インビクタス
この時に観た映画は、海外 CG アニメだったと思う。その系統の作品はよく三人で観に行っていたので、どの作品の時その会話をしたのかというのがゴッチャになっていて訳わからなくなっている。薫がマスコットとかキャラクターが好きなだけにそういう映画が好きだったから、薫を交えてみる映画はそういった映画となっていた。
いつものようにファーストフードのお店で楽しく映画の話題で盛り上がっていた。いつもの風景はほんの些細な事で一変した。
その時、会話を楽しみながら百合ちゃんは劇場でもらってきた映画のチラシを楽し気にみていた。そして一枚のチラシを手にして表情がスッと真顔に戻る。
『姿は見えてなくなると、悪意が見える』
そんなコピーの入った、透明人間を題材にした映画のチラシだった。百合ちゃんはホラー映画は苦手なだけに、そういう反応になったのだろうと最初は考えていた。しかし何故か百合ちゃんはそのチラシをジッと真剣な表情で見続けている。彼女が好きそうな映画にも思えずその光景が奇妙に僕の目に映った。
「それ、さっき予告でやってたヤツだね!」
薫はそのチラシをのぞき込んで、殆ど手がつけられてない、百合ちゃんのポテトを勝手につまむ。
「ええ」
百合ちゃんはボンヤリ答える。何か考え事をしているのか目が虚ろだ。
「透明人間って、発想は面白いけど生物学的に考えると一番ありえないモンスターだよね」
薫は百合ちゃんが何も言わないのを良い事に、ポテトをそのまま食べ続け、薫は言葉も続ける。
「透明人間に限らないだろ?」
僕の言葉に『まあね』とつぶやく。
「でも、透明人間が現実いたなら、映画のように活動するのは、まず無理なんだよ! 何も見ること出来ないから!」
薫の言葉に僕と百合ちゃんは、意味が分からず薫を見る。
「モノを見て認識すると言うのは、風景を画像として受ける器官があるから出来る事だけど、その器官が透明だとモノを見るという事にはまったく役に立たなくなる」
確かにそうなのだろう。かといって眼だけが透明じゃない透明人間というのはもっと怖そうだ。
「それ、言われてしまうと、映画においてあらゆることが成り立たなくなるよ」
僕の言葉に、薫はヘラっと笑う。
「まぁね~こういうツッコミをするのはヤボだとは分かっているけれど、何か言いたくなるんだよね、知識をひけらかしてしまうというか、受験生の荒んだ心がそうさせるのかな~」
大きく薫は溜息をつき肩をすくめる。
「受験だけのせいか? そうやって色んな事に絡むのって」
軽い気持ちで言った言葉なのに、薫の顔から、スッと笑顔が消える。
「どういう意味」
僕は慌てて首をふり、他意がない事を表情で伝える。
「屁理屈言うのっていつもの事かなと」
薫があからさまにホッとした顔になる。
「慌てた! 繊細なんだから、あまりハラハラさせるなよ」
たしかに繊細というのは本当かもしれない。すごくチョットしたことで、怒ったり傷付いたりする。その感情の変化に僕は戸惑うことも多い。
「何も変な事言ってないだろ」
さっきの僕の言葉の、何処にそんなに薫が引っ掛かったのかが分からない。
「分かっているけれど、僕が変なんだ、何でもないような言葉でも何か裏に意味があるんじゃないかと感じてしまって」
僕はフフフと笑ってしまう。
「そういったの、分からないでもないけど、少なくとも僕は裏に意味あるような複雑な言葉を使う能力ないから」
「そいつは、言えてるね」
薫は、いつものニヤニヤ笑いを取り戻している。そして視線を僕から百合ちゃんへと移動させ不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの? 百合ちゃん、妙に静かだよね」
薫に声かけられても、百合ちゃんは、なんかボンヤリとした感じで、まだ映画のチラシを見入っている。
「いえ。二人の麗しき友情に満ちた会話を楽しんでいました」
百合ちゃんは僕らに向かってヘラっと笑う。でもその笑みにはいつもの明るさがない。薫は『え~友情!』百合ちゃんの言葉に気持ち悪いといった仕草をするが、いつになくノリの悪い百合ちゃんが気になったのか、改めて顔をしげしげみる。
「所で、何を悩んでいるの?」
こういう事をストレートに聞いてしまう薫って、すごいと思う。僕だったら遠回しにしか聞けない。
「いえ、透明人間について考えていました」
僕と薫はポカンと百合ちゃんの顔をみてしまう。
「え?」
「透明人間から世界ってどう見えているのかな? と」
質問の意味は分かるけれど、何故彼女がそんな事を気にするのかが分からなくて、どう答えるべきか悩む。薫も同じだったようで、僕の顔を見る。百合ちゃんはそんな僕らの様子を見て、困ったように笑う。
「あ、いえね、薫さんは何も見ること出来ないと言ってましたが、そうなのかな? 誰にも認識されない世界で見えてくるのは人の何なのかな?」
僕はその質問にいろんな意味で悩んでしまう。質問の内容と質問してきた意図に。薫も同様だったようだ。黙りこんでしまった僕達を見て、百合ちゃんが思い詰めたような表情で口を開く。
「実は私のクラスに透明人間がいるの」
透明人間が教室にいる? 百合ちゃんは冗談っぽくではなく、真面目な表情でそんな事を言ってくる。
「ウチの学校では珍しく明るい髪に天然パーマでチョット不良っぽく見えて目立つ子がいてね」
新学期の時に、二年の部員から話を聞いていたので、僕はその子があのイジメっ子だった近藤という子である事を察する。薫も気にしていたので、あの子が百合ちゃんと同じクラスになった事は教えていたので分かったみたいだ。ハッとした顔になり頷く。
映画研究部の仲間とも変わらず仲良く、クラスでも楽しく過ごしている感じだったので、あえて蒸し返すのも嫌だろうと僕からは話題にしなかった。ところが百合ちゃんの口から、あの子の話題が出てきたのに僕は驚いた。
「最初こそ浮いていて、皆も意識して遠回しに見ていたけれど、だんだん慣れてくると気にもならなくなり、誰もその子の存在すらも気にしなくなってきたの。その子そこに確かに存在するのに、みんなの目には映ってないの」
その言葉を聞き、僕はゾッとした。学校に来て、教室にいながらいない存在として扱われているってどんな状況なんだろうか?
