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アダプティッドチャイルドは荒野を目指す  作者: 白い黒猫
何かが生まれていく季節
60/75

天国の口、終りの楽園。

 週末、百合ちゃんは映画研究部に退部届けを提出し美術部への入部することになった。週の半分を美術部に顔を出し、残りは映画研究部の特別部員として今までのようにまったりとした時間を過ごす。薫の言う通り、僕らは心配する程二人の距離というのは変わらなかった。朝一緒に登校して、メールのやり取りをして、僕は映画研究部を楽しみ、百合ちゃんが一緒ならそのまま一緒に下校して、美術部の日は美術室に迎えに行って一緒に帰る。そんな感じで二人っきりで話す時間というのは殆ど変わりない。デートで映画館だけでなく美術館とかギャラリーを覗くことが多くなったというのが変化といったら変化なのかもしれない。そして呼び方が『百合ちゃん』『ひでくん』と定着していきより近しく感じるようになった。


 映画研究部とは異なり独特の香りのする美術室に入る。ウチの高校の美術部だけあり、映画同好会同様自由な雰囲気だった。絵を真面目に描いている人は月ちゃんと他に二人だけで、残り三人はいつもスケッチブックを広げているもののおしゃべりに花を咲かせているという感じだった。顧問の先生は最初にそれぞれの作品を見てアドバイスなどをして消えていくという感じなようで僕が訪れる時にはいつもいなかった。それで百合ちゃんは良いのかな? とも想ったけれど、百合ちゃん曰くそれぞれに合ったアドバイスをくれて良い先生だと気に入っているようだ。逆に春休み参加した短期のアートスクールの先生は、生徒の絵にとにかく手をいれる先生で、結果全員が同じようなトーンの絵になってしまったと憤慨していた。その点佐藤先生はちゃんと面倒を見つつ生徒の自主性を大事にしてくれる良い指導者だったようだ。


 映画研究部を終え美術室を訪れると、顔なじみになってしまった他の部員が僕を見てニコリと笑い美術部の一角を指さす。教えられなくても、いつも同じ場所にいるし一心にキャンパスに向かい絵を描いている百合ちゃんの気配は僕には直ぐに分かっていた。こんな閑散とした部屋ではなくても、ふと外を見たときに体育の授業をやっている二年生の中からでも、人で混雑した学食の中でも、僕は何故かすぐに百合ちゃんを見つけることが出来た。月ちゃんも僕の視線に気が付き、すぐにコチラを見て照れたように笑いかけてくる。そういう場面が多かった。愛の力? そんな恥ずかしい事を思っていたわけではないけれど、同じ映画を見ていても同じ部分が気になり同じ所で笑う、感覚が似ているからこそ何だか二人の間で繋がっているものがあるからとその時が思っていた。

 でもこの美術室での百合ちゃんだけは少し異なり、僕が入ってきてもキャンパスに一心に向かっていて僕には気がつかない事が多い。僕も夢中で絵を描いていてる百合ちゃんの姿が、邪魔したら悪いというか、神聖で不可侵な光景に見えてつい声をかけるのを躊躇ってしまう。百合ちゃんだけの世界がそこにはあって、誰もそこには入ってはいけないようなそんな空気がそこにはあった。

 文章でもその片鱗があったけれど、百合ちゃんの感性の世界は、透明感があるけれど鋭くどこか冷たい。いや冷たいというか淋しさをもった切なさを持っている。しかしそのどこか哀の色を帯びた世界作られるその空気も僕は好きで、その世界が構築されている様子をただ眺めてしまっていた。

 今にして思えば、文章や絵画が決して多弁ではない彼女の心をさらけ出せる手段だったのかもしれない。

 この頃はまだ絵を描くという事に夢中になっている百合ちゃんの姿を微笑ましく感じ、穏やかな気持ちでみていた。また自分にはない才能をもった彼女のことを素直にスゴイと感心していて、キャンパスの中でどんどん出来上がっていく光景に僕も夢中になっていた。また真剣な表情をしている百合ちゃんの姿がハッとしてしまうほど美しく感じた。僕と抱き合っている時の『女』を強く感じる月ちゃんは僕をドキドキさせるほど綺麗でさらに深く交わりたいと思うけれど、この時の百合ちゃんは僕が触れたらダメだと思ってしまうそんな想いを僕に抱かせた。

