Episode018 ハヤトの過去
瞼を貫通する淡い光に気付き、ハヤトはゆっくりと目を開けた。
ぼやけた景色が、彼の目に飛び込んできた。まるで近視であるかのように、何もハッキリと見えない。
目覚めたばかりだからだろうか、とハヤトは一瞬思ったが、すぐに自分が、なにやら透明で円柱状のケースの中に容れられている事に気付いた。水棲動物の自然な姿をウリとする水族館にあるような、直径1m高さ2mくらいの大型のケースだ。
なるほど。おそらく景色がぼやけて見えるのは、ケース内に入ってくる外の光が屈折しているからであろう。
そして、ぼやけてはいるものの、何かは見えている事からも分かる通り、ケースの外は光で満ちていた。
とても柔らかい光だ。おそらく目覚めたばかりの者の目の事を考えて、拡散光を発する光源があるのだろう。おかげでハヤトは目覚めて早々目を潰さずに済んだ。
だが目覚めた者への優しい配慮の事を考えている余裕は、ハヤトには無かった。それよりも自分にいったい何が起こったのか……まずはそれを知りたかった。
――ここは、どこだ?
周囲を確認しつつ、ハヤトは疑問を口にする。
いや正確には……疑問を口にした、ハズであった。
だが口から出たのは液体だった。さらに言えば、ケースの中に満たされているのと同じ謎の液体だけだった。
(なっ!? いったい何だ、コレ!?)
ここでようやく、自分が置かれている状況の異常性にハヤトは気付いた。
おかげで目覚めたばかりでハッキリしなかった意識が、完全に覚醒した。
そして反射的に、外へ出ようと、自分を閉じ込めている透明なケースを、両腕で思いきり叩こうとして……ふと彼は気付いた。
ケースを叩こうとした両腕に、自分の服の袖が無い事を。
もしやと思い……ハヤトはおそるおそる自分の体を見た。
裸、だった。
(俺……なんでハダカ?)
自分の裸体を見た瞬間、ついにハヤトの思考がフリーズした。
謎の透明なケース。その中に満ちた謎の液体。さらにはそんなケースの中に容れられた自分が裸である事。
小学生である彼の頭では、もはやどうすれば理解できるかのかさえも分からないあまりにも現実離れした展開が連続して起きたのだから無理もない。
「おっ! やっと目覚めたか、ショーネン」
するとその時だった。
ケースの外側から声がすると同時、黒髪の成年がケースに顔を近付けてきた。
先程の声の主だろうか。ポニーテールにした短めの頭髪が特徴的な、20代前半くらいの若い成年だ。
おそらく顔を近付けたのは、ケース内のハヤトに見えやすくするためであろう。だがいきなりの事だったので、ハヤトは心臓が飛び跳ねるほど驚いた。
一瞬遅れて、自分の股間を慌てて両手で隠す。
驚きの展開が連続して起こったが、それでも他人に対する羞恥心だけは忘れないハヤトだった。
「ははっ! 男同士なんだから、別に隠さなくてもいーじゃんか?」
成年は微笑みながらハヤトに言った。
「それに……君の隣のかわい子ちゃんは、まだ夢の中だしさ?」
そして今度は、ハヤトの容れられているケースの右側に、視線と人差し指を向け
……そんな事を言った。
(……えっ?)
いったい何の事だか分からないハヤト。だが気になったので、一応成年が見た方に目を向けた。
すぐ隣に、ハヤトが入っているのと同じ型の別のケースがあった。
距離が近いせいか、ハヤトはケースどころかその中身までハッキリと確認する事ができた。
隣のケースには、ハヤトと同じく何も着ていない状態の少女が容れられていた。意識を失っているのか、彼女は目を閉じたままピクリとも動かない。
少女の年齢は、ハヤトより1~3歳くらい下といったところだろうか。髪は腰にかかるほど長く、光が当たる角度によっては黒や薄茶色に見える色だ。
そして全体的に見て少女は、精巧な人形の如く可愛らしく整った顔立ちと体格をしていた。もしもこのまま動かなければ、本当に人形ではないかと思うほどだ。
その芸術的な美しさと可憐さが入り交じった容姿に、ハヤトは思わず隣の少女に釘付けになった。だが同時に、その少女の慎ましい裸体が目に留まり――。
(な……ななななななななああああぁぁぁぁーーーーッッッッ!!!!!!!?)
