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心残りの正体 1

 カリヤと仲直りをしてから数週間後、ユズは眠気を誘う心地よい定期的な揺れに身を委ねていた。

 肩にはやはり心地よい重み。きっと店から上がったあとも眠れなかったのだと思う。ラーメン屋の親父さんに怒鳴られながら苦笑を浮かべて頭を下げる、そんなカリヤを初めて見た。

『やっと時間作れたんで、急で悪いがクソユズを二日ほど借りたい』

 ホスト全開のスーツ姿でもなく、部屋で過ごす時のジャージ姿でもなく。東京では少し暑過ぎないかと思う秋物のジャケットはこげ茶色。ブラックのジーンズ姿も初めて見た。そして何より一番驚いたのは、髪を地毛の金髪のまま、素のカリヤで赴いて来たことだった。それだけで、どこへ行くのかピンと来た。だから、気づけばユズ自身も、一緒に頭を下げていた。

『勝手言ってすみませんっ。次の休み、出にしますから!』

 あいにく今日は、一番客足の混む週末だった。

「わりぃ。親父さん」

 夢の中でまで謝っている。許可をもらえて急いで準備をしている時に、親父さんが教えてくれた。

「長えつき合いだがよ。あいつが自分のことで人振り回すのも、人に頭を下げるのも初めて見た」

 よほどの何かなんだろうよ、と言い捨てるような言い方で呟き、親父さんは仕込みに戻って行った。親父さんの口角が一瞬上がったのを、ユズは見逃さなかった。

「親父さんに、野沢菜買って帰らなくちゃな」

 聞いているはずもないのに、カリヤが小さく頷いた。

 乗り込んだ電車は、信州・松本へ向かっていた。




 松本駅のホームへ降り立つと、カリヤは周囲の注目などまるで気にせず大きな伸びをして眠気を覚ました。

「くぁーっ、やっぱあちぃ。信州っつったら避暑地とかで寒い場所じゃねえのかよ」

「極端過ぎるんです、あんたは。まだ十月にも入ってないんだから東京とそんなに変わらないのに」

「クソ生意気なこと言ってるのはこのクチか! あん?!」

「ひはいれふっ! っへは、はるはひぃ!」

 もっと緊張しているとか、もっと深刻な面持ちでいるのだろうとか、いろいろ考えた自分が馬鹿だった。「学級の文庫」よろしく両の口の端を指で無理矢理押し広げられて馬鹿丸出しの顔をさせられながら、半分本気でむかついた。見上げて来た存在が、実はその強気も虚勢に過ぎないと失望さえしたはずなのに。

「うしっ、行くか。あ、お前地図担当な。俺、地名とか全然読めねえから」

「解ったから、これ以上目立つことしないでくださいよっ」

 カリヤが頼る相手に自分を選んでくれた。それがユズに妙な安心感とカリヤに対する親近感を取り戻させた。


 カヲル子から教えてもらったその店は、駅前の大通りから少し小路を入った先で、随分と慎ましやかに商われていた。パーラーの派手な看板に押されて、その上が喫茶店になっているなんて正面から見たら解らない。隣のビルとの隙間に伸びる細い通路を伝っていくと、二階へ通じる階段へいざなう間口がひとつ。そこをふたりで昇っていった。

『喫茶Canon-お子様連れも大歓迎! ママ達のお喋りサロンは毎週火曜日-』

 そんなプレートが掛かっている上に掛かった札の、オープンの文字を確認してから入る。重そうな木材の格子扉を、カリヤが先に、何のためらいも戸惑いもなく、開けた。

「いらっしゃーい」

 元気のよい高らかな声と、「ちりん」という涼やかなドアベルの音色がカリヤとユズを出迎えた。途端に鼻をくすぐるコーヒーの芳香が、まともに朝食を摂っていないユズのお腹をぐぅと鳴らした。

「ども。カウンター席、いいっすか」

「カウンター……スペシャルメニュー、ってこと?」

「は?」

 一瞬妙な間が辺りに漂う。店のBGMになっているバロック音楽が妙に空々しく響いていた。

 ――ぎゅるぅ~。

 ユズの腹が堪り兼ねて激しい自己主張をしたが為に、奇妙な沈黙の時間が店主の爆笑で打ち破られた。


 意味不明だった「スペシャルメニュー」の内訳を聞いて、カリヤは何故か納得していた。

「裏稼業で何でも屋への、依頼する時の合言葉、か。よく身体がもつな」

「ガキんちょを女手ひとつで育てるってなると、甘いことなんか言ってらんないしねっ」

 手際よくオムライスを作りながら、店主が笑ってそう言った。

「ってなことで、今度は宿取りの代行とか観光ガイドとか、こっちへ来た時、ボクに何か手伝えることがあったら遠慮なく声を掛けてよ」

 そう言ってちゃっかり名刺を渡された。

 どう見ても子持ちに見えない、若々しい――というより、幼い。八年前には色々あったというのだから、三十路を過ぎているのは確実だろうに。カリヤと他愛のない世間話をしている間の、その声も何も濁りや翳りなど見せやしない。勝気そうな大きな吊り目は、何の不幸も悲しみも知らなそうに見える強い光を放っていた。

「手伝う、っていうか、教えて欲しいって感じなんだけど」

 カリヤがそう言いながら、ジャケットの内ポケットをごそごそとまさぐる。手にしたのは、店での源氏名が印刷された名刺。

「俺、今はここで雇われホストをしてるんだけど、ゆくゆくは自分で店を持ちたいと思ってる。辰巳が散々自慢してたこの店なんで、今後何かと相互扶助っつーことでやり取りをしたい、と打診しに来た」

