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うらぱら

 今日の仕事を終えて、疲れ切った身体を更衣室まで引きずっていく。

 誰もいない更衣室へ入って自分のロッカーを開けると、そこにはまだ返しそびれたままになっているカリヤから借りた服が一式、クリーニング店のビニール包装に包まれたままハンガーに掛けられていた。


 あの日から、カリヤとまともに話していない。ヘルプ指名もカリヤが客に巧いことを言って少しずつ変更されていった。中には譲を本指名にしてくれるお客を紹介してくれるカリヤの客もいたりして、どうにか首が繋がっている状態だ。

 枕営業は、止めた。あの一件がそうさせた。また佳奈子の名を口にするのが譲自身怖かったから――思い出すには、まだ傷が膿み過ぎていて。

「……服、どうしよう。オレも返してもらってないや」

 給料日まであとちょっと。でも服を新調してしまうと残り日数の生活が心許ない。即日引き取りのクリーニング店だと、やっぱり洗濯が荒くて生地の毛玉が目立ち始めて来ている。支配人にそれを注意されてしまったから、明日は起きたら一番に買わないと、とは思うのだけれど。

 カリヤの住まいがあるあの建物――“うらぱら”に足を踏み入れてから半月以上が経っていた。

「お。リョウちゃんも早番? お疲れさん」

 着替えが済んだところで、チーフの恵斗(ケイト)が顔を覗かせた。

「はい。終電に乗り損ねたら懐が痛いんで」

 反対側のロッカーで着替えを始めた恵斗に向かって、それ越しにそんな繰り言を零した。

「今月、もう半分以上終わっちゃったもんねぇ。リョウちゃんの売上、いきなりガタオチじゃない。何かあったの?」

 それは暗にカリヤ――拓巳のヘルプが極端に減ったことに対する「何か」だと告げていた。

「……本採用になって、たるんでるんでしょうかね」

 本当のところなど、言えるはずがない。そう言ってその場をやり過ごした。

「あ」

 何かと世話好きな彼に頼んでしまおうと思いついた。

「恵斗センパイ。これ、拓巳センパイに返しておいてもらえませんか」

 そう言いながらカリヤのスーツ一式の掛けられたハンガーを手に裏側へ回る。ついでに一応洗濯をしてから返そうと持ち帰って来たTシャツと短パンを入れた紙袋も。

「え、何、もしかしてカリヤのところに泊まったの?」

 恵斗の糸のような細い目が二倍になる。勝手に紙袋を開封したそれらと譲の顔を、不思議そうな顔で交互に見比べてそう言った。

「ええ、まあ」

 何か、やばかったのだろうか。彼は譲へそれらを返すと

「それは、自分で返しなさい。それよか今からちょっとつき合ってよ」

 タク代は僕が持つからさ、と言われれば、先輩の言葉にノーとは言えなかった。



 連れて行かれたのは飲み屋とかではなくて。

「僕、仕事上がりにここのラーメンを食べるのが早番の時の楽しみでさ」

 そこは繁華街から遠く離れた、住宅街の密集する地区の駅前にある個人営業の小さなラーメン店だった。酔い覚ましに丁度よい辛さ加減とコクのあるスープが、縮れ麺とよく絡んで確かに美味い。

