがかなえはハヤトの質問をスルーし、訝しげにハヤトを見ながら逆に訊ねた。
確かに軍部の黒い噂など、一介の相談所の所長どころか、男子中学生が持ちうる情報の限度を明らかに超えている情報だ。
さらにここで、バスターウォルフや車に乗った誘拐犯相手に披露した、ハヤトのトンデモない戦闘力を鑑みれば、彼は明らかに、かなえのような、異能力者である事さえ除けば普通の中学生、な存在よりもさらに異質な存在だ。
いったい、どのような過去を持てばここまで異質になれるのか。気にならない方がおかしい。
「そりゃ、休みの日にいろいろ星を飛び回っていれば……ってそうじゃなくて!」
だがハヤトは普通の人間らしく、ノリツッコミにも似たコメントと共に、かなえに人差し指をビシッと向けた。
これにはかなえも、思わず一瞬拍子抜けした。
だがそのノッた部分の内容が看過できないほど意味深だった事に気付き、すぐに難しい顔に戻った。
「なんで俺の椅子に座って待ってんの!?」
だがそんなかなえの心境など露知らず、ハヤトはかなえに問い質す。
そう、かなえが座ったのはハヤトの椅子。すなわち揉め事相談所のトップのみが座る事を許された、所長専用の椅子だった。
「いや、だってアンタ適当に椅子に座れって」
聞く人によってはあまりにもアホらしい質問だったせいで、再度拍子抜けした事もあり、この質問にかなえは真顔で即座に反論した。
「確かに。でもだからと言ってなんで俺の席!? 他にも椅子あるだろ?」
ハヤトはそんな彼女に負けじと、他の椅子を指差し訊ねた。
「いや……所長の椅子って、どんなんかな~? となんとな~く思って座ったんだけど……割と普通の事務仕事用の椅子だね。だけど座布団かなんか下に敷いた方がよくない? 座り続けてるとお尻が痛くなるよ?」
だがかなえは、あまりにもアホらしい口論を経て、ハヤトの異質さに対する畏怖などが失せたのか、あっけらかんとした口調で答えた。
いやもしかすると、ただ単に普通に答えるのがバカバカしくなった……だけかもしれないが。
「……悪かったな。けどウチの事務所はいろいろな理由で赤字続きなんだからそれくらい多めに見てくれないかな?」
しかしかなえの言葉は、ハヤトにとっては痛恨の一撃のようだった。彼はひどく落ち込み、ダルそうな声を上げる。
いや正確に言えば、ハヤトはかなえの言葉そのものによるダメージを受けて落ち込んだのではない。かなえのコメントで、揉め事相談所が赤字続きである事を再認識し、落ち込んだのである。
「あー……ごめん」
そんなハヤトに、かなえはそう声をかける事しかできなかった……と思ったが、彼女はなぜ自分が相談所に来たのか、その理由を唐突に思い出した。
「あ、そういえば『私に見せたい物がある』って言ってたけど……」
「あ……あぁ。そうだったな」
するとハヤトも、その事を今さらながら思い出し、すぐ気持ちを切り替える。
そして自分のズボンのポケットに手を入れると、中から4つに折ったA4サイズの1枚の紙を取り出した。
「それは?」
かなえが訊ねると、ハヤトは所長用の机にその紙を置き、
「まぁ、読んでみ?」
それだけ言って、紙を広げた。
『異能力研究の権威であるアリアバルト=ストラスト博士が、10日前、異能力をレヴェル0~1まで抑え込む強力なリミッターの開発に成功した』
広げられた瞬間、そのような文章がかなえの目に飛び込んできた。
「こ……これって……」
驚きのあまり、かなえは目を見開いた。
すぐに紙をひったくり、隅々まで目を通していく。
その紙は、材質からして新聞の切り抜きのようだった。書かれた文章は、彼女の知らない専門用語がほとんど占めていたが、かなえにとっての朗報が書かれている事だけは、なんとなく理解できた。
「ああ。昨日貨物宇宙船の船長が持ってきてくれた、日本語翻訳版の他惑星の新聞を読んでいたら、偶然その記事を見つけたから……切り取っといた」
ハヤトは微笑みながら、経緯を説明した。
異能力を使うたびに謎の悪寒や頭痛に襲われ、苦しんでいるかなえを今まで見てきて、どうにかしてあげたいと、ハヤトはずっと思っていた。
揉め事でこそないものの……いや場合によっては悪寒や頭痛のせいで些細な揉め事に繋がるかもしれないが、どちらにせよ、かなえは大事な町民の1人である。
できる事ならばその苦痛を取り除き、この星川町で幸せな生活を送ってもらいたかった。
そんな時に偶然見つけたのが、この記事だ。
星川町は地球人と異星人が共存する特異な町である。その存在は、この地球ではまだまだ不安定で、脆くて、些細な事で弾け飛びかねない爆弾のようなモノだ。
外宇宙の異変によっては、町が多大な影響を受ける可能性もある。よってハヤトは万が一に備え、常に外宇宙の新聞を精読し、情報を集めるのを日課にしていた。
今回はその日課が、かなえに今回の朗報をいち早く知らせる結果に繋がったようである。
「良かったな。もうお前は、自力で異能力をコントロールしなくてもいいんだ」
ようやくかなえの、謎の悪寒や頭痛との戦いに終わりが見え、ハヤトは自分の事のように嬉しく思った。
すると次の瞬間。
かなえの目から、突然涙がポロポロとこぼれ出た。
「えっ!? 天宮!?」
急に泣き出したかなえにギョッとするハヤト。
だけどそれが嬉し涙だと理解すると、再び彼は微笑んだ。
(長かった……本当に、長かった……!!)
