フローズンタイム
冬休みが終わりお休み気分のまま聖徳学院に行くと、そこは今までのような楽しいだけの場所ではなくなっていた。頑張って勉強して入学した高校だが、そこで脳天気にいられる期間は短く、受験という暗い影が僕らの生活に落ちてくる。実は二年に進級した辺りからその影に気が付いていたけれど、僕はあえて考えないように逃げていた気がする。しかし流石に三学期になるとそうも言ってられない状況になってきた。
いままで、自分の偏差値に合いそうな所を適当に書いてきたけれど、果たしてそこが本当に行きたい所なのか? そこが分からなくなってきている。薫はというと、一年から進路を決めていることもあり悩む事ないようで、その場で書き入れてさっさと先生に提出していた。
「何、そんな難しい顔してるの?」
HR終わっても席についたまま紙をみている俺に、前に座っていた薫は振り返って聞いてきた。僕は肩を竦めて、無記入の紙を見せると、納得したように頷く。
「なんかさ、大学行くために勉強頑張っているけれど、大学行って何をしたいんだろうか? と考えると分からなくなる」
薫は成る程と頷くが、ニヤリと笑う。
「清水のように、彼女を作って楽しく過ごすとか?」
近付いてきていた清水が苦笑する。薫も清水が来ているのを見て、そんな事言ったようだ。
「それは、あくまでも頑張ってきてきた自分へのご褒美だよ! 目的じゃなくて」
薫は、「ふ~ん」と言いながらチラリと清水の顔を見る。
「お前、ご褒美貰える程、頑張ってた?」
「お前と違って目か悪くなる程ね」
清水は人差しだけで眼鏡を気障っぽくあげなから答える。
「夜中にエロサイト見過ぎたからでは?」
薫は目を細め、清水に冷たい視線をおくる。
「ひでぇな、この歳で眼鏡かけてるヤツをみんなエロ呼わばりかよ! なあ、星野」
眼鏡かけている僕は苦笑するしかない。エロサイトって、僕の場合苦手で、バナーをウッカリクリックしてしまいつながっただけでも慌ててすぐ消してしまうほど弱い。
「ヒデとお前は別だろ!」
清水はニヤリと笑う。
「いやいや、こう見えてコイツは、結構ディープな映画とか良く見ているぞ!」
その言葉に僕は慌ててしまう。別にエッチな内容なものを好んで見ているのではなくて、映画の中にそういう要素が偶々あるだけである。
「でもさ、多分ヒデってそういうシーンもニヤリともせず真面目に見てそうな気がする」
「確かにな」
僕は。二人の会話を聞いていて赤くなってしまう。そういうシーンどころかキスシーンでも、見れば少しドキドキはする。しかし洋画が多いこともあり、そういった行動が現実感の薄いシーンに見え、僕とはまったく関係のない遠い世界の内容に感じる。それだけに実感として盛り上がったり、エロい気分になるというのとはないのもしれない。
「そういう二人は、どんな顔して見ているんだよ!」
思わず反論する僕に、二人は黙ってコチラを見つめ返し、そして眼を逸らす。エロや萌え的な話題って好きなヤツも多いけど、考えてみたらこの三人でそう言う話で盛り上がった事がない。どういう女性がタイプだとかも、清水がハリウッドのグラマラスな女優を『最高だよな 彼女にするならこんな女性だよ』とか言って薫にクールに「お前がブラピとかじゃないから、無理じゃない?」と突っ込むようなやりとりはあっても、薫と僕が自分からそういった話題をする事はなく、清水のふった話題は薫のツッコミで終わりギャグとして流れる。恋愛論を現実的な話題として語り合う事もなかった。現実的な話題をしようにも、彼女のいたことのない清水や僕が何を語り合うというのだろうか?
「ところヒデって何かやりたい事とかないの?」
薫は話題を逸らす為なのだろう話を戻してきた。その薫の言葉に僕は再び悩みを思い出す。何になりたいとかいう夢がまったくない。普通のサラリーマンになって普通の家庭をもって普通に人生を楽しみたい。それが夢なんだろうか?
