あの日あのとき
夏休みが終わり、学生生活は再開されたのだが、そこには受験と文化祭準備という真逆の空気をもった要素が加わった事で、いつも以上に忙しい生活が待っていた。
僕は、青春という空気に酔ってその一種の躁状態でいたように思う。
僕と百合ちゃんがよく美術部にお邪魔していた事もあり、その年の文化祭のイベントは映画研究部と美術部が共同でイベントを盛り上げる事となった。アートをテーマに、美術の展示物を強引に映画と絡ませて紹介した事で、見た目はかなりボリュームが出て面白いものになったと思う。高橋先生が書いてくれたポスターや看板などのクォリティーも素晴らしく、映画研究部の皆も、感動していた。
僕としては、素晴らしい展示会場を作れた事よりも、最後の文化祭をこうして月ちゃんと一緒に過ごせた事が嬉しかった。一緒に作業しながら、ふと目を合わせニコニコ笑いあう、考えてみたらかなり恥ずかしいカップルだったかもしれないけれど、そんな僕らには関係なかった。完全に二人の世界を楽しんでいた。
そしてお祭りは終わり、受験という要素だけが残る。文化祭が終わり、部活を離れる事により、僕の生活は受験一色となる。今までした事ない程必死で頑張り、勉強して大変だったとは思うものの、振り返ってみてもまったく辛くはなかった。志望校は違っても一緒に頑張る友達もいたし、側で応援して見守ってくれる祖母もいたし、僕の合格を何故か無条件で信じてくれている百合ちゃんの期待もあり、自分でも不思議な程迷いもなく頑張れた。
この時期に一番一緒にいたのは薫。同じ塾に通った事もあり一日中一緒だった。かといって、そこで更に友情を濃いものにしていったかというとそうでもなく、ただ馬鹿な事をいっては笑いあって、受験の気晴らしをしていただけだった。後になって、もっとこの時に薫と深い話をすればよかった、もっともっと薫の話を聞いてあげられれば良かったと後悔する事になるが、この時はこの時で、僕も受験の事で頭がいっぱいで余裕がなかったのかもしれない。
この時期の受験生がする話題といったら、『この受験さえ切り抜けられたら、思う存分ハジけるぞ!』とか『受験終わったら、皆で遊ばないか?』とかそんな話題。そんな延長だったと思う。薫がそんな話をしだしたのは。
「なんかさ、高校生活ってあっという間だね。大学もそうなのかな」
塾から一緒に帰っている時だったと思う。
「かもな、直ぐに就職活動で苦しんでそう」
その日はえらく寒く二人でコンビニによってホット飲料を買いそれで暖をとりながら歩いていた事は覚えている。
「大学に行くことで、僕はどう変わるのかな?」
そう言った後、薫はハァと息を吐く。夜の冷気が薫の呼気を白く染める。
「変わらないのでは? 薫は薫のままだよ」
何故か薫はそう言う僕の言葉に苦しげに顔をしかめた。
「ヒデのいう……僕らしい僕ってどういうの?」
そう改めて聞かれると困る質問である。
「クールな見た目に、似合わずお茶目奴かな?」
真面目に答えるのには恥ずかしさがあるし、『格好よくて頭良いのに、凄く良い奴』なんて言葉本音であっても薫が望んでいないように感じたから。
薫は僕の言葉に、困ったような、照れたような、哀しそうな顔をした。
「僕って、ちゃんと普通の大人になれるのかな? 正直自信ないよ」
僕はその言葉に首を傾げる。
「薫がそんな事いったら、僕なんてもっと大変だよ」
しかし薫はどこか寂しげな顔で笑った。
「ヒデは、なれるよ、間違いなく。誰からも愛されて、そして周りを自然に愛せる人だから。一緒に歩いていく人もいっぱい作れる。でも……僕は無理だ、誰もができる当たり前な事もできない」
薫は進行方向をぼんやりと見詰め、そうつぶやくように話続ける。
「薫は僕よりも頭良いし努力家だし何をだってやり遂げられるよ!
それに、僕なんか比べものにならない程魅力的な人間だよ! 情が厚いし、愛嬌もあって人をひきつける! だから薫の事が僕は大好きなのだと思う。百合ちゃんも、清水が嫉妬しているくらい薫の事好きだし。僕なんかじゃ頼りないかもしれないけど薫だっているだろ? 僕だけでなく隣に人イッパイいるだろ?」
何か分からないけれど、薫がひどく追い詰められているのを感じて、僕は必死に言葉を並べる。薫は迷子の子供のように震えているように見えたので、その背中に手をまわしさすってやった。薫は立ち止まりうつむいたまま何も言わなかった。しばらくするといきなり顔をあげ薫が僕を見つめてくる。
「あのさ、ヒデ!」
多分薫はこの時、僕に何かを伝えようとしていたと思う。何か薫にとって重大な事。だから僕は、あえて何も言わずに頷いた。
「ヒデは……もし……僕が……でも……」
しかし、言葉は尻すぼみになり冷たい風の中消えていった。駅についてしまい、電気の強過ぎる明かりが、いつもの薫に戻してしまった。ふとした拍子に思い出すこのやり取り。薫は何を僕に伝えようとしたのかと考えてしまう。しかしそれはずっと謎のまま僕の心に引っ掛かっていた。