猫は、なんでも知っている
六月とはいうものの、太平洋からせり上がっている気圧が雨雲を押し上げているとかで、カラッとした天気が続いていた。紺一色だった通学路も、 上着を脱ぎ夏仕様にした学生が多い事でかなり見た目も爽やかにしている。北育ちの為か、暑さに滅法弱い僕は、移行期間に入るいなや上着を着るのをやめた。しかし不思議だ、ただ学ランの上着がカッターシャツになっただけなのに、少し自由になったように感じる。
「おはよう! 朝から何ヘラヘラしてるの? 声かけるの、躊躇ったよ」
突然肩を叩かれて振り向くと薫が人の悪い顔で笑っていた。
天気も良く意味もなく上機嫌でニヤニヤしている僕はかなり怪しかったようだ。薫の人の悪い笑みで察する。
「おはよ、いや、天気が良かったから」
僕は照れを隠すように、言い訳じみた口調でモゴモゴ返す。
薫はこの陽気なのに、まだ学ランをキッチリ着込んだままである。このポカポカとした日差しの中背筋をピンと伸ばし涼しげな顔している為に、暑苦しく感じない。なんでこんなに爽やかに見えるんだろうか?
「ところで、暑くないの」
まだ、何かからかいの言葉を言ってきそうな薫に、話題を変えるために、そんな事を聞いてみる。薫は眉をキュッと寄せる。
「暑いよ!」
そう、力強く言い切る薫を思わず唖然と見返してしまう。
「なら、なんで」
薫は、ムッと不機嫌そうな顔をする。
「夏服はなんか落ち着かないし…………。これくらいの陽気ですぐ薄着だ、半袖だ、とかなったら、夏どうするの? お前が軟弱なの、これくらいの暑さに負けて」
(薫って負けず嫌いなんだ。しかもこんな事で……)
「……お前は、東京育ちだから、まだコチラの気候に慣れているからいいけど、岩手育ちには暑さは身に堪えるんだよ! だから、大目にみてよ」
僕は、あまりにも力説してくる薫に、やや戸惑いながらもヘラっとそういう言葉を返す。薫も、馬鹿な事で必死になりすぎた事が恥ずかしくなってか、チョット視線をそらす。
「そういえば、サイトみたよ! お前の部の」
薫は強引に話題を変える為に言ったのだろうが、その言葉に嬉しくなる。
興味なさげにしつつ、僕の話しをちゃんと聞いてくれていて、こういう風な事をしてくる。ちょっと話題にした復活した部のHPを早速みてくれたようだ。
「ありがとう!」
なんか嬉しく頬が緩んでしまう。
「イラストすっげ~可愛くて気に入った!」
薫は意外にも可愛いグッズとか好きだったりする。
「ああ、アレ月ちゃんが描いたんだ。覚えてる? 先日お昼一緒に食べた」
薫は『ああ、あの子』と頷く。そして目を細めコチラを見てくる。
「あのさ『Star』ってハンドルネーム で記事書いているの、お前?」
俺は頷く。そう映画評論は、本名を出すのはチョット恥ずかしいということで、皆ハンドルネームを作ることにしたのだ。
部長は苗字の林から『Forest』としたことで、副部長は山本『Mt.Book』という感じで皆直球の名前をつけた。なので、僕は星野の星から『Star』とした。
「すげ~直球なネーミング! 名前で直ぐお前と分かったよ!で、記事の内容みてやっぱりって、感じで」
ネコのような目をニヤニヤ細めながら薫は笑う。確かに直球だったかもしれないけど、そこまで面白いものなのだろうか?