「うーん」
悩む僕に、清水はニヤリと笑う。
「なんか人当たりも柔らかいし、学校の先生とか似合いそうだよな」
僕はその言葉に首を傾げるしかない。そんな大勢の人の前で何かをするのなんて苦手だし、どちらかというと内向的な僕にあっているとは思えない。
「あと、裏路地にある隠れ家的な喫茶店のマスターとかも合ってそう」
薫がますます、ピンと来ない事を言ってくる。
「銀行員とかも似合いそうだよな。星野はなんか優しく丁寧に接してくれそうだ」
「コツコツ何かする研究員の線も捨てがたい!」
勝手に盛り上がっている二人の話を聞きながら、僕の人から見えているイメージって何なんだろうかと思う。そして進路希望の紙を見つめなおす。
「就職に有利な学部って何処なんだろうな?」
二人は首を傾げる。
「まあ、理工系は専門を生かすという意味では就職に繋がりやすいとか聞くかな。あと文系なら文学部にいくよりも経済、法学、政治の方が学んだ事を社会で生かせそうな気もするよな」
清水がそんな事を言ってくる。進路をハッキリ決めている薫はそんな事を気にした事もないのだろう。感心したように清水の言葉を聞いている。
普通のサラリーマンになりたい場合、大学で学んだ事をもっとも生かせる学科って何なんだろうと考える。専門的な技術職って僕に向いているのだろうか? というか出来るのだろうか? となると経済だと、どういう企業にも生かせる? そんないささか不純で熱意もない理由で僕は自分の偏差値に合っている大学で経済学部系の学科をぼんやりと目指そうかなと考える。大学の志望ってこんなので本当に良いものなのだろうか?
なんともスッキリしないまま、薫と別れ清水と部室に向かうことにする。笑顔の月ちゃんに迎えられて、若干下っていた心が一気に浮上する。
小倉と永谷は井上から勉強を教えてもらっているようで三人で顔を付き合わせて勉強をしている。高橋らはアイドルの話でなにやら盛り上がっている。月ちゃんはここなら思う存分パソコンを使えるという事でネットサーフィンを楽しんでいたようだ。文化祭というイベントが終わった事と、三年生が受験の為に顔を出さなくなった事もあり気ままなさにさらに拍車がかかったようで、映画にまったく関係のない事をしている人の方が多い状態が続いている。僕と清水は月ちゃんの笑顔に誘われるようにパソコンの前でサイトを観ていた月ちゃんの隣に座る。
「この映画、凄く面白そうだと思いませんか?」
月ちゃんはニコニコ笑いながら、パソコンで映画サイトの動画を僕らに示す。
「ん?『フローズンタイム』? コレね海外のサイトでも評価高いんだよね!」
僕の言葉に嬉しそうに笑い『そうなんですよね』と頷く。イギリスの映画で、失恋の痛手から不眠症でとなった男が、持て余した時間をスーパーの夜のバイトで潰すことにするが、精神的に限界に達しついには自分以外の時間を止まってしまう事態にまで発展して……という物語だが監督がファッションカメラマンのショーン・エリスであることもあり映像がとにかく秀逸ならしい。僕も注目して観てみたいと思っていた作品である。
「絶対観に行こうかと思っているんです」
期待に満ちたキラキラとした目で画面を見つめる月ちゃんを僕は見つめる。
「僕もなんだ。なら一緒に観に行く?」
初詣を二人だけで出掛けた事もあったからか、以前よりも躊躇なく月ちゃんを誘える僕がいる。僕の言葉に月ちゃんは真っ直ぐ僕の顔を見てコクリと頷く。そしてハッと近くで聞いていた清水の顔を見上げる。そして誤魔化すようにヘラっと笑う。
「清水先輩も一緒観に行かれますか?」
清水は皮肉っぽい顔で笑い首を横にふる。
「二人で観に行けば、俺はいいや!」
月ちゃんはその言葉に『わかりました』と困ったような照れているような顔で頷く。ニヤニヤと清水は笑い僕を意味ありげにチラリとみる。僕はなんか恥ずかしくなって視線をそらし、部室を見渡す。
まだ来ているメンバーが少ない為なんか何時もより部室が広い。受験で顔を先輩方が顔を出さなくなっただけでなく、三学期から井上が部長、清水が副部長、僕が会計と引き継いで、先輩達の引退はもう間近。楽しい筈の部活動に最近は一抹の寂しさを覚える状況になっている。
同時に僕の高校生活も残り少なくなってきている事実にも気が付かされる。月ちゃんと映画の話を楽しみながら、こうしていられるのもあと一年くらいなのかという事も考える。この愛しく楽しい時間を大切にしなければと思う気持ちと同時に、そんな時間が砂時計の砂のように消えていくことに焦りも生まれていく。
出来たら、この最高に楽しい時代のまま時計が止まってしまえばいいのにと馬鹿な事も考えてしまう。
フローズン・タイム(Cashback)
2006年イギリス映画 102分 映倫区分:R15+
監督・脚本:ショーン・エリス
キャスト:ショーン・ビガースタッフ、
エミリア・フォックス、
ショーン・エバンス、
ミシェル・ライアン
※注・フローズンタイムは年齢制限のある映画です。月ちゃんは16歳なので大丈夫です。