――ハヤトの顔は一瞬で真っ赤になり、すぐに少女から目を逸らす。
2つのケースの目の前に居る成年は、そんなハヤトを見て思わず噴き出した。
ハヤトは笑った成年に少々怒りを覚え、反射的に睨んだ。
だがそうすると、自然と視界の隅に少女の裸体が映り、またもや目を逸らす羽目になる。
成年はそれを見てまた笑った。
だがこのまま同じ事を続けても、何も進展しない事に気が付いたのだろう。彼はすぐに真剣な表情に切り替え、改めてハヤトの目をジッと見つめると、
「彼女は君と同じように……飛行機事故で生き残った1人だよ」
静かな声で、そう告げた。
それはハタから聞けば、誰かが驚きの声を上げる、もしくは「嘘だ」と笑い飛ばせるような報告だっただろう。
だが当のハヤトは、そのどちらの反応も起こす事ができなかった。ハヤトがまだ小学生である事だけが原因ではない。あまりにも現実離れした報告である事も、彼の思考を遅らせているのだ。
(…………え、ひ、飛行機事故!? い、いったいどういう!?)
そして全てを理解し終えた瞬間、ハヤトは顔を強張らせた。
まるで冷や水を浴びたような衝撃を彼は感じた。そしてその感覚は、徐々に徐々に、全身の血流が、そして心臓の鼓動が乱れるような不快な感覚へと切り替わる。まるで血管が何者かによって握り締められているようだ。
「君の乗っていた飛行機が空中衝突を起こしてね。太平洋上のとある島に墜落したんだ」
そんなハヤトの気持ちを知ってか知らずか、成年は、さらなる情報を淡々と報告する。ハヤトの表情が、さらに強張った。
(……な……な、にを、言ってんだこの人? つ……墜落?)
ワケが分からない、とハヤトは思った。
だが同時に、どういうワケか、両拳で思いきり、ケースをドンッドンッドンッと無意識の内に強く叩き始めていた。
仮に骨が折れてしまっても、そのまま続けてしまいかねないほど、強く、強く。まるで成年が告げた報告そのものを、ぶち壊そうとするかのように。
その一方で、ハヤトには心当たりがあった。
それはこの場で目を覚ます前の……最後の記憶。
地震のような激しい揺れ。
そして機内に広がった――真っ白な光。
(アレは……衝突時の衝撃と、爆発だったのか? おい嘘だろ? 嘘だって言ってくれよ!!)
信じたくなかった。だが脳裏に浮かぶのは紛れも無い事実。成年の言葉を、己の記憶を信じるべきか。それとも無視するべきか。それら2つが脳内でせめぎ合う。
一方胸の中では、大切な家族を失った悲しみのあまり激情が沸き起こっていた。そして激情の赴くまま、ハヤトはさらに強く、自分が閉じ込められているケースを叩き続ける。けれど何も変わらない。
そんなハヤトに、成年は悲しみに満ちた表情をしたまま、頭を下げた。
「……ごめんな。もっと早く、俺が駆けつけていたら、君の両親を助けられたかもしれなかったのに」
悔しそうに体を、声を震わせ成年は言う。
その瞬間、ハヤトは全てを理解した。
成年のその真摯な姿勢が、ハヤトに全てを物語ってくれた。
この人は、本気で自分の両親を助けようとして、精一杯努力してくれた。でも力及ばず、ハヤトの両親を、そして他の乗客達も、助ける事ができなかったのだと。
ハヤトはもう、何も言えなかった。
(…………くそっ!)
ハヤトは最後に1回だけ、右手でケースを思いっきり叩くと、水槽に前かがみにもたれ、静かに涙を流した。
※
数日後
ハヤトはケースから出られる事になった。
成年によると、ケースは『治療槽』と呼ばれる医療器具であるらしい。
そしてその中に満たされている液体は『高濃度酸素溶液』という、液体中での呼吸を可能にした特殊な液体に、病院で使われる点滴と同じ特性を持つ、数週間分の栄養分が含まれた『栄養液』と、傷を治癒する効果がある『治癒液』を絶妙な割合で混合した液体だそうだ。
「という事は、あの子も相当のケガを?」
『治療槽』の説明を聞くや否や、すぐにハヤトは成年に訊ねた。
未だに『治療槽』に容れられている、昨日までの自分と同じく裸の状態な少女に背を向けつつ、成年が用意してくれた服に着替えながらの事だ。
「ああ。君よりも重症だった」
ハヤトと少女が居る部屋の、出入口近くの壁に背を預け、成年はその時の状況を思い返しながら言った。
「事故で負ったケガもそうだが、調べてみると、どうも内蔵にも損傷があるみたいで……って、いつまでも『君』じゃなんだな」
だが途中で、成年は急に話題を変えた。
まだ自己紹介をし合っていない事に気付いたらしい。
「俺の名前は光進也。君の名前は?」
改めて、成年――信也はハヤトに名乗った。
「……ハヤト。空木ハヤト」
