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陰謀 2

 チェーン展開されている喫茶店。その奥にある会議用ブースは簡易ながらパーテーションが立てられており、適度な声の大きさならば、話し声がホールに漏れない配慮がされていた。ホールのBGMは結構大きく、曲によっては耳障りとも感じられるが、一段下がった天井がそれを巧く軽減させている。多少時間が掛かったとは言え、一を言うと十を理解しこちらの意図どおりの答えを出して来る。そこが、カリヤがユズを高く評価して来たことのひとつだった。

「……八人掛けに二人はマズいだろうがな」

「あ。それはあとから来ると店には伝えておきました」

 涼しげな顔で平気で嘘をつく、そういう機転も、後々の計画において欲しい逸材とは思うのだが。

「で。何、話ってぇのは」

 面倒臭そうに吐き捨てる。手短に話せとばかり眉根に深い皺を寄せたまま、また一本に火をつけた。同時に、テーブルの中央にあった灰皿が右手許につるりと滑る。遠過ぎず、近過ぎず、的確にこちらのアーチを計算した上で出された距離。

「ええと、ですね。この状況では非常に言いづらいことなんですが」

 惜しい気もするが、ここまで恐縮されるほど毛嫌いされてはしょうがない。よそに持っていかれるのも、叔母に後々こいつを使ってこっちを潰されるのも癪に障るので、今の内にいっそこいつを潰してしまおうか。

 今となっては別人にしか見えない殊勝な仔犬を斜に構えた恰好で見下しながら、カリヤはそんな、まったく別のことを考えていた。

「お金を借りたままでお願いごとも何ですけれど、あの……ボクも“うらぱら”に入れませんか」

「げほっ!」

 今日むせたのは一体これで何度目だ。

「バカかてめえは。俺さまに何て言葉を吐いたのかを覚えてねえのかよ」

 目尻の湿りを手の甲で拭いながら、一層眉をひそめて仔犬を睨む。視線を合わせないクソガキは、もっと肩をいからせ縮こまりながらもキッチリちゃっかり答えだけは返して来た。

「だから、その件は本当にすみませんでした。ただ、ノンケでもドロップアウトしたヤツなら、拓巳センパイは考えてくれる、みたいなことを恵斗センパイが匂わせていたんで」

 俯いてつむじしか見えない状況では、表情まで読み取ることは出来ないが、声音は少し震えていた。

「……内訳は、なんだよ」

 溜息混じりに問い掛ける。降参と認める代わりに揉み消した煙草が、忌々しげにひしゃげて歪んだ。

 弱いもの虐めは好きじゃない。ユズが怯えているのは自分ではなく、ここにはいない、別の、誰か。ことと次第によっては考えてやってもいいか、と一瞬思った上での問いだった。

「……言いたくありません」

「はぁ?」

 言えない、ではなく言いたくない、と言った。その言い回しは、言えない『やんごとなき事情』とは異なる、彼自身の意思表示と受け取れた。

「言いたくないです。でも、こんなご時世で大学にも行かないで、こんな危なっかしい仕事をしてる未成年って言えば、センパイなら大体察しがつくじゃありませんか」

 ようやく顔を上げたユズの瞳は、もう仔犬というより野良猫に近い警戒の色を帯びていた。

「バカかてめえは。事情は話せない、でもこっちの裏事情は知っているからそこに黙って便乗させろ、ってか。誰が信用してねえヤツを信用して入れられるか。時間の無駄だ、お互いにな」

 無性に苛つき、さっさと席を立った。

「まっ、待って……」

 ――あの人に、迷惑を掛けたくないんです。

「あの人?」

 一度は向けた背を、また振り返って戻してしまう。

 何なんだ、こいつは――久石譲っていうヤツは。

 コロコロと態度を変えて、正体を掴めない。頑固なまでに我を通すかと思えば、突然こんな風に犬っころみたいに縋って来る。自分にどうして欲しいと考えているのか解らない。解らないから、苛々する。まるで自分など本当は虚勢を張っているだけの臆病者だと蔑みいいように茶化されているように感じてしまう。

 カリヤの口角がいびつに上がった。

「佳奈子?」

 殊勝だったユズの瞳が、また険のある目つきに変わる。

「知り合いでもないのに、気やすく呼び捨てにしないで下さい」

 そうだ、思い出した。誠四郎の策にはまった腹いせに、こいつをいじって遊ぶことで憂さ晴らしをするつもりで残ったんだった。

 挑む瞳を見ると、俄然受けて立ちたくなる。カリヤはもう一度向かいの席へ腰を下ろした。




 六人と偽った為に、無駄に並んでいるアイスコーヒーのグラス。氷が粗方溶けてすっかりアメリカンになったひとつに手を伸ばす。

 からん、と微かな音をストローで奏で、まずいコーヒーをガムシロップとミルクで誤魔化した。

「じゃあ、佳奈子ちゃんでいいや。その子と何かあって、田舎を飛び出して来た、ってとこか、家出少年」

 履歴書の本籍地が北海道になっていた。見習いホスト期間が半年という異質さに何の違和感も持っていなかった。そんなことに気づく余裕もないくらい、切羽詰って逃げて来た、といったところだろうか。

