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アダプティッドチャイルドは荒野を目指す  作者: 白い黒猫
何かが生まれていく季節
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君が名呼べば

 映画研究部にも、幽霊部員はいる。とはいえ、僕と同級生なので廊下ではすれ違い挨拶くらいは交わすし、一月に二・三度は部にも顔出したりするので、幽霊のわりには存在感はそれなりにある。幽霊部員よりも存在感の無いのは顧問の仲村先生である。文化祭前にだけ部室なり展示室を訪れて、様子を軽く聞いてジュースやお菓子などの差し入れを持ってきてはくれるが基本何もしない。よく言えば信頼されていて、放任状態であるというのだろう。

 その先生が珍しく部室にやってきていた。

「名前だけでいいんだ。それに月見里! 佐藤は美術部の部品好きに使って良いといってるし、絵も指導してくれると言ってるぞ。それは美味しくないか?」

 美術部から月ちゃんに、オファーが来ているらしい。新入部員数を報告する期限が今週末に迫っているのに、美術部は現在五人。あと一人いないと同好会に降格になってしまう状況だった。そこで以前から縁のあった月ちゃんに目をつけたようだ。そして美術部の顧問の佐藤先生は同期で仲村先生と仲が良かった事もあり泣きついた。部と同好会では扱いだけでなく、予算の問題でも段違いであるだけに必死にもなるのだろう。しかも美術部は映画研究会とは異なり画材道具にお金がかかる。

 その言葉を月ちゃんは戸惑った顔で聞いている。そしてチラっと僕の顔を見る。僕も同じような戸惑いの表情しか返せなかった。

「名前だけって事ですが、美術部所属という事は、映画研究部にはもういれないって事ですよね?」

 月ちゃんの言葉に、北野が『え!』と言葉を発して、他の部員の顔も困った感じになり部室に微妙な空気が流れる。その空気を悟ったのだろう、仲村先生は慌てて首を横にふる。

「便宜上、美術部所属になるだけで、どちらの活動を続けてもいいから。両方の顧問も許可しているから問題もない!」

 必死な様子の先生に、ジーと月ちゃんは考え込む。でもそれは、単純にオファーが来た事に困っているのではなくて、絵をやってみたいものの、この話に飛びついても良いのだろうか? という事について悩んでいるのが何か分かった。最近月ちゃんが独学で絵を初めていて、図書館でそういう本を借りて、絵の勉強を初めているのを知っていたから。

「少し考えさせて貰っていいですか? 今週中にはちゃんとお返事しますから」

 月ちゃんの答えに、先生は頷き、『頼むな!』と言って去っていった。

「ま、月ちゃんだったら、両顧問に駄目って言われてもこの部には顔パスだよな!

所属なんて関係なく君の場所はここにあるからさ、月ちゃんの好きなようにしたらいいよ。美術部が可哀想だとかいう事ではなくて」

 清水の言葉に眉をよせたままヘラっとした笑顔を返す。


 その日の帰りも悩んでいたるのだろう、月ちゃんの言葉は少なかった。僕は清水が言ったのと同じような言葉を言うだけで、悩んでいる月ちゃんを楽にしてあげることは出来なかった。僕自身も月ちゃんが少し離れる事に戸惑いがあったから。


 次の日の朝、いつものように改札を出て左をみると、そこには月ちゃんだけでなく薫の姿も見つける。薫は一生懸命という感じで何かを語っていて、月ちゃんはそんな薫を縋るように見上げている。そして薫が何かを言い切ってニコリと笑いかけると、月ちゃんはコクリと頷きニッコリと笑った。その表情は悩みが吹っ切れた感じで明るい晴れ晴れした感じの表情。僕はその表情に何故かショックをうけていた。

