桜の樹の下で
三年生となっても、僕はまだまだ呑気で迫りくる受験という脅威すら実感出来てなかった。日中は二年生の時と変わらず清水や薫と他愛ない会話を楽しみ、放課後は先輩が欠けて少し寂しくなった部室で映画話や馬鹿話を楽しんだ。
北野は相変わらずで、月ちゃんにやたら構い、僕に絡む。昔は半ば呆れ、半ば微笑ましく見ていたのに見ているのだが、その僕の常識的で大人な対応で更に怒らせる事が多くなった。
北野が今日ゴネているのは、クラス替えの事。一般クラスは三クラスあるために年が上がるごとにクラス替えがある。北野は永谷のいる一組。月ちゃんと小倉と高橋のいる三組と見事に別れ、しかも一組は体育等の授業は特進クラスと組む為、三組とは関わりも少ない。
「忘れ物借りに行けるから良いのでは?」
高橋の言葉に北野は更にムクれる。月ちゃんと同じクラスになった高橋の言葉だけにムカつくのだろう。
「そうだよ、これからは高橋くんに借り放題じゃん」
月ちゃんがそんな北野にトドメを刺す。気付いてないって残酷なものである。
「まあ、俺らからみたら、羨ましいけどな! クラス替え。俺は三年間ずっと同じだからつまんないな」
清水が不思議な空気になったのを、そんな言葉で流そうとする。
「そう言えば、清水先輩達はクラス替えないですものね」
月ちゃんが納得したように頷く。特進クラスは一学年に一クラスのみなので、三年間クラスメイトが替わらない。
「俺そうだよ、しかも星野となんて部活まで一緒だから、もう飽き飽きだよ」
月ちゃんはその言葉に首を傾げる。
「ソレいいじゃないですか。三年間ミッシリより深く付き合えて」
清水はブっと吹き出し意味ありげに僕の方をチラと見る。
「月ちゃんは、その方が良かったかもしれないけど、俺は別にそこまで星野と深く濃く付き合いたいとは思わないぞ」
清水がニヤリとした笑みと言葉に月ちゃんが真っ赤になり俯いた。僕もその言葉に照れてしまうものの、悔しそうな顔の北野を見て少し優越感をもってしまい曖昧でよく分からない表情になってしまう。今まで感じた事のない、人への執着心と独占欲に戸惑う自分もいた。
カップルがいる部室というのも、周りに気遣いをさせてしまうようで、周りも何故か照れたような顔になり話題は真面目な話になる。今部活としては重要な要素のある4月だけに、新入生勧誘をそろそろ行わないといけないのである。
取りあえず今は、部員が六人以上どころか十二人いるから余裕なのだが、来年以降も部を存続させるためにも新入部員は欲しい所である。
とは言え、うちは他の高校のように門の前でビラ持って大々的にアピールして勧誘するような事はなく、部活専用掲示板に案内ポスターを貼り、一年生に配る学校生活の案内冊子に紹介文が載るだけ。
今年は、もうすぐ公開のアメコミヒーローの映画ポスターをパロディにしたイラストに『青春のトギドキも、人生のワクワクも映画と共にある』というコピーをつけて張り出した。コピーは後になって考えるとやや恥ずかしいのだが、その当時の僕らは最高に良いコピーを考えたと盛り上がり、それを月ちゃんが形にしてかなりデザイン的にも決まっていて目立つポスターとなった。
部のサイトのQRコードもつけていた事もあり、HPへのアクセスは増えたもののまだ部室のドアを叩く新入生はいない。
「こんなに気楽で、のんびり楽しめる部活なんて他にはないのにね」
永谷の恍けた言葉に皆笑う。
「ならばさ、サイトの閲覧者も増えているから、そこにそのお気楽さを全面に出して部室での会話とかを紹介していけば、敷居は低くならないかな?」
清水の言葉に高橋が納得したように頷く。
そして急遽『今観に行くならばこの映画!』という新コーナーを作り、加えて『部室でけんちん汁と豚汁の違いで盛り上がった』といったマニアックではない方向もアピールしていくと、『○○○と×××の映画だとどちらを観に行くべきですか?』という掲示板での質問などもくるようになり、そう言った人を上手く部室に誘導する事でプラス六人の新入部員を確保する事に成功した。バリバリに映画が好きなのはその中の二人で残りはお気楽ムードに流されて入ってきた感じである為に、その比率が今まで通りのどかな部が続く事になる。
「なんか、『先輩』って言われると照れますね」
部員が増えて一週間程した時に月ちゃんが恥ずかしそうに僕にそんな事を言ってきた。僕も身に覚えがあるので、頷きフフフフと笑ってしまう。
最後まで二人で残っていた為に二人っきりになった下校道で僕らは手を繋いで歩いていた。最近は駅まで真っ直ぐ帰らず態と遠回りルートで帰るのが習慣になっていた。
このように手を繋いでいていたら、じんわりと暖かい幸せな気持ちがつないだ手から広がってくる。
『星野先輩!』
初めて後輩が出来て真っ直ぐ僕を見て言ってくる月ちゃんに、ムズ痒いようなドキリとするようなそんな気持ちになったのを思い出す。あの時はまだ、月ちゃんの事をそういう意味で好きではなく、ただ可愛い妹のように感じていた。いや、不思議と月ちゃんにそう呼ばれた時の事しか覚えていない事に気が付く。今にしてみたら最初から惹かれていたというのだろうか?
「星野先輩?」
月ちゃんの声で我に返る。
「ん?」
月ちゃんが首を傾げた感じで僕を見つめている。
「どうかされました?」
僕は首を横にふる。
「いや、月ちゃんに初めてそう言われたときも、なんか気恥ずかしいけれど嬉しいそんな気持ちだったなと思い出して」
月ちゃんはフフフフと嬉しそうに笑う。
「一緒ですね」
二人で頷く。僕から視線を戻した月ちゃんが正面を見て目を見張る。神社の入り口にある桜の大木が街灯の光を受けボワンと浮かび上がっている。半月前この道を通った時はまだ枝だけでなんて事ない風景だったのだご、花の季節の今は鳥居の赤と共に景色から切り離されたように光を帯びており幻想的な風景を作り出していた。
「凄い……」「綺麗……」
二人で同時に感嘆の声をあげて、吸い寄せられるようにその桜の大木へと近づく。
暫く無言で桜の大木を見つめていたが、二人で同じタイミングで向き合い静かに笑う。僕は月ちゃんの肩を抱き寄せそのまま二人でキスをした。半月程前に早咲きの桜の下で交わしたキスよりもズット深く濃いキス。最初のキスは、自分のドキドキという気持ちが強すぎてその感情の事しか覚えていない。でも月ちゃんとキスを重ねていく内にだんだん余裕も出てきてその行為と月ちゃんを感じる事ができるようになった。
こんな神社の前で不謹慎だとも言われそうだけど、僕らにとってはその行為は神聖なものだった。長いキスを終え、月ちゃんと僕は再び桜の木を見上げる。『桜が綺麗だね』なんて言葉もここでは不要だった。二人で同じモノを見て、同じように感じ入る。花の重みに耐えきれず垂れた枝から、花弁が零れ僕ら上に舞い散る。僕の頭にも月ちゃんの髪の毛にも花弁積もっていくけれど僕らはそれを払う事もしないでただ桜を見つめ続けた。