「ということは、LUNAが、月ちゃんか」
そう、月ちゃんはMOONではなく、若干捻ってLUNAにしてきた。
僕が頷くと、薫が何やら考えているような顔をする。
「ずいぶん、クールな文章書くんだね、彼女って」
薫の言うとおり月ちゃんの文章はかなりクールだった。
「ビックリだろ?」
今回のHP用の映画の感想を載せるという企画は、ただ喋っているだけでは分からない、それぞれの映画の見方、物事の考え方が見えてくるもので、身内で読んでいてもなかなか面白いものだった。
落ち着いた視線で、やさしく物語を解説していく部長の文章。意外に捻った物事の見方をしてくる山本さん、容赦ない辛口な感想を書くのが清水、マニアックな視点で愛タップリに映画を語る高橋、女の子らしい無邪気でストレートな感情を文章にした永谷と小倉。えらく短く完結に映画の感想を述べた北野。文章の上手い下手はあるものの、それぞれ個性を楽しめ面白い。
ただ、月ちゃんの書いた文章だけ意外過ぎるものだった。
『「怒りは君を幸せにしたか?」という台詞がこの映画の中にある。この映画の中においても、現実世界においてもその答えは『否』と言わざるを得ない。悲しい負の連鎖を生み、悲劇を繰り返すだけだ。――――』
という感じで始まるその文章は『で・ある』調で書いてあることもあり、堅く妙に冷静で論理的。最初読んだときにそれが女性の文章だとは思えなかった。彼女が書いたのは『アメリカン・ヒストリーX』という人種問題をテーマにした社会派でハードな内容な映画なこともあるが、淡々とした文章で映画を分析した内容は、あまりにも月ちゃんのキャラから離れていて僕は驚いた。アメリカに根強く残る人種問題から現代日本の社会に普通に散らばっている偏見や虐めにまで内容を膨らませ論じている。文章の構成力とか理論の展開の仕方は素晴らしくはあるけれど、その妙に大人びて冷めた内容に違和感を覚えた。
「うーん、ある意味らしいなって感じもしたかな?」
薫は驚くことに、そんな事を言ってきた。あの時、明るく無邪気に話をしていた月ちゃんしか知らない筈なのに、何故あの文章を『らしい』というのだろうか?
「え? 結構部の皆は、あの文章に驚いたんだけど」
そう、その文章を読んだ部のみんなの意外過ぎるリアクションに、彼女は酷く戸惑ったような表情を浮かべた。でも『文章がえらくカッチョイイから月ちゃんが書いたものだと思えず驚いた』という明るい北野の言葉で少しホッとした顔をしていたのを思い出す。
ビックリしている僕に、薫は『あれ?』という顔してくる。
「彼女って、あの年齢の女の子にしてはさ、自分のストレートな感情を表現する言葉を口にしない所がない? 映画の感想を語っていたら普通、感動して泣けてきたとか、興奮したとか、格好良かったとか言いそうなものだろ? でもあの子は、そんな言葉殆ど使わなかった」
何でもない事のようにいう薫の言葉に、僕はなんか殴られたような衝撃を受ける。
ヘラっといつも明るく笑っている後輩。その表情に目がいって気が付かなかったけど、薫の言うとおりだ。月ちゃんって、確かにそう言った言葉を使っているのを殆ど聞いたことない。
毎日のように会って、会話もしていて、『月ちゃん』という人物が見た目と違って意外とシビアな性格であることは察していたが、ただ一度あっただけの人物の方がより深く理解しているなんて。なんか心にモヤモヤとした感情が芽生える。このなんとも気持ち悪く心の中でモヤモヤした感情を表現する言葉を僕はこの時まだ知らなかった。
薫はそんな僕の感情に気付いてないようで、綺麗に晴れ渡った青空を眩しそうに見上げている。
「まあ、お前もそうだよね。凄く感情をストレートに表に出すのを嫌う」
俺はその言葉にさらに、傷付く。自分の最も嫌いな部分を、真っ直ぐに指摘されたから。頭が良いってこういうことなのだろう。あらゆるモノが冷静に見えている。
「そうかな~結構単純な方だと思うけど……俺は」
あえてニッコリ笑ってみせる。薫はそんな僕に困った顔をする。僕は数学の宿題の事を持ち出して話を反らすことにする。そんな僕に薫は何か言いたげな顔をしていたが、諦めたように合わせて話題にのってきた。そんな事をしている間に二人は教室に着く。クラスメイトと笑顔で挨拶をして、いつもと変わらない学園生活がスタートした。
猫は、なんでも知っている
TOY LOVE 2002年 ニュージーランド
監督・脚本:ハリー・シンクレア
キャスト:ディーン・オーゴーマン
ケイト・エリオット
マリサ・ストット