「その子って、イジメられているの?」
月ちゃんに、この『イジメ』は言ってはならない言葉なのに、つい口から出てしまった。やはり月ちゃんは傷付いた顔をしながら、首を横にふる。
「野生動物が、よそからやってきた人間を最初こそ異物として警戒するけど、そのうち慣れると景色の一部として扱うのに近い感じ、イジメというのは、逆にそれだけの感心をもたれているからこそ起こること。誰もその子に関心がないだけ。全く逆の現象なの」
しかし、結果として『イジメ』に近い状況が彼女の教室で起こっている。しかも皮肉なことに、かつてイジメっ子だった子が、イジメられた子のいるクラスで孤立している。
「自業自得だろ、そんなの」
薫は冷たくそう言い放つ。ビックリしたように百合ちゃんが薫を見上げる。
「ソイツ百合ちゃんをイジメていたヤツだろ? だったらいい気味じゃん」
百合ちゃんは眼を見開き薫を見つめる。
「まだ状況も甘いくらいだよ。だってその状況が嫌ならば、自分から周りに働きかければいいのにそれもしない。自分でその環境を作っているんだから放っておけばいいよ。百合ちゃんまさか、その子に声かけて助けてあげようなんて、優しい事考えてないよね?」
百合ちゃんは、薫の言葉に顔を強張らせて首を横にふる。まだイジメられていた事を許せる程時間は経ってないのだろう。
「だったら、その状況を百合ちゃんは楽しんでおけばいいじゃん」
僕はその言葉に驚いていた。やられたらやり返せとはいうけれど、それを言ってしまえる所が薫の強さなんだろう。僕もその近藤って子が憎いけれどそうは言えない。イイ気味と思う感情と、可哀想と思う感情が百合ちゃんの中で戦っているのだろう。そしてその状況に気が付いていながら何もしない自分を恥じている。他のクラスメイトのようにあの子に無関心でいれたら良かったけれど、百合ちゃんの目だけにその存在が嫌という程見えている。その状況が彼女に悩ましいのだろう。
ニッカリと笑う薫に百合ちゃんは困ったような表情を返す。そして僕に視線を向けてくる。
「百合ちゃんはどうしたいの?」
僕の言葉に、ジッと何かを考えているかのように黙り込む。
「分からない」
これが学園ドラマだったら、ここで二人は和解して親友になるといった展開もあるのだろうが、現実だとそうはいかない。百合ちゃんの表情からも、過去の傷はまったく癒えてないのが分かる。
「どうしなきゃ、とかで動かなくても良いと思うよ。百合ちゃんが無理をして我慢して何かをするというのならば僕は止めた方が良いと思う。そんな同情だけで動いても事態は良くなるとも思えない」
要は現状維持の逃げの言葉しか言えなかった僕に、百合ちゃんは瞳を少し潤ませて見つめ頷く。
「未だにその子の事が怖いの。だから目が合いそうになると逸らしてしまって」
泣きそうになっている月ちゃんを薫がポンポンと撫でる。
「むしろ、ソイツが百合ちゃんに一度シッカリ謝れという感じだよ! それもアチラがしてこないなら、百合ちゃんから何かする必要なし! そのまま本当に透明人間にして居ないものとして扱えばいいよ!」
薫はそう言い切りニッカリと笑った。百合ちゃんは口の端だけをあげて笑ったふりを薫に返した。
結局この問題は何の解決も出ないままに終わってしまう。その子は二年があと少し終わるという時期から学校に一切来なくなり、本当の透明人間となってしまう。百合ちゃんがその事をポツリと報告してきた時の表情が強く僕の心に残っている。悲しげだけど、どこかホッとした表情で笑っていた。
百合ちゃんはこの時喜んで笑っていたのではなく、一人で悩み苦しみ続けていた事からやっと逃げられて安堵しただけなのだ。百合ちゃんも、近藤という子も、その事でまったく救われていない。二人とも逃げただけ。
良かったとも言えず僕は『そうか』と言ってただ抱きしめてその背中をさすってあげることしか出来なかった。何も助けもしてあげられなかったし、何の支えもしてあげられなかった。出来たのはこうして慰めただけ。
僕は自分の頼りなさと狡さを実感する。男だから愛する人を守りたい、支えたい、導きたい。そう思っているのに現実はそんな男性から程遠い僕。恰好つけたい訳ではなく、ただ百合ちゃんにとっての頼れる男になりたかった。そして僕がやったことは、大人ぶって彼女に接するそれだけだったのかもしれない。