想い出の微笑
この物語の主人公は、《近距離恋愛》シリーズに少しだけ登場する星野秀明で、彼の高校時代の物語。ですがテーマが異なっておりシリーズとしては《みんな欠けている》の方いれさせてもらいます。《近距離恋愛》において星野秀明は本当に少しだけの登場なので、そちらを読まなくてもまったく問題ありません。寧ろ読まれないほうが、この恋愛がどうなるのか分からなくて良いかしれません。またコレだけは他の『みんな欠けている』シリーズとある意味別ものなので、他の物語を読まなくても話に何の支障もありません。
岩手県花巻市の温泉街の外れにある『東雲荘』は、こぢんまりとした旅館な為に、どちらかというと、ご年配のお客様がノンビリ楽しんでいく、そんな場所。岩風呂と家庭的なお持て成しが売りの旅館である。
そんな旅館に今丁度一人の女性客が訪れていた。都会からくる人物というのは、なんともお洒落な人が多い。大学まで、東京にいたものの、旅館に訪れる都会から観光に来た洗練されたファッションに身を包んだ人を見ると、『おぉ! 都会の人は違うな~』となんてこと感じ、僕もスッカリ田舎者に戻ってしまったようだ。
その女性も東京からの観光客で、スラリとした体型に白いTシャツに黒の細身のパンツに長めのニットのグレーの上着という、何てことない装いをクールにキメている。黒を基調にしたボーイッシュなファッションが良く似合っていた。癖のないミディアムヘアーに、派手にならない程度にアイラインがひかれ綺麗にメイクされた瞳と、形の良い唇に淡い色の口紅が、その女性の美しさを引き立てている。
小さめの旅行カバンにシンプルなデザインのショルダーバックのみという出で立ちが益々彼女を快活に見せている。
元来旅館というものは、常連ならともかく初めて訪れる一人客というのを厭がる。部屋を一人の客だけで占有されるという事だけでなく、自殺の可能性もあるからだ。
母もネットで予約してきたその人物を警戒したようだが、その人物とのメールの丁寧なやりとりの雰囲気から自殺の為にきたと思えなかったので、そういう心配はしていなかった。
出迎えた従業員とも明るく会話を楽しむ様子からも、彼女にはそういった暗さを一切感じることはない。
僕はむしろその人物の名前に動揺を覚えていた。
だから、その人物がやってくる予定の時間、玄関に様子を見に来ていたのだが、背筋をスッと伸ばし自信に満ちた感じで立つ女性は、僕の記憶にある人物とかけ離れた大人な雰囲気をもった女性でガッカリする。
落胆しつつも笑みをつくり、その人物に軽く会釈をして離れようとしたら、その人物がコチラに気がつき目が合う。とたんにその女性は瞳を細め嬉しそうにニッコリと笑う。
その女性客の表情が、かつて自分の記憶にある人物とあり得ない合致をする。僕は営業用スマイルも忘れ、口をぽかんと開け呆然とする。
「久しぶり」
その女性は、僕にそう声かけてきた。
昔と変わらないニカっとした、明るい笑顔をコチラに向ける。
その笑顔に引き込まれるように、僕は思い出す。あのどうしようもなく青く切なかった青春時代を。記憶の中でセピア色にそまった、それらの世界が鮮やかに色を取り戻し、蘇がえる。