 辰巳。男の名前を初めて聞いた。その名をカリヤが口にした途端、彼女の表情が一変した。

「新宿……籐仁会のシマじゃん。お前、辰巳の、何」

 明るい笑顔が一瞬にして消え失せ、不自然な動きを取り始めた。彼女がシンクの下をまさぐる気配。ユズの心拍数が急上昇した。

「あのっ、別にオレら」

 場を納めようとユズがありったけの勇気を振り絞って出した声も、あっさり彼女に遮られた。

「一般人を連れてくれば、ボクが警戒しないとでも思ったの」

 彼女の視線はカリヤから逸れない。剣呑な目つきは、店を見回りに来る警官や、その真逆に属する、言ってみればユズとは無関係の世界の人達が宿すものとよく似ていた。

「ニュース、見てねえの? 籐仁会も藤澤会も、とうの昔に潰れてるぜ」

 辰巳がぶっ潰してくれたんだろう、と笑って語るカリヤの声が、痛々しく聞こえた。

「何でヤろうとしてるか知らねえけどさ、その手、空っぽにしてくんね? 俺は辰巳の伝言を届けに来ただけだから」

 カリヤがそう言って、自分が先に両手を後ろ手に組んだ。釣られたユズも、凶器を持っていないと身体で示す。カウンターの向こう側で、カタン、と小さな音がした。

「お前、辰巳の何」

 彼女がもう一度繰り返したその言葉が、最初と異なる音色を奏でた。


 自分がその場に同席していていいのか解らないまま、居心地の悪い中でオムライスを食う。

「辰巳って、こっちでホストやってたんだってな。先輩面して言葉がなってないとか、初対面でいきなり説教を食らったりしたんだよ」

 カリヤは彼女に求められるまま、ここから消えたあとの、その男のことを話していた。

「まったく。お節介も女好きも変わってなかったんだなあ。馬鹿辰」

 そう受け答えてくすりと笑う。そんな彼女の微笑が、綺麗なのに痛々しくて。

「おいし……」

 小さな声で呟いて、オムライスへ気持ちを集中させようと試みた。独り言のつもりでいたのに耳ざといのか、彼女はユズの呟きを聞き逃さなかった。

「だろ、だろう! これは自信作なんだっ。いっつも辰巳のレシピを参考にしてばっかだったんだけど、これだけはボクの完全オリジナルっ。家って常連さんが多いんだよね。ありがたいことなんだけど、その分仲よくなっちゃって、ホントのところを教えてもらいにくいんだよ。ありがとう」

 彼女の零す満面の笑みは、本当に幼い少女のようで、そして自分のひと言が彼女に笑顔を戻させたこともなんだか妙に嬉しくて。

「オレ、料理好きなんです。レシピを教えてもらっていいですか」

 久し振りに、自分の話を誰かにした。

「自分で食う分なら、いいよ。店に出したら、がっつりロイヤリティーもらうからなっ」

 そう言って大口を開けて笑う。屈託のないさばけたそれに、少しだけ面食らってしまう自分がいた。

「あんたは自分が女だっつう自覚がないのか? なんでボクなんだ」

 レシピを書きまとめる彼女に向かって、カリヤが呆れた声で問い掛けた。

「お客には直せって言われるんだけどさ、ずっと男だと思って育って来たから今更なんだよねえ」

 辰巳という男と知り合いだからという気やすさからなのか、彼女はレシピを書き終えると、懐かしむように思い出話を語ってくれた。

「ボクの姉さんがそっちの世界に住んでいてね。ボクも姉さんと一緒に捨てられたっていうか。姉さんが、ボクに身売りなんかさせるもんか、って、ずっと売春宿で仲間のお姉さん達にお金で口封じをして匿うのに協力してもらって、姉さんがボクを育ててくれたんだ」

 そんな世界に住んでいたとは思えない。田舎育ちのユズでさえも、幼さを感じさせる綺麗さで。綺麗というのは見た目のことだけではなくて、醸し出す雰囲気の無垢さ、というか。

「辰巳が姉さんに惚れてくれたお陰で、おまけのボクまで助けられちゃった」

 人がいいよね、ヤクザの癖に。そう言って零す笑顔が、また痛い。ふと疑問が湧いて来る。カヲル子の話だと、カリヤの初恋の相手というのは、別の女の為に死んだ、とかで。カリヤがケリをつけに来たのは、その女のことなのだろう。では、何故カリヤはこの店主と無駄な時間を過ごしているのだろう。

 どうするの、と突つくつもりで隣を見たが、カリヤの横顔を見たら合図を送り損ねた。

「姉貴が、いたのか、あんた」

 そう呟くとともに、驚きで大きく目を見開いた。カリヤ自身も初耳だったようだ。

「うん。だからボクは、辰巳の義妹(いもうと)。ボクには戸籍がなかったから、戸籍上は姉さんと辰巳の養子ってことになってるけどね」

 彼女がまた寂しげな微笑を浮かべる。見ているこちらの胸が痛くなる。彼女の気持ちがストレートに伝わって来る。それはユズにも覚えのあるもの。自分の家族の伴侶なのに、という罪悪感に近い思慕。

 彼女を見ていると痛いと感じてしまう理由を初めて解ったような気がした。カリヤの用件も、この人に対してではない。帰ろうと促す手がカリヤの袖を引くのと、カリヤが声を発したのとが同時だった。

「あいつ、克美に店を渡して来たって言ったから、てっきりあんたが克美だと思ってた。姉貴が克美って女なのか」

 今初めて無駄な時間を過ごしていたと気づいたらしい。カリヤは不快感をあらわにし、椅子から腰を浮かせ掛けた。

「え? いや、ボクが守谷克美だけど」

 二度目の沈黙が店内に流れた。

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