「個人情報を勝手に見るのは、幾ら甥でも犯罪になるんじゃないですか」

 どうやら佳奈子の名を口にしたのが、彼の逆鱗に触れたらしい。完全に、殊勝な犬っころの態度が消えた。涼しげなポーカーフェイスで水臭いコーヒーをブラックのまま飲み下して本題へ戻ることを暗に促している。

「幾らボクが目障りだからって、遠回しなやり方は卑劣ですよ」

「は?」

 ヤニってなくてよかったと思う。またむせるところだった。

「目障りって……お前、俺がお前なんかを目障りに思うほど、そんなに脅威的存在か?」

 突飛なユズの発言の所為で、思わず反論に笑いが混じってしまう。

「脅威……って、大袈裟な。でも、いちいちうるさく絡んで来てたじゃないですか。人のやり方を逐一調べてあれこれ説教かまして来たり、いつもヘルプにさせてばっかで、全然ボクには本指名が来ないし」

「あのな。ヘルプは俺の指示じゃないっつの。客がヘルプを指名するんだよ」

「何でですか」

「客ってのはな、本指名以降は仮にお前をはべらせたくても担当を替えることが出来ないシステムに準じてないと出入り禁止になるんだよ。規則になくても、それが暗黙の了解なの! ってかんなことも知らんで勤めてたのかよ」

「そ……なんで、すか……」

 ユズの険が緩むと同時に、カリヤも呆れ過ぎて脱力して来た。

「お前、俺の指名の客が枝分けてやってんのに、片っ端から食ってただろ。クレーム処理が大変だったんだぞ」

 今更人に聞けないあれこれを説明する破目に遭うとは思わなかった。あまりこちらを芳しく思っていない支配人が意図的にユズへの指導を怠り、オーナーへこちらに責任を振る魂胆だったと推察された。

 気づけば互いの本題は遥か彼方へ忘れ去られ、カリヤは懇々と『暗黙の了解』一式を説明し、ユズはそのメモを取るので必死になっていた。

「――ってトコかなぁ、思いつく限りでは。逆に、よく今まで難なくやって来てたよな」

「はあ……ホントに」

 渇いた喉を潤すコーヒーが、妙に美味く感じられた。

「また、借りが出来ちゃいました」

 ぽつりと呟くユズの表情は、悔しさと自己嫌悪で歪んでいた。噛みしめた下唇は血の気の引いた白みを帯びて、負けん気の強さもあらわなその表情が、妙にカリヤの口許をほころばせた。

「相身互い、でいいんじゃね? 俺にも初めてってのはあった訳だし」

「でも」

「あのさ。見込みのないヤツに時間割くほどいい人じゃねえんだ、俺。お前、俺の言わんとしてることは大概一度で把握して来てるだろ」

 そうなんですか、ときょとんとした顔で聞く当たり、やはり天性のものだと惜しくなる。

「例えばな。お前が客のグラスの水滴を取るタイミング、一度客の伸ばした手とバッティングしたことがあるだろう。ああ、こいつ見てねーな、と思ったから、こっちでお替わりを別のグラスで作って渡したろ。あの一回で、それ以降お前にそういうミスがないじゃん。灰皿にしても煙草にしても、こっちが一度見せれば黙って盗む。俺は、そういうヤツしか要らねーんだ。俺が作りたいのは、そういう機転の働く人材が欲しい場所だから」

 いつの間にか、また喋らされている。自分で他言無用と言いながら。

「人の逃げ場になるには、でかい器が必要だ。箱も、それに、そこに従事する人間にも」

 マイノリティの逃げ場を作りたい。ユズは、作る側のポジションを求めるだろうか。何かから逃げているだけに終わる見込み違いに過ぎないだろうか。

 俯いて素顔を見せないつむじからは、やはり解らないままだった。

 思いのほか長い沈黙のあと、ユズが真っ直ぐ顔を上げた。

「……やっぱりオレ、“うらぱら”に入れて欲しいです」

 ユズが「ボク」ではなく「オレ」と言って、最初と同じ言葉を口にした。

「ただし、条件があります」

 そう続いたユズの言葉に、どちらがどちらを策に嵌めたのか一瞬解らなくなる自分がいた。

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