酒場の歌姫
1952年 7月19日 午後11時46分
アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
「おいっ! 外でUFOが飛んでるぞ!?」
アメリカの首都であるワシントンの、とあるバーに現れた1人の男性が、
バーの外を指差し、突然そんな事バカげた事を言い出した。
普通ならば、誰もが『ウソ』もしくは『見間違い』などと指摘するシーン……なのだが、
「えっ!? うそっ!?」
「マジマジ!」
「ヤベーよ早く見に行こうぜ!」
なぜかバーに居た客のほとんどが、男の知らせに興味を示し、
目をランランと輝かせて、我先にと外へ出て行った。
そんな中、1人バーカウンターで酒を飲んでいたノア・アダムス(偽名)は、UFOを見に行かなかった。
別に、男性の話を信じていないワケでもなければ、信じているワケでもなかった。
ただノアは現在、そんな気分ではなかったし、UFOや異星人に対して、興味が無かったのだ。
「お客さん、見に行かないんですか?」
そんなノアに対し、話しかけてくる者が居た。
この『BAR TRAUMEREI』のマスターであった。
「……そういう気分じゃねぇんだよ。というか、そう言うマスターこそ、見に行かないのか?」
マスターの質問に、ノアは正直に答えた。
だけど同時に、なんでマスターは見に行かないのか疑問に思ったので、付け加える形で質問した。
するとマスターはニコニコと、〝威圧感〟を感じる笑みを見せながらこう言った。
「こういう状況を狙って、金を盗む不届き者が居るかもしれませんからねぇ」
「そ……そうかい」
なぜかその〝威圧感〟が自分に向いているような気がしたが、ノアはそれを無視して、苦笑いで返した。
「それはそうとお客さん、なにか悩み事ですか?」
「……いきなりだな。というか、なんでそう思う?」
そういう気分じゃない、としかノアは言っていないハズである。
なのに、なぜマスターはノアを見て、そう思ったのだろうか?
顔にでも出ていたか?
ふとノアは思ったが、その直後、マスターは笑顔を崩さずに、
ノアの疑問を感じ取ったのか、ノアの疑問の答えをいきなり告げた。
「これでも長い事、いろんなお客さんの顔を見続けていますからね。大抵の事は分かりますよ」
「……そうか」
いわゆる『経験則』……か。
あまり専門用語については詳しくないが、確かそんな名前の
単語を聞いた事があったので、ノアは勝手にそう解釈した。
「若いですねぇ。そういえば私も、お客さんくらいの年の時、いろいろと悩みました。
仕事に私生活に恋愛と……毎日毎日、目が回る程の忙しさでした」
「……で、そんな過去を乗り越えて、今に至ると?」
バーのマスターの過去の1部を突然知る事になり、ノアは少々戸惑ったが、とりあえずそう尋ねた。
「はい。10年位前にようやく今の感じになりました」
「……………いいな。勝ち組は」
ノアの口から、思わず溜め息が漏れる。マスターと違ってノアは、どちらかというと負け組だからだ。
ノアは数週間前、実家のあるアメリカの田舎から、この都会であるワシントンにやって来た。
毎日毎日家畜の世話やらなにやらで忙しくて、それが嫌で、家族に黙って都会に出てきたのだ。
ちなみにノアの名前が偽名なのは、今まで田舎で暮らしていた、自分自身を捨てるためであるらしい。
でも、名前を捨てたからと言って、新しい自分に生まれ変われるワケではないし、
さらには都会に出たからと言って、安定した生活を手に入れるとは限らない。
ノアはその事を、否が応でも思い知らされた。
アメリカは、自由と平等の国だとか言われてはいるが、現実はそうではない。
未だに貧富の差が激しい部分もあるし、人種差別が厳しい部分もあるし、
その人種ごとにやって良い事と悪い事が決められていたりもする。
そして、田舎出身のノアを雇ってくれない職場もある。
「おやお客さん。自分が負け組だと?」
「……ああ。アンタと違って俺は成功を掴めなかったからな」
「お客さん。まだ若いんですから希望を持ってくださいよ」
「……そう言われてもな」
今日もどんだけいろんな職場を回ったと思ってんだよ? どうせ俺を雇ってくれる場所なんて……。
酒がまわってきたのであろうか? ノアはだんだん、消極的な性格になってきた。
とそんなノアを元気付けるためなのか、マスターは相変わらず笑顔のまま、ノアにこんな事を言った。
「〝彼女〟だって、最初はアナタと同じで職無しでしたが、今ではなんとか成功していますよ?」
「……………ん? 彼女?」
「そろそろ〝出番〟ですね?」
ノアの言葉を無視して、時計を見ながらマスターは言った。
「このバーの『歌姫』、イヴ・アークア君です」
そしてマスターのその言葉と同時、バーの店内の一角が、3つのスポットライトによって照らされた。
スポットライトの中心には、マイクをセットされたマイクスタンドの前に立つ、1人の女性。
アメリカ人女性の平均身長より少し小柄で、どこか幼さが感じられる可愛い顔立ちの、長い金髪の女性だ。
スタイルはスレンダーで、その身に白いドレスを纏い、
彼女はまるで聖母のような優しい声で、歌い出した。
♪あなたは 教えてくれた
信じ続ければ 夢は叶うと
