Episode014 ユートリノ医療団
「亜貴オジさん、ここはどこだい?」
目的の場所に着くなり、少年は亜貴にそう訊ねた。
なぜならば、少年とその妹のエイミーが連れてこられたのは『ネットカフェ』。少年達が居た国には無い娯楽施設だからである。
いや正確には、ネットカフェが入っている雑居ビルの出入口の前に、であるが。
3人が居た公園から、歩いて10分の場所にネットカフェはあった。
そこは最寄りの駅から歩いて5分ほどの近所で、さらにまだ通勤通学の時間帯であるせいか、人通りはそれなりに多い。
亜貴はそんな通りを、無職な自分が仕事や学業に勤しんでいる者達の中を通ろうとしてなんだか罪悪感を覚えるという、一部の無職者も味わっているだろう事柄を乗り越えながら、兄妹を連れてなんとかそのネットカフェまでやってきたのだ。
兄妹が探している医療団体の情報を、見つけるために。
だが初めて見るネットカフェ……もとい、ネットカフェが入っている雑居ビルに対し警戒しているのか、当の兄妹は亜貴の背後に隠れ、なかなか前に進もうとしなかった。
そんな2人の様子に、亜貴は「やれやれ」と肩を落とし説明する。
「このビルの中には『ネットカフェ』という娯楽施設があってな。簡単に言えば、パソコンをしながら飲み食いができる場所だ。だが俺達がここに来たのは、それらをするためじゃない」
亜貴はいったん言葉を区切ると、しゃがんで2人の視線に合わせ、そのまま兄妹の背中を優しく叩いた。
「ここにあるパソコンで、お前らの探している医療団体を見つけるためだ」
結局、亜貴は密航者である2人に協力する事にした。
協力する事で、犯罪者になってしまうリスクの事は忘れていない。
だが、もしも兄妹を見捨てたら。
そしてそのせいで兄妹が路頭に迷い、死んでしまったら。
そう思うだけで、どうしても2人を見捨てられない気持ちになったのだ。
何度も言うが、犯罪者になるリスクについては、もちろん忘れていない。だが、たとえ犯罪者になってしまったとしても、亜貴は2人を助けたかった。
なぜなら、亜貴にはどうしても他人事のようには思えなかったのだから……。
雑居ビルの階段を上がり、3人はネットカフェの中に入った。
受付を済ませ、渡されたカギと同じ番号の部屋へと一緒に入る。
そして、部屋に置かれていた椅子に各々座ると……亜貴は部屋のパソコンを起動した。
「15分しか時間が無いからな。さっさと済ませる」
あらかじめ、亜貴は受付に使用時間分の料金を払っていた。
「え? それだけ?」
亜貴の告げた制限時間に対し、少年は驚きながら訊ねた。
確かに驚くくらいの……常識を超えた短さかもしれない。
「俺も金欠だからな。削れる時間は削った方がいい」
そんな少年の疑問に対する亜貴の答えに、兄妹は納得すると同時に苦笑するしかなかった。
画面に表示された検索欄に、試しに『突発性他部位筋肉収縮病』と打ち込み検索ボタンを押す。
だが亜貴の予想通り、1件もヒットしなかった。
少し考えた後、亜貴は少年に訊ねた。
「なぁ少年……1つ、いいかい?」
「なに?」
「『突発性他部位筋肉収縮病』って、どんな病気なんだ?」
「そのまんまだよ」
知っていて当たり前だとでも言いたげに、少年は病気について話し始めた。
「1日に2回から3回くらいの頻度で、腕や足、首の筋肉が、まるで見えない縄で縛られているかのようにギュッて収縮する病気だよ」
「なるほど。じゃあ今度は……」
次に亜貴は、検索欄に『足』『腕』『首』『筋肉』『収縮』と、間にスペースを入れながら打ち込み、検索ボタンを押した。
すると、今度は数件ヒットした。だが、全て整形関連のページか、筋肉のコリについてのページだった。
検索結果を見て、亜貴は再び考え込んだ。
なぜそれらしい情報が1件もヒットしないのかを。
すると亜貴は、すぐに1つの結論に至った。
「……なぁ少年。もしかして、オジさんをからかってる?」
少年達と会って、まだ数時間しか経っていない。
しかしそれでも亜貴は、その短い間に、俗にいう肉体言語を通してではあるが、少年の思いを痛いほど理解していた。
だからこそ、少年が自分を騙しているとは思えなかった。
「えっ? い、いきなりなに言ってんだよ亜貴オジさん?」
「病名を打ち込めば……その病気を研究している医療団体を見つけられると思ったけど、医療団体どころか病名すらヒットしないとはな。君達さ、もしかしてホームレスの俺に無駄金使わせて、からかってる?」
しかしだからと言って、仮に少年の言う事が全て事実であったとしても、目の前の相手をちょっとからかってやろう、と悪戯心が湧いてこないとは限らなかった。
だから亜貴は、試しに訊ねた。