ハヤトも信也に倣い、名乗った。
そして同時に、彼は着替えを終えた。
ハヤトが着替えたのは、高校生の制服や、社会人の礼服のような、しっかりした正装だ。祖父の葬式の時に、両親に教えられながら着た喪服と似ていたため、着るのに苦労はしなかった。
「それじゃあハヤト……早速だけど、君に会わせたい人が居るんだ」
ハヤトの服の乱れを一応気にかけつつ、信也は……微かに困った表情をしながら言った。
「誰ですか?」
ハヤトが訊くと、信也は一瞬、言うべきかどうか迷ったが、ハヤトのためにならないと思い、すぐに告げた。
「飛行機事故の加害者」
※
『治療槽』が置いてある部屋は、数日前までハヤトが両親と共に居たアメリカの、とある町にある病院の一室らしい。部屋を出る前、進也がハヤトに教えてくれた。
その病院の廊下を進也と共にしばらく歩くと、病院の談話室にやってきた。
中に入ると、そこに居たのは紫色の髪を生やした若い男女だった。彼らはハヤトが来たのを知るや否や、血相を変えて、慌てて2人同時に頭を下げた。
「「申し訳……ありませんでした」」
「……えっ!?」
見ず知らずの2人にいきなり謝られ、ハヤトは最初、困惑したが、そのおかげですぐに相手の正体を理解した。
この2人が、自分の両親を始めとする多くの人の命を奪った飛行機事故の加害者なのだと。
そうだと分かった途端、ハヤトの中で怒りの炎が一瞬にして燃え上がる。
だが彼は、加害者2人に怒鳴るどころか、言葉を発する事さえできなかった。
相手を許せない気持ちに変わりはない。だけどハヤトは、つい先ほど信也が頭を下げた時と同じように、加害者の2人も、自分達がした事を、本気で悔やんでいるのを感じ取ったのだ。
本気で悔やんでいる相手に怒鳴る事など、彼にはできなかった……。
◆ ◆
(…………そっか……あれからもう2年、か)
ハヤトは過去を思い出しながら、しみじみとそう思った。
あの事故はハヤトにとって、全ての終わりにして、全ての始まりだった。
もしあの事故が起こらなかったら……とハヤトは時々思うが、それと同じくらい今の自分があるのはあの事故のおかげなんだよな、とも思っている。
正直、複雑な気持ちだった。
「おい、ハヤト? 聞いてるか?」
ハヤトの顔の前で、カルマは右手をヒラヒラと動かした。
どうやら回想に夢中になるあまり、現実を忘れていたらしい。
「あ、スマン。なんだ?」
カルマに手を振られ、ようやくハヤトは現実に戻ってきた。
「……事故の後さ、お前は誰にも言わずにどこぞの小学校に転校してったよな? そのせいでいろいろ大変だったんだぞ? 変な噂が流れたら、別の噂を流して情報を混乱させたりとか」
カルマは一瞬訝しげに眉根を寄せたが、1度溜め息を吐いて気持ちを切り替えると、ハヤトが転校した後の苦労を愚痴った。
「……そっか。すまなかったな」
申し訳ない気持ちから、ハヤトは目を伏せた。
なんだか暗い雰囲気になったので、カルマはすぐに話題を変えた。
「でもまさか、この町に居たとはな。驚きだよ」
「……その事なんだけどな、カルマ」
するとそんなカルマの話題変更が功を奏したのか、すぐにハヤトは顔を上げた。その顔はなぜか、とても真剣な表情だ。
「ん? なんだ?」
カルマは一瞬、親友の突然の気持ちの切り替えに戸惑った。
だがその表情からして『何かある』と察したのか、すぐに先を促した。
※
ハヤトは、決意していた。
ここまでただ黙っているだけで、彼の中で湧き上がる罪悪感は……萎むどころか徐々に膨れ上がっていったから。
今まで多くの人達がこの星川町に引っ越しては、そのまま居ついたり、離れたりしたものだ。そしてそんな多くの経験を経て、ハヤトはそれなりに、天宮家の時のように、来るべき瞬間までこの星川町や宇宙に関する多くの秘密を守る事に慣れたと思っていた。
しかしそれは甘い考えだった。親友やその家族に対し、今までと同じように隠す事に、まさかここまで抵抗があろうとは……ハヤトは思ってもみなかった。
そしてそれは、もう限界に近かった。
だからカルマには、今すぐ全てを話そうと決意した。
自分が抱えている秘密。
この星川町や、宇宙の秘密を。
※
同時刻
「あと少しだ……」
サンタのような髭を生やした40代の成年が、とある有人惑星の、とある研究所で……とある研究開発に没頭しながら呟いた。
成年の目の前には、大型テレビを思わせる大画面のパソコンが置かれ、画面には紫色に光る半球状の宝石と、その断面図が映っている。
「私の理論が正しければ、これで多くの〝異能力者〟達が待ち望んでいた〝アレ〟が……ついに完成する!」