汚れなき悪戯
夏休みになった。僕は母に『夏期講習とかあるから』という理由で、実家に戻ることはしなかった。去年の夏休みのお盆シーズンや、冬休みは実家に戻り、旅館を手伝ったりした。しかし実家は不在の間、僕の部屋は妹奪われ、ますます居心地の悪い場所へとなっていた。というより居場所がなくなっている。あと東京で一人で過ごす事になる祖母の存在も気にかかった。正月など祖母も岩手に誘ったのだが、彼女は首を絶対に縦には振らなかった。
母に帰らないという事を電話で話したあと、祖母は『大丈夫?』と気にしたようだが、何処か嬉しげだった。社交的な人なので、友達は多いようだが、やはり一人暮らしというのは寂しいものだと思う。大した事はできないけれど、一緒に美術館にいったり、ショッピングしたりと祖母と穏やかな共同生活を楽しんでいた。
「ひーちゃんは本当に、お祖父さんの若い頃のソックリ。おだやかで、優しくて」
「今日の料理どう? TVで作り方紹介いたのだけど、ひーちゃんのような若い子が好きそうだと思って作ってみたの」
ニコニコと嬉しそうに、僕に話しかけてくる祖母の笑がくすぐったいけれど嬉しさを感じていた。
実家では感じられなかった、僕だけを必要としてくれる。母だったり、亡くなった祖父だったり、彼女が愛した人達の代わりであるものの、僕に初めてまっすぐむけられた愛情に甘えるという行動を学ばせくれた。
強制ではないものの、学校の夏期講習に、塾などと意外に高校の夏休みも暇ではない。そういったイベントを、薫や清水たちと過ごし、日常学校生活の延長の時間が続いていた。
唯一生活から消えたのは部活の時間。夏休みは文化部なこともあり部の活動はなく、代わりに月ちゃんから、週に一通か二通ほど日常報告みたいなメールが届く。
『夏休みの宿題、順調に片付いて、自由研究意外は今月で終わりそうです♪』
『美術館で開催している、サマーアートスクールに参加しています。実際にキャンバスに絵の具で描くのって気持ち良いですね』
『今日は用事がなかったので、相模原宇宙研究所でプラネタリウムなど見て涼んでいました』
月ちゃんは、家でダラダラすることなく、ほぼ毎日どこかに出掛けているようだ。
『とうとう映画公開ですね!
明後日先輩と映画観にいくのを楽しみにしています』
そんな月ちゃんからのメールに、照れくささを感じ、夏期講習後の休み時間に思わずニヤニヤしていたらしい。
清水に携帯取り上げられる。そして彼は何やらキー操作をして僕に返す。
『送信済み』という表示に首を傾げる。何かメールが送信されたらしい。送信フォルダーを調べると、とんでもない内容の文章を見つける。
『映画もだけど、月ちゃんに明後日会えるのを、俺は楽しみにしているよ♪』
清水は悪気どころか、ドヤ顔で偉そうな態度で返してくる。慌てて怒るけれど清水は惚けている。
「嘘は書いてないし~」
この文面、凄いアヤシイ。コレだと僕は軽い変なヤツみたいだ。
「月ちゃんが、変に思うだろ!」
文句言っても、ニヤニヤしているだけだ。
「うーん。清水もツメが甘いよ、この場合一人称は『僕』だって! すぐバレるよコレだと」
清水に詰め寄っていた僕に、薫は冷静なコメントをしてくる。そしてニヤリと笑い僕に携帯を返す。
言われてみれば、そうだけど月ちゃんが、メールの一人称の違いに気が付くものだろうか?
月ちゃんに変に思われるのも嫌なので、メールを僕からちゃんと送ろうとしたら、月ちゃんからメールが届く。恐る恐るボタンを押す。
『今の二通のメール、清水先輩と、薫先輩からですよね?
課外授業も、何か楽しそうでいいですね! なんか羨ましいです。お二人に宜しくお伝え下さい!』
良かったしっかりバレてる。誤解はされてない。僕がメール出したとは思われてないようだ。
「月ちゃん、シッカリお見通しだよ。二人によろしくって!」
清水は残念そうな顔をして、つまんなさそうに溜息をつき薫はポケットから自分の携帯を出して弄くる。
ホッとしなら、二人に話しかけながら、何か気になるフレーズが書いてあった事に気が付く。
『二通』『薫と清水?』
送信履歴を見ると、『ゴメン!』 という謎のサブジェクトのメールが、最新送信メールとして存在していた。相手は月ちゃん。
『友達が勝手にメール返信してしまって参ったよ。でも一緒に出かけるのが楽しみなのは本当だけどね。明後日いっぱい遊んで楽しもうね』
僕が清水に詰め寄っている間に、薫がコッソリ送ったようだ。睨むと目を細めて楽しそうに笑う。
この二人はよく喧嘩するくせに、僕をからかうときだけは、絶妙な連携と仲の良さを発揮する。
清水は『残念、残念』と、アハハと笑う。そんな時に薫の携帯が震える。
薫は脣を突き出して、送られてきたらしいメールを読み。
「バレバレだったみたい」
そう言いながら、僕らに液晶を向ける
『>っち バレタか残念
そりゃ~バレバレですよ! 違和感ありまくり!
灰色の脳細胞をもった私を騙すのは容易じゃないですよ~♪
明後日、楽しみにしています! ではまた! 勉強頑張ってくださいね』
絵文字をふんだんに使った女の子らしいファンシーなメールがそこにあった。月ちゃんからのようだ。僕へのメールにはない、はしゃいだ感じに、アレ? と思う。 薫の方も絵文字が入り、なんとも賑やかで楽しそうなやり取りが伺えた。なるほど、二人はいつもこんなノリでやり取りしているのだろう。
「月ちゃんって、意外に鋭いな~。メールみてその意図に悩んで慌てるかと思ったのにな~」
「女の勘は馬鹿にしないほうがいいよ!」
薫は、携帯のキーを操作しながら清水に答える。
「あと、一時間で終わりか~、腹へったよな、今日は何食べていく? マック?」
僕はぼんやりと、二人の会話を聞いていた。
『薫と清水が色々、迷惑かけてごめんね。
映画楽しみだね。
では明後日に』
僕は結局、二人のメールに比べたら面白くもなんともない素っ気ない感じのメールを月ちゃんに返した。メールって慣れていないこともあり、いつもこんな感じになってしまう。顔文字とか絵文字を使うというのも照れくささもあってやったことない。
『先輩もあの二人を相手にいつも大変ですね
でも、一緒でワイワイ騒いでいるのって、それはそれで楽しそうです。
明後日、スッゴク楽しみで、ワクワクしています。
内容的にやはり、ハンカチは複数枚もっていくべきでしょうか?
ではでは、明後日渋谷で!』
絵文字も顔文字もない落ち着いたテンションのメールが返ってきた。当たり前といったら当たり前か。固い文面のメールに、ハジけたメールを返し辛い。薫や清水みたいに、声が聞こえてきそうなハジけたノリで人に接することができるって、ちょっと羨ましいと思う。
汚れなき悪戯 (Marcelino pan y vino)
1955年 スペイン映画 91分
監督・脚本:ラディスラオ・バホダ
キャスト:パブリート・カルボ
ラファエル・リベリュス