少年のその思いに、嘘偽りは無いと信じたかったから。
少年に、本当の事だと、強く主張してほしかったから。
だが予想に反して、次の瞬間……少年の中で何かが弾けた。
「なっ!? お前、俺達を信じてなかったのかよ!?」
少年の顔が、一瞬で怒りの形相へと変わる。
そのまま怒りに任せ、少年は亜貴の胸ぐらを掴み、叫んだ。
「俺達には時間が無いんだ!! だから、アンタだけが!! 俺達を密航者だって知ってもなお!! 俺達を助けようとしてくれたアンタだけが頼りだったのに!!もういい!! 自分達で探す!!」
少年は怒れるままに一方的に喋るだけ喋ると、妹のエイミーの手を掴んだ。
エイミーは痛そうな顔をしたが、少年はそれに気付かなかったのか、強引に妹を連れて部屋を出て行った。
「あっ! おいっ! 俺はただ、からかってるのかと訊ねただけだぞ!?」
慌てて亜貴は少年達を追って部屋の外へと出たが、少年達はすでにネットカフェには居なかった。
亜貴は舌打ちすると、すぐさま2人を追いかけた。
※
「くそっ! 結局は自分達で探すしかないのかよ!?」
兄妹はネットカフェから少し離れた道路の歩道を歩いていた。まだまだ通勤通学の時間帯であるため、ネットカフェに入る前と変わらず人通りは多かった。
そんな中を、兄の少年は妹と共に、人込みを縫うように避けて歩きながら、悪態を吐いた。するとエイミーは、そんな少年の顔を心配そうに見つめてきた。
少年はすぐに妹の視線を察し、顔を向けた。
そして妹の表情を見て……彼は改めて思った。
(そうだ……俺達には時間が無い)
少年は悔しげに、両拳に力を入れた。
(あと5日もしたら、エイミーは……だけど、エイミーに心配はかけられない)
「大丈夫だ。きっと、お前の病気は治るよ」
だからこそ少年は、エイミーの目を見ながら、心配をかけまいと無理やり笑顔を作り、そう言った。
胸の辺りが少し痛んだが、今はそう言うしかなかった。
すると、その時だった。
「やっと見つけましたヨお2人さん」
2人は突然背後から、誰かに声をかけられた。
「「!?」」
2人は驚きながら同時に振り返る。
そこには2人の青年が立っていた。
1人は赤髪を逆立て、額にピアスを付けた20代前半くらいの青年。
もう1人は茶色いボサボサの髪を生やし、耳にピアスを付けた青年。こちらも赤髪の青年と同じく、20代前半くらいだ。
「オジさん達、誰?」
「お……オジ!?」
茶髪の方の青年は、少年にオジさんと呼ばれた事に苛立ちを覚えた。子供とは時に残酷である。だがすぐに彼は、赤髪の青年に制された。
そして改めて、赤髪の青年は少年達に告げた。
「オジさん達はネ、君達を捜してたンだ。君の妹さんが、僕達にしか治せないかもしれない難病を抱えてるって情報が入ったからネ」
少年達にとっての……希望の言葉を。
「えっ!? じゃあオジさん達……」
「そう。君が探してる医療団体さ!」
「ほ……ホントか!?」
青年の言葉を聞き、少年の目がパアッと輝いた。
「ああ本当さ。と、長話をしている場合じゃないネ? 時間が無いんダロ? 車はすぐ近くに置いてあるんだ。さっさと僕達の本部に行こう!」
「は……はいっ!」
少年は一気に有頂天になった。
これで、大切な妹の病気を治す事ができるのだから。
「やったなエイミー! 俺達ツイてるぞ!?」
故に、少年は気付かなかった。
その青年達の、あまりの胡散臭さに。
そしてそんな胡散臭い青年達の誘惑に導かれ、少年達がどこかへと行ってしまう
……まさにその瞬間だった。
「やっと見つけた! おいお前ら! 勝手に歩き回ると迷子に……って誰だソイツら?」
遠くから、亜貴の声が聞こえた。
少年とエイミーは、ハッとして声のした方向を振り向いた。その方向には、2人に向かって駆けてくる亜貴の姿があった。
亜貴はものの数秒で、少年達が居る場所に到着した。
それを見た茶髪の青年は、一瞬、顔を強張らせたものの、亜貴に警戒心を抱かせないよう丁寧に自己紹介をした。
「もしかして、この子達の保護者様でいらっしゃいまスか? 初めまして。我々は難病で苦しむ子供達を無償で治療する医療団体『ユートリノ医療団』の団員です」
「ユートリノ医療団?」
赤髪の青年にいきなり自己紹介をされ、亜貴は一瞬、面食らった。
だが自己紹介を聞いた後で、2人の所属する団体に対してふと疑問が湧いた。
なぜならば、2人が所属しているという『ユートリノ医療団』などという団体名は、今まで聞いた事が無かったからだ。
だがその一方で、亜貴は記憶の中に、何か引っ掛かりがあるのを感じていた。
(なんだ? そんな医療団体は聞いた事が無いのに……なぜか、コイツらのようなヤツらを知ってる気が?)