 僕が来ていたのに気が付いたのか、薫がこちらを見て笑い手を振ってくる。月ちゃんも同じように嬉しそうに手を振る。

「お早うございます。星野先輩!」

 僕は旨く笑えていたのだろうか? 二人に近付き挨拶を返す。薫は僕らの表情を何やら考えるような顔をした。不自然だったのかなと気になる。

「あのさ、百合ちゃん、まだヒデの事『星野先輩♪』なんて呼んでるの?」

 思いもしなかった事を言われて、僕も月ちゃんも薫の顔をポカンと見てしまう。

「え?」

 戸惑いの声を出す月ちゃんに、薫は大げさに溜息をついてみせる。

「名前で呼んだりしないの? そういえばヒデもまだ『月ちゃん』と呼んでいるよな?」

 別の意味で戸惑い二人で黙ってしまった。薫は平然と、僕の事を『ヒデ』と呼び、月ちゃんの事を『百合ちゃん』よ呼んでいるけれど、僕らにはそうする事は敷居が何故か高い。というか恥ずかしいし、名前で呼ばれる事にもの凄い照れを感じそうだ。

「ほら、月ちゃん、もう恋人なんだから名前で呼びなよ! 呼び捨てがしにくいなら「秀明さん!」って、なんか良い感じでは?」

 月ちゃんは、自分がそう呼んでいるのを想像したのか、チラリと僕を見てから顔を少し赤くした。しかし薫は『さ、さ!』と促す。

「……あ……きさん?」

 月ちゃんのその声は小さい声でハッキリとは聞こえないけれど、それが僕の名前だというのは良く分かり、照れくささと、何ともいえない嬉しさで顔と心が熱くなるのを感じた。

「ほら、ヒデも、呼んでみなよ!」

 薫の目がジッと僕を見て、呼び返せと指示してくる。

「……百合……ちゃん?」

 何故か疑問系で呼びかけてしまう。

「はい!」

 しかし月ちゃんは、照れながらも大まじめに返事を返してくれた。なんだろうか? このシミジミとした喜びの感情は。向き合って照れている僕らを薫は満足気にみつめ、大きく頷いてから、学校へと促した。

 照れて会話の弾まない三人だけど、薫が色々話題を出してくれることで、気不味い事もなく学校までの道のりは楽しめた。

 下駄箱の所で月ちゃんと別れた後、薫が真面目な顔になり僕に話しかけてきた。

「あのさ、月ちゃん美術部の事で悩んでいたみたいだけどさ、可愛いよね」

 僕は、さっきの心の衝撃が再び蘇り、何も言葉を出せずただ頷いて薫の続きの言葉を待った

「悩んでいたのがさ、美術部を選ぶと、お前と会える時間が減って、遠くなってしまうのが怖いって」

 でも、それならば、僕に相談してくれれば良いのにとも思ってしまう。

「だからさ、ヒデはそんな事で月ちゃんへの愛を冷ますヤツでもないし、二人はそんな事くらいで離れる関係ではないだろ! と言ってあげたんだ。だからさ、ヒデ! 月ちゃんが相談してきたらそんなの関係ないって言ってあげて。それに映画研究部の方にも顔出せるし、美術部の時も待ち合わせて一緒に帰ればいいしね」

 僕は薫の言葉に複雑な気持ちで頷いた。薫が凄く良いヤツであるのが嫌という程感じてそこに感動したものの、薫が魅力的な人間であればあるだけに何とも言えない不安な気持ちも湧き起こる。しかし満面の笑顔でコチラに話しかけてくる薫にそんな気持ちは悟らせたくなくて、無理矢理笑顔を作り向き合った。そして『僕と月ちゃんについて、薫が心配するような事は何もない』といった事を伝えたと思う。僕の精一杯の強がりで意地っ張りの言葉。薫は怪訝そうな顔で唇尖らせて僕の顔をジッと見つめてくる。そして何故か大きく溜め息をつく。

「ったく、月ちゃんじゃなくて、百合ちゃんだろ!」

 薫が気になったのポイントは僕のウジウジとした女々しさではなく、呼び方だけの事だったようだ。僕は虚をつかれ冷静さを取り戻す。というよ笑えてきた。

「なかなか、直ぐにそうは行かないよ。何か照れ臭いし」

 薫はニヤニヤしている。

「でも、嫌じゃないんだろ?」

 僕は黙って頷く。

「だったら、お前からガンガンアプローチしてやれよ! 男なんだし、年上なんだし」

 薫には本当に敵わない。僕と月ちゃんの事を全面で応援してくれているのが良く分かりその気持ちに僕の心は熱くなり、少し痛くなる。

「……努力いたします」

「せいぜい精進したまえ! 恋する若人よ!」

 薫は胸をはり、何故か偉そうにそう言い明るく笑った。

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