ようやく自分の我慢が報われた嬉しさで、かなえは胸がいっぱいだった。
思い返せば、ランスとエイミーを保護して以来、異能力を使う機会は全く訪れなかった。
それは逆に言えば、異星人絡みの事件に巻き込まれていない事であり、これからはいつも通り、平和に暮らせると思っていた。
だがこの異能力『感知』は、かなえが異能力者として未熟なせいか、気を抜けば常に発動状態になるため、この頃、精神的に参っていた。
もしも異能力が発動すれば、悪寒または激しい頭痛に襲われる。
そうなると、両親の勤めている病院に、お世話になりかねない。
かなえとしては……両親に異能力の事を知られたくなかった。もちろん、学校の友達にもだ。
なぜならば、ハヤトを除くみんなが、自分が異能力者だと知って、どう反応するか全く予想がつかないからだ。
良くて、自分の事を心配してくれるだろう。
けど悪ければ、自分を拒絶するかもしれない。
今まで、ずっとそう思っていた。
でも……でもこれで……。
「良かった。本当に……これで、もう……」
涙声を出しながら、かなえはハヤトを見る。
「ああ。もうお前は、異能力のせいで苦しまなくてもいいんだ」
ハヤトは断言した。だがその直後、ハヤトはなぜか眉間に皺を寄せ……口ごもりつつ「……ただ」と付け加えた。
「……ただ? ただなに?」
かなえは途端に不安になり、表情が固まった。
なんらかのどんでん返しが待っているんじゃないかという予感と、それを信じたくない気持ちが両方、己の中で生まれ……彼女はどんな顔をすればいいのか分からなくなった。
一方でハヤトは迷っていた。
ハヤトは今この瞬間に伝えるべき事実を、正直に言えば伝えたくはなかった。
その事実とは、かなえから確実に笑顔を奪う事実。そして同時に、いつかは言わなければならない事実にして、言わなければさらにかなえを不幸にしてしまう事実でもあった。
しかし町民を護る立場上、大切な町民をこれ以上不幸にするワケにはいかない。そう思い直し、ハヤトはついにかなえにその事実を告げた。
「リミッター……1個5万ゲッテルもするんだ」
「……ゲッテルって、なに?」
表情を固まらせたまま、かなえはおそるおそる訊ねた。
ゲッテルとは何なのか。
かなえは大体の見当をつけてはいた。数字の後に付く単語の種類など、そう多くはあるまい。
しかしその予想が間違っている可能性があるため……そうだと強く信じ、敢えて彼女は直球に質問した。
「アリアバルト博士の故郷の金の単位だ。ちなみに1ゲッテルは、10.13円もするそうだ」
しかし無情にも、かなえの予想は見事に的中した。
「…………って、単純計算で50万もするのリミッター!?」
その金額に、かなえは驚愕した。
冷静に考え、計算し、おおよそ女子中学生に稼げるハズがない金額であった事でかなえは目眩を起こしかけた。だが彼女はすぐに復活し、目を大きく見開きながら再びハヤトに訊ねた。
「な……なんでそんなに高額なの!?」
「そりゃあ、クォーツにレアメタルが使われてたりするから、どうしても高くなるよ」
思わず大声で訊ねるかなえ。
それにハヤトは沈痛な面持ちで答えた。
「そんな……じゃあ当分リミッター、手に入れられないじゃない……!」
告げられた事実を前に、かなえは絶望した。
また、これまでのように……我慢を続けなきゃいけないのかと。
するとその時。
唐突に、例の謎の悪寒と頭痛がかなえを襲った。
今の状態が、これからも当分続く事に絶望し、感情が高ぶったせいで、かなえの異能力『感知』が発動したのである。
かなえは慌てて、バスターウォルフ撃退の際に、ハヤトが教えてくれた呼吸法を繰り返す。徐々にだが悪寒と頭痛が無くなってきた。
「お……おい、大丈夫か?」
かなえの様子から、再び悪寒と頭痛が発症した事を察したハヤト。
彼は反射的にかなえの両肩を掴むと、動揺しながらも声をかけた。
「……大丈夫よ。いつもの事だもの」
顔を青くしつつもかなえは強がってみせた。誰がどう見ようとも、もうかなえは限界だった。
もしもこれ以上我慢させてしまえば、体よりも先に、精神が死んでしまうのではないか……。
そんな印象を受ける、弱々しいかなえが……そこに居た。
「……もう、四の五の言っている場合じゃないな」
そもそも自分が、かなえをぬか喜びさせてしまったからだ、という事も理解しているからだろう。
未だに悪寒と頭痛に苦しんでいるかなえを見ていたハヤトが、決意を滲ませた声で、そう呟いた。
「…………ん? 何の事?」
しかしその呟きは、かなえにもちゃんと聞こえていたらしい。
けれど、何の事か全く分からないので、彼女は己の体が元の健康状態に戻るのと同時に質問した。
するとハヤトは沈痛な面持ちのまま、かなえにこう訊ね返した。
「あのさ……1つだけ、金を払う方法があるんだけど……のってみる気、ある?」
「えっ? 50万だなんて、どうやったら払えるの!?」
常識的に考えたら、中学生にそんな大金払えるワケが無い。
それこそ、危ない仕事に手を出さなければ到底払えない金額である。
にも拘わらず……ハヤトはどのようにして、この中学生には払えないレヴェルの大金を払おうと言うのだろうか。
「金は俺が払う。その代わり……お前は【星川町揉め事相談所】で当分ただ働きをやってもらう、って方法なんだが」
「…………はぁ!?」
数瞬遅れて、かなえは思わず声を張り上げた。