「あまり腹が減った感覚がなかったんですけど、つい進んじゃいますね。確かに、美味いです」

 素直な感想が口から零れる。親父さんが「そりゃどうも」と仏頂面で言いながら、頼んだ替え玉を仕込んでくれた。

「んでも、意外だったなあ。リョウちゃんはノンケだと踏んでいたのに」

「んごっ!」

 麺が鼻に入った。

「ぬぁ、ぬぁぎいごがりいっでりゅ」

「麺食っちゃってから話しなさいって」

 白目を剥きそうだ。鼻は痛いし頭は酸欠でくらくらする。水で麺を無理矢理流し込むと、反動でしばらく咳き込んだ。

「……いきなり突拍子もない勘違いコメントなんかしないで下さいよ。死ぬかと思いました」

 視線を逸らしたままそれだけ言って丼に両手を添える。直接丼に口をつけてスープを飲むことで、動揺の表情を巧く隠したつもりでいた。

「あの人ノンケを泊めたりしないよ。何にもないはずないと思うんだけど」

「ぶごっ!」

 スープを噴いた。上がったそれの飛沫が目に入ってクソ痛い。痛いが、その痛みに耐える方が丼を放す勇気を出すより遥かにマシだった。

「なんにも、ないっすよ。当然です」

「ふーん。カリヤでも見誤ることって、あるんだぁ。八年のつき合いだけど初めてだね」

「“うらぱら”って、八年も前からあるんですか」

 うっかり口を滑らせた。

「……それ、禁句って言われなかった?」

 恵斗の細い目が、更に一層糸になった。汗を掻くほど熱かったのに、一気に背中に寒気が走った。

 口の堅そうな店主以外は無人の店で、メンマをつまみにビールを飲む。あまり美味いと思ったことのないそれが、今日はいつも以上に苦く感じた。

 結局キスされたことを吐かされた。だが、それでようやく恵斗の厳しい視線がいつものそれに戻って現在に至る。自分に対するカリヤの対応に、彼は涙を流しながら

「コドモかあいつは」

 と大爆笑して機嫌を直した。

「あそこにどういう人が集まってるか、ってとこまでは聞いてないんだ」

「……オレ、話の途中で寝ちゃったみたいで」

 ポーカーフェイスをいつものように巧く作れない。妙に火照る頬は酔いの所為だとばかり、勧められるままビールを煽った。

「“うらぱら”の“うら”はね」

 裏切りの“うら”。

 裏社会に住む人達の“うら”。

「そして、カリヤの裏の顔って意味の、“うら”」

 恵斗は店じまいを始めた店主に向かって、最後のキムチとビールを頼むと、とつとつと続きを譲に話した。

「あいつがアメリカにいる間に何があったのか、とか僕はなんにも知らないけどね。自分達みたいなのが偏見で差別を受けて、堂々と生きていけないのはおかしいだろう、って」

 行き場のないアウトローの逃げ場所として。

 人に言えないけれど悪事ではない、自分達の同類の安らげる場所として。

「オーナーに、実質全権任されている立場を利用してね。あそこをアウトロー達のパラダイスにするんだって」

 くす、と恵斗が鼻で笑う。あいつはどこまで自信過剰なんだろうね、と。

「絶対総数が多いあっちでさえそんなんだから、日本に来てからはもっとイロイロあったんじゃないのかな、あいつ」

 そう呟いた恵斗のトーンが、妙に重く実感のこもった低い声で。

 ――おんなじシチュで相手が女だったら。

 そう皮肉った時の自分がどんな目でカリヤを見て言い放ったのかを思い出すと、何が彼を怒らせたのか、何となく解った気がした。明らかに蔑んでいた、自分は。異性愛以外は異常性癖だと思うのが当たり前だと思っていた。自分との違いはその部分だけで、社会から弾き出された自分と彼らはおんなじなのだ。改めて恵斗から念を押された「今後は禁句」と諌める言葉に、こくりと素直に頷く自分がいた。

「……それにしても、カリヤらしくないよねぇ。プライベートと仕事はきっちり分ける奴なんだけど」

 ちゃんと話し合いなさいよ、とそれも念押しされた。



 簡単にシャワーを浴びると、一気に酔いが回った。

『試しに僕と寝てみる?』

 という恵斗の悪質な冗談にも目を回されて一層酔いが回った所為もあると思うが。

「恵斗センパイまでとはねぇ……」

 なんでわざわざ女性客の相手をするホストをしているのだろう。何だか奇妙な世界だった。

 すっかり疲れた身をベッドへ沈めた。途端に襲ってくる睡魔。

 もう一度、行ってみたいと思った。“うらぱら”へ。アウトロー達の楽園。許されざる者の隠れ家。

「ノンケでも、人生をドロップアウトした奴なら入れるのかな」

 ――ユズ。愛して。私のこと。

 佳奈子の声が、甘く響く。

 ――ユズ?

 掠れて響く心地よい低音が、佳奈子のそれを掻き消した。

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