抱擁のかけら
『(500)日のサマー』という映画がある。月ちゃんがこの時代から六年程後、映画館でこの映画を観た直後に僕に『この映画最高です! オススメですから是非観て下さい!!』とメールで報告をして来たくらい面白い映画。
運命の相手と感じたサマーという名の女性との日々を過ごす男性を描いたもので、恋愛がうまくいっている時は当にミュージカルさながらに躍りまくるくらい浮かれて、ダメになっている時は相手に怒り、世界を呪わんばかりに落ち込む。そんな主人公と共に、恋愛の絶頂とどん底を味わう物語。
この映画の主人公が恋に浮かれて脳天気に躍り歩くシーンを観て、僕の脳裏に甦ったのは、このキスを覚えたばかりの自分の姿。踊ったり、歌ったりはしなかったものの、そうしても可笑しくない程舞い上がっていた。月ちゃんも同様だった為にそれを冷静に指摘する人がいない為ますます二人で盛り上がる。
僕も月ちゃんも無駄に映画だけは観ていた為に耳年増な所があり脳内でのシミュレーションは十分過ぎる程足りていた。最初の関門を突破してしまえば、キスすることに戸惑いもなくなり実践あるのみ。さすがに人前でするような恥ずかしい事はしなかったが……キスしては二人でモジモジ、ニヤニヤしてその行為を楽しんでいた。
学校では無邪気な関係を装って、隠れてイチャイチャしという事も楽しかった。正直言うと、この時の僕らが周りからどのように見られていたか、良く分からない。清水は呆れて、北野は多分憎々しげに見ていたのだろうが全く覚えていない。薫に至ってはどういう顔をしていたのだろか? 今となっては知る術もない。
それよりも、月ちゃんと僕が気になっていたのは次のステップの方だったのだろう。
僕が男という事もあるのだろうが、キスとかしていると、否応無しに自分の中に沸き上がる欲求というものに気付いてしまう。逆にそういう欲求が自分の中にも強く存在した事にも戸惑いを覚える。
月ちゃんはどうなんだろうか? キスをした後、『こうしていくとどんどん、先輩近く感じる』とはにかんだように笑った顔が、頭の中で何度もリプレイする。キスをすればするほど、僕の月ちゃんへの感情は高まり、心だけでなく身体の方までが熱くなってくる。
渋谷を歩いていたら、結構目立つ所にあるコンドームショップがある。月ちゃんはその前を通るときに、チラっとソチラをみて恥ずかしそうに俯く所から、意識はしているのだろう。少し途切れてしまった会話を気にしないふりをして、その店の前を通り過ぎる。しかしセンター街から道坂坂方面へと向かう為に、近道するため小道に入ったら別の存在が僕らにアピールしてくる。うっかりホテル街に入り込んでしまったようだ。
二人でつい立ち止まり目を合わせてしまう。つないでいた手に力がこもる。月ちゃんの顔に緊張が走る。でも覚悟を決めたように此方を見上げ小さく頷く。つないだ手がやけに熱く汗ばんでいるのが分かる。どちらの汗なのかも分からない。小さく静かに息を吐き僕も覚悟を決めて頷き、建物の入り口の方へ向かう、手をつないだままで。
生まれて初めてのラブホテルだったが、どんな建物だったか、どんな部屋だったかという記憶は曖昧である。暗い廊下を通って入った部屋は思ったよりも普通で狭かったと感じた事だけは覚えている。
部屋の真ん中にセミダブルのベットがやたら存在感を出していて、そこにすぐに向かう事も恥ずかしくて部屋の中に視線を無駄に動かしたような気がするが、その割に視覚情報というのは頭の中に入っていない。
バスルームへの扉に気が付き、二人で再び顔を見合わせる。馬鹿みたいに譲り合って結局月ちゃんに先に入ってもらった。ベッドに座るのも恥ずかしいので、申し訳程度に置いてあったソファーの方に腰を下ろす。バスルームから聞こえる水音を気にしながら、僕は文字通りソワソワしていた。そっと財布に忍ばせていたものを出し、そっと手に握る。口から心臓が飛び出すのではないかというくらいドキドキしてくる。
月ちゃんがバスタオルを巻いた格好で恥ずかしげに出てくる。言葉を交わす事も出来ずに交代で僕もバスルームに入り、かなり慌てた状態でシャワーだけ浴びる、それだけ焦っていたんだろう。洋服をこういう時洋服をまた着るのも変な気がする、月ちゃんの綺麗に畳まれた洋服をチラリとみて、悩んだ結果僕もタオルを巻いた格好でノブに手をかける。バスルームから出るとソファーに腰掛けていた月ちゃんはビクリと身体を動かし此方を見上げてくる。僕が近付いていくとゆっくり月ちゃんは立ち上がり僕を迎える。初キスの時以上に緊張しながら、僕らはゆっくりと深いキスをした。
ベッドに二人で腰掛け再びキスをした後に、そのままベッドに月ちゃんを横たえる。月ちゃんは頬を赤らめ恥ずかしげに視線を泳がす。僕も余裕はなかったけれど安心させるように笑いかけると、月ちゃんも口角をクイっとあげ笑顔を作りギュっと目を瞑った。僕は気を落ちつかせるために一回深呼吸してそのまま月ちゃんの上に覆い被さり、頬をゆっくり撫でながらその唇に馬鹿の一つ覚えみたいだがキスをおとす。月ちゃんの瞼がビクリと震えたのを妙に覚えている。
冷静でいれたのはここまでだったのかもしれない。初めて生で見る女の子の身体、初めて触れる女の子の肌に理性を飛ばしてしまったのか? テンパリ過ぎた所為なのか、柔らかくて温かかった月ちゃんの感触、それだけが強烈に残っていて細かい事はよく覚えていない。ただ、セックスは凄く興奮して気持ち良い事という事は覚えた。それくらい初めての経験は鮮烈で、僕の中で何かが変わったポイントでもあった出来事だった。
でも月ちゃんからしてみたら、どうだったのだろう。おそらくはあまり素敵な初体験ではなかったと思う。終始緊張していた様子だったし、初めて使うコンドームの装着にも手間取ったりもした。それ以上に繋がっている最中は、ずっと顔を顰め耐えるような表情をしていてそれは快感を感じている女性の様子ではなかったと思う。
でも熱に浮かれたような時間を終え、二人で裸で抱き合っている時は何故か僕に嬉しげな顔で微笑んできた。そして甘えるように僕に身体を寄せる。月ちゃんの髪が僕の胸を撫でてくすぐったかった。僕は愛しさと申し訳なさを感じながら月ちゃんを抱きしめる。
「ゴメン、月ちゃんは辛くなかった?」
かなり痛かったと思うのに月ちゃんは首を横にブルブルとふる。
「嬉しかった。先輩と……できて……。先輩は、気持ちよかった?」
「うん……とても」
僕の言葉に柔らかい笑みを返して僕を見つめてくる。なんでだろうか? 僕を気遣ってだと思うけれど笑うその表情がとても大人っぽく見えた。
「今度は、二人で気持ちよくなろうね」
ここで謝るのも違う気がして、僕はそんな微妙な言葉を続けた。月ちゃんはキョトンとした顔をしたが、フフフフと笑い小さく頷く。
次はもっと上手にやって二人でちゃんと楽しめるようにしないとと心の中で密かに誓う。初めてのセックスにより僕の月ちゃんに対する愛しさはますます深まり、かけがえのない存在となった。