 キャンパスをジッと見ていた百合ちゃんが、僕の気配に気がつき振り向いてフワリと笑う。彼女にこういった表情が戻ることで、やっと僕の百合ちゃんに近付く事が出来る。

「来ていたなら、なんで声かけてくれなかったんですか」

 少し拗ねたような顔でそんな事を言ってくる百合ちゃんも可愛いくて、そしてそのように甘えてくる感じが嬉しかった。

「いや、凄く絵が仕上がっているからビックリしていてつい見ていたんだ」

 『ん』と彼女は頷き、絵に視線を戻す。

「今日はなんかすごく筆が進んだんです。こういう大きいキャンパスに絵を描くって凄く気持ち良くて」

 彼女の描いている風景には見覚えがあった。僕と百合ちゃんが初めてキスをしたあの公園だ。日が少し傾き、影が長くなった公園の中で桜がフワフワと幻想的に咲いている。つい百合ちゃんの唇に視線をむけてしまい、それに気が付いた百合ちゃんが照れたように俯く。

「携帯で撮影した写真を元に描いているんです。あの風景素敵だったから」

 言い訳のような口調で百合ちゃんはボソボソと言葉を紡ぐ。その時の写真は赤外線通信で僕の携帯にも入っているからそれは直ぐに分かった。でも携帯の写真では感じられなかった空間というか、あの時の昂揚した空気がそこにあり、見ている僕の心も盛り上がってくる。

「綺麗だったもんね。あの桜」

「はい……」

 他の人もいる部室で、デレデレと会話している僕らってハッキリいって恥ずかい存在だったのかもしれない。でもこの時は周りなんてまったく気にしておらず、部員でもない僕はしばらく美術部平気に入り込み話し込む。僕と会話をしながら百合ちゃんはまたキャンパスに向かいながら絵を描くことを再開する。そんな僕達の姿が見ていて恥ずかしいのか他の部員はニヤニヤとした顔をしながら先に帰ってしまう事が多かった。

 先に帰るのを見送ってから二人っきりの時間をこの部屋で過ごす。そんなに会話をする訳ではないけれど、ポツリポツリと会話を交わすこの時間は、一緒に映画を見る、キスをして抱き合うそれとはまた違った喜びがあった。一番素の百合ちゃんと会える場所だったからかもしれない。その世界にこうして入れてもらえるのは僕だけという変な優越感。この二人だけの世界でいる事、この狭い世界の中だからこそ僕らは幸せだった。正直な所、この時の僕は百合ちゃんだけがいればよく、百合ちゃんが自分の近くにいるだけでそれで良かった。他のモノを一切排除したこの狭い世界こそが心地よく、僕らにとって、というより僕にとっての楽園だった。アダムとイブとは逆で、愛を知り僕らは世界を背に二人っきりになり楽園へと閉じこもる。僕らの楽園の中にあるのは、林檎の木ではなくあの初キスをした桜の木。

 僕と百合ちゃんは、あの時桜の絵を前に再びキスをした。あの時とは違って、もっと長く深いキスを交わし、暫く無言で抱きしめ合う。どのくらいそのままでいただろうか。どちらかともなく離れ。『帰ろうか』という僕の言葉に百合ちゃんは小さく頷く。後片付けを二人でして、戸締まりして美術室に鍵をかけ後にした。


天国の口、終りの楽園。

Y Tu Mama Tambien

2001年 メキシコ

監督

アルフォンソ・キュアロン


キャスト 

ガエル・ガルシア・ベルナル

ディエゴ・ルナ

マリベル・ベルドゥ


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