バクダン 1
その日はユズの誕生日。名実ともに成人の日。これでひとつカリヤに対する借りが減ったと気分よくいられたのは昼間だけで。
「来ちゃった。今日はもちろん、あたしがアフターをもらえるんだよね?」
「う……んと、恵斗さんに訊いてみるね」
ユズがしどろもどろにそう答えてしまう相手の名は、リコという。カリヤの指名客が連れて来た看護師の同期らしい二十六歳の女。ユズの指名第一号でもある。連れの彼女が太客なので、類ともだろうとカリヤがユズをヘルプに呼んで顔合わせをさせた経緯がある。
枕営業を止めてから彼女の態度が変わり、正直に言うと少し怖かったりする。いつもカリヤ指名の彼女としか来なかったのに、この頃は彼女独りでも来店するようになった。セットで太客だとばかり思っていたのに、彼女自身はそれほどの上客ではなくて。
カリヤに相談などしたら、自業自得とまた小馬鹿にされるだろうから絶対に言えないが、百パーセントの確率で『本彼』と勘違いしている。
(誘われたから寝ただけ、とか言ったら絶対刺すタイプだろうな、この人……)
今更カリヤの忠告に従わなかったのを後悔しても遅かった。
風適法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)に準じれば深夜零時で営業は不可能。そんなホスト『Paranoia』ではその時間以降は表向き「営業ではなく延長で個人の交流タイム」、帳簿的には翌日売上として処理される。故に零時がいわゆる「ラストタイム」。その日の売上ナンバーワンがラストソングを選べる訳だが。
「え……嘘。ボクですか?」
内勤の久住が耳打ちして来たその内容に驚いて思わず顔を見上げた。
「そ。今日はお前の誕生日だし、リコちゃんがドン・ペリを三本も入れてくれただろ。拓巳が二番手に譲るって」
「……マジですか。うわ……」
そんなの、考えてなんかいなかった。それは先輩達の専売特許と思っていたし、自分はカリヤがいる限り、ナンバー『ワン』は永遠にないと思っていたし。
「ど、どうしよう。リコさん、何かリクエストとか、ありますか?」
笑顔が妙に引き攣ってしまう。あまり歌には自信がなくて。
そんなユズの心情を知ってか知らずか、彼女は柔らかな笑みを返してその曲名を告げた。
「じゃあ、尾崎のシェリーがいいな。ほら、前にカラオケで歌ってくれたでしょ」
曲名を聞いて、つきんと胸に針が刺さる。尾崎豊というアーティストを教えてくれたあの人を思い出してしまったから。
「う……ん、じゃあ、久住さん、それで」
あたしの為に歌ってね、という彼女に曖昧な笑みを返し、ユズは久住へオーダーした。
――シェリー 見知らぬところで人に出会ったらどうすりゃいい
シェリー 俺ははぐれ者だから お前みたいにうまく笑えやしない
シェリー 夢を求めるならば孤独すら恐れはしないよね
シェリー ひとりで生きるなら涙なんか見せちゃいけないよね――
歌いながら、遠い故郷を、遠いあの人を思い出す。彼女の言葉を思い出す。
『私なんかに囚われないで。自分の夢を見つけなさい』
二人の犯した罪を独りで抱え込んで、彼女はそう言って自分を見送ってくれた。本当は、ただ逃げ出しただけなのに、自分は。大学へ自力で進学するんだなんて嘘をついて逃げ出したのに。
――シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに――
ユズにとっての「愛すべきすべて」は、佳奈子とその腹にいた子、だけだった。まだ、一年と少ししか経っていない。まだ、傷は膿んだまま。それがユズの視界を水中のようにうねらせる。零れそうなそれを、深いお辞儀と同時にさりげなく拭い消した。
ラストソングの割に静かだったホールが、曲の終わりと同時に歓声とクラッカーで喧騒と化す中、ただ一人だけ不審な視線を送る者がいたことにユズは気づいていなかった。