時に人は間違うけれど
人は誰もが愚かじゃない
だから私は 夢を 希望を捨てない
どんなに道を踏み外そうと
最後はまっすぐ歩けるんだと
ずっと ずっと 信じ続ける
歌詞からして、『夢』や『希望』をテーマに歌っている歌であった。
だけど、なぜかノアは、彼女――――イヴの歌から『哀しみ』を感じた。
「相変わらず歌詞と自身の心が合っていませんね。まぁこれはこれでお客さんにはウケるからいいですが」
突然マスターが、右手でアゴに触れながら、彼女の歌を評価した。
「まぁ彼女の〝事情〟からして、そういう歌になるのも当たり前でしょうね」
「は? 事情?」
そしてマスターは、意味深な事を突然言った。
ノアにはなんの事か分からなかったが、マスターが自分に対し、詳しい事情を聞いてこなかったので、
ノアもイヴの詳しい事情を、マスターに聞かない事にした。
だけど、自分なんかよりもよっぽど複雑な事情を抱えてるという事は、なんとなく分かった。
数十分後
イヴはその後に数曲歌うと、ノアも座っているカウンター席の1つに座った。
「マスター、いつもの」
『いつもの』。長い期間、1つの店に訪れるからこそ言える台詞である。
それだけイヴは、このバーで働いt――――
「いやイヴ君。なんの事か分からないんですが?」
――――いるワケではなかったようだ。
近くに居たノアは、思わずズッコケた。
「フフッ……言ってみただけ♪」
ノアがズッコケる中、イヴは微笑みながらそう言った。
その顔はまるで、無邪気な子供のようで可愛かった。
「あぁ、そうそうイヴ君」
とその時、マスターはいきなり、なんの前触れも無く話を変えた。
「いよいよこのお客さんに、イヴ君の事をお話しようと思ったのですが、
イヴ君の許可を、一応取っておこうと思いまして」
「そんな許可だなんて。私とマスターの仲ではないですかー」
マスターはノアを指差しながら、イヴにそう言った。
ノアは指を差された事に対して怒りを覚えたが、
同時に『イヴとマスターの仲』について気になったので、
事を荒立てて話をややこしくしないために、敢えて怒りを鎮めた。
「実はイヴ君、数年前までホームレスだったんですよ?」
「……………え……ええっ!?」
正直ノアには、信じられない話であった。
「それでね、何日かこの国を彷徨って……仕事も無くて、路銀も尽きて、
どうしようもなくなった時にね、ある募集の貼り紙を見つけたのよ」
イヴは目をつぶり、当時の事を思い返し始めた。
「それは、歌手の養成所の、生徒募集の貼り紙だった。そして私はその時コレだ! って思ったわ。
だって私、小さい時から歌だけは得意だったから、どうせなら得意なモノで勝負するのもいいかなって」
「……なるほど、ね。つまりそこになんとか合格して、でもって今はこのバーで歌姫をやってる、と」
「ええ。だいたい……そんな感じかな?」
「?? だいたい? まだなにかあるのか?」
「……………知りたい?」
「!!!?」
普通に……普通にさり気無く聞いただけだった。
なのに……なぜだろう? イヴは突然ノアに、
先程までの幼さが感じられる可愛い顔からは想像できない、
まるで悪女のような妖艶な微笑みを見せた。
なんだ!? あなたにはいったいどんな事情があるっていうんだ!?
こうまで言われちゃ、メッチャクチャ気になる。だけど……だけど……。
ノアは、正直に言うと怖かった。
これ以上彼女の事情に足を踏み込めば、もう2度と、いつもの平凡な
日常には戻れないような……なぜかそんな予感がしたのだ。
だけど同時に、こうも考えた。
俺は田舎の平凡な暮らしから脱却したくて、都会に来たんじゃなかったのか!?
だったら迷う事は無いじゃないか! 今こそ……今こそ変われるチャンスじゃないのか!?
イヴさんがこのように成功した理由の……もしかすると核心かもしれないんだし!
「……………じゃぁ……教えて……ください」
そして結局ノアは、イヴにそう返事をした。
もう後戻りはできない。もしもこの選択のせいで失敗したら……田舎帰ろうかな?
頭の中で、なんだか消極的な事を考えながら。
「……分かったわ。教えてあげる」
そしてイヴは、妖艶な笑みから、またさっきの幼さが感じられる可愛い微笑みへと、顔を戻した。
なんだかイヴが多重人格であるかのような、そんな誤解をしかねない『切り替え』であった。
そしてついに、イヴの口から、イヴの過去が明かされる……と、ノアは思ったのだが、
「あぁそうそう。話す前に、あなたには言っておく事があったわ」
……………んん? なんだ?
またしてもいきなり、話が変わってしまった。
今になってなんでまた話を変えるのか、ノアは疑問に思った。
だけどその理由を、ノアは数分後に知る事となる。
「実は私の名前……〝偽名〟なの」
「……………は?」
「私の本当の名前は、〝サラス=バベリック=シルフィール〟」
この時ノアは、まだ知らなかった。
「とある……悪い意味で有名な人の血を引く者」
なんでイヴ……もといサラスが、ノアにここまで、なにもかも話すのかを。
「それ故に……〝とある宿命〟を背負う事となった者でもある」
そして、この時からだったのかもしれない。
ノアの人生が、ノアの予想の範疇を超えたモノとなり始めたのは。