その引っ掛かりが気になり、亜貴はさらに少し考えた。
だが意外に呆気なく、その引っ掛かりに関する記憶は思い出せた。
どうやら、思っていたよりも最近の記憶の中に手掛かりがあったようだ。
そして思い出すと同時、亜貴は医療団員であるという青年達に、その引っ掛かりについてを訊ねようとした。
だがその前に、少年が亜貴に怒鳴った。
「何しに来たんだよ亜貴オジさん!? 俺らの事を信じなかったくせに!」
「 だ か ら ! ! 信じないとは言ってないだろ!!?」
亜貴は少年にそう一喝すると、改めて『ユートリノ医療団』の団員だという2人の青年に向き直り、問うた。
「医療団体とは言うけど、団員が髪を染めてていいのかい? 不衛生だぞ?」
「「ううっ!」」
指摘されて当たり前な所を指摘され、団員2人は心の中で狼狽えた。
((ヤバイ……俺達の正体がバレかかってる……ッ!))
心の中で冷や汗をかきつつ、2人は慌てて亜貴に弁解した。
「い……いやだなぁ」
「コレ、地毛ッスよ?」
「……ならいいが」亜貴は1度ため息を吐いてから言った。「いくらなんでも白衣とゴム手袋くらいはしなきゃいけないだろ?」
「「あっ!」」
だが1番肝心な所を指摘され、2人の顔から冷や汗がダラダラと流れ出る。
もう、2人は弁解しようにもできなかった。
いや、それどころか(この仕事をやる前に気付くべきだった……ってかなぜ気付かなかった!? 俺達は医療団体の団員を装って人攫いをするンだから、医療団体が身に付ける服装をしなければいけない事に!!)などと心の中で慌てる始末だ。
2人の青年は顔を見合わせ、アイコンタクトでこれからどうするかを相談した。
そしてどんな言葉を視線だけで交わしたのかお互いに頷き合い、次の瞬間、2人は同時に亜貴に殴りかかった。
青年たちの突然の戦闘モードに、少年とエイミーはギョッとした。だが亜貴は、2人に対し怯みもしなかった。
いやそれどころか、2人の拳が当たる寸前に、2人の腹を瞬時に、思いっきり左足で蹴り飛ばし、2人を一撃で倒した。
その光景に、少年とエイミーは呆然とした。
パンチよりも蹴りの方が、リーチが長いので早く相手に当たるのは分かる。だがそれ以前に、亜貴が青年2人組を相手に全く怯まず、さらにはその2人を瞬殺した事に驚いた。
「やっぱりお前ら医療団体のヤツじゃなかったか。つうかさ、お前らこの子の病気について全然なにも知らないだろ?」
亜貴は青年2人の設定の甘さに対し正直呆れつつ、エイミーの肩に手を置いた。そして自分の蹴りを食らって悶絶している青年2人へと――。
「この子の兄貴はな、この子の手を引っ張って俺の所から逃げたんだ。いや、それ以前にも兄貴はこの子の手を引っ張った時があるだろう。この国に来る時とかな。なのに兄貴の方は『自分も病気にかかっている』とは、言っていない。という事は少なくともこの子の病気は接触による感染はしない!!」
――よくよく考えれば、全く以てその通りな事を言ってやった。