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初恋の人 5

 ユズを拉致同然に連れ帰った。誠四郎と親父さんの協力もあったお陰で、タクシーにユズを放り込むところまではカリヤの意向どおりだった。

 別に他意はなかったのだ。ただほかの誰にも聴かれたくなかっただけで。

「信用なんか、出来ません」

 そう言ったユズは、手負いの狂犬さながらだった。部屋の鍵を掛けたのがまずかった、とは思う。思うが、そこまで節操がないと思われていたとは思わなかった。ユズはカリヤが一週間前に殴った頬を抑えて突然屈み込み、「痛っ」なんて言い出した。罪悪感から、つい膝を折った。その途端、ユズの頭突きをまともに顎へ食らい、仰向けに倒されたまでも許すとしよう。その隙を突いて逃げ出したユズが逃げ込んだ先が誠四郎達の住まう部屋だったことも。

 だが、これだけは理不尽だ。

 誠四郎は店で交わした約束どおり、うるさいことは一切言わずにユズを説得し、彼氏ドノとともにカリヤの部屋まで送って来てくれたのだが。

「何考えてやがる、セイシ野郎」

 言っている間にも、誠四郎とその彼氏、という完全にユズの肩を持つふたりがカリヤの両脇を拘束する。にんまりと笑うユズは、どう見ても小悪魔にしか見えなかった。頬の怪我を心配した自分があまりにも馬鹿らしい。

「てっめ……なんだ、それは」

「何って見てのとおり。たまーに僕らが使う、夜のおもちゃ」

「よっ……お、てめえ、何考えてやがる?!」

 おっさんふたりに後ろ手にされたカリヤの背後で、ユズがカシャンと手錠を嵌める音を響かせた。

「これなら安心して話に集中出来る」

 こっちの方が一気に危機的状況に陥ったと嘆いたところで、時既に遅し、だった。


 ベッドに腰掛けさせられ、ユズとの距離は三メートル。ドレッサーの椅子にふんぞり返り、腕組みをしてあぐらを掻いたユズの右足は、苛立たしげに貧乏揺すりを繰り返していた。

「もう要らないんじゃなかったんですか。金ならちゃんと返してますし。久住さんに振込みを頼んであったから知ってたんじゃないんですか、入金のこと」

 あからさまに喧嘩腰な挑発でこちらの話を牽制する。ユズの下手な芝居に苦笑が漏れた。

「何がおかしいんですかっ」

 自分の偏見と先入観で、どれだけ見失っているものがあったのか。そんな自分に笑ったのだが。

「俺、てめえに最初に言っておいたはずだよな。見込みのないヤツに時間割くほど、俺は“いい人”じゃねえ、って」

 迷惑だとか、貸し借りだとか。誠四郎に言われて、やっとユズの三文芝居に気がついた。それをどう伝えればいいのだろう。

「そんなつまんないことを聴かされる為に、ボクは基本的人権を丸無視されたんですか」

 尖った声に打ちのめされる。嫌味なくらいの微笑から鼻をつくほどの芝居臭さを感じ取るのに。自然、頭が垂れ下がった。腹立たしさの根拠が何なのかが解った頃には、自由の利く脚が勝手にカリヤを立ち上がらせ、驚きで身を固めたユズの腰掛けていた椅子を蹴り飛ばしていた。

「うぁ、ひきょ」

「悪人なんだよ、俺は」

 仰向けたユズの腹へ馬乗りになり、逃げないように拘束する。玩具の手錠など、関節を外せばこの程度のものなら容易に外すことだって、本当は最初から出来ていた。

「うそ」

「あっちに住んでいた頃なんか、しょっちゅう縛られてたからな。逃げる為なら何でもするさ」

「あっち……アメリカ?」

「ああ」

 願わくは、本当の自分を知ってもユズが変わらない目で自分を見てくれることを。

「母親の愛人を半死状態にした挙句、罪も償わずに逃げて来るような悪人なんだ、俺」

 ユズの顔が、血の気の引いた青白いものへ瞬時に変わった。




 母親が、Paranoiaのオーナー、刈谷キヌ子の姉だった。客観的に見て、キヌ子同様ろくでもない女だったような気がする。

 日本で知り合ったアメリカ人と結婚したまでは、彼女としては計画どおり順調な玉の輿の道だったのだろうと思う。

「日本じゃ考えられねえだろ。ダンナが戦死、とか」

 親子の間に愛情なんてろくに感じなかったから、ユズにそう尋ねた時に平和ボケしている日本人全部に呆れ、笑ってしまった。

「覚えてられる年の頃、だったんですか」

 震えた声で問い掛けたユズに、一度だけ小さく首を縦に振った。

「てめえの脚で生きようとしない女でよ。次の男、また次の男と渡り歩いちゃあ、食い扶持を確保する訳よ。なんで俺を捨てずに連れ回っていたのか、あの頃は俺、解らなかったんだ。ガキだったし」

 解ったのは、十四の年になって間もない頃だった。

「俺って、母親の餌代だったんだよな」

 自分で口にした言葉、今更な話なのに、まだそれを思い出すと背筋に冷水を浴びせられた感覚に陥る。ふとユズと目が合った。瞳を小刻みに左右へ揺らす、その色がどんな感情を孕んでいるのかを知るのが怖くて、視線を逸らした。

「ガキだったけど、俺、男だぜ?」

 うすら寒いのに、笑いが漏れる。鮮明に蘇るあの男の歪んで下卑た、蔑む笑い。それが、今自分の漏らしたそれと重なった。

「なんでこの俺さまが、野郎なんかに」

「いい。聴きたくないです」

 叫ぶような声がカリヤの声を遮るとともに、ユズの揃えられた四本の指が、カリヤの唇をそっと覆った。そこで初めて馬乗りになったままの自分を思い出す。逃げる素振りを見せないユズから、やっと身を引き剥がすことが出来た。

「オレ、どうリアクションしていいのか解りません」

 おずおずと身体を起こすユズが、顔を伏せて言うから本音の部分が解らない。

「でもそれって、正当防衛じゃないんですか。きっとオレも、そうしてる」

 立てた片膝に額をつけ、うな垂れたままユズが言った。

「なんだ。カリヤ、本当はノンケだったんだ。じゃあ、最初からそう言えばよかったのに」

 肩を震わせる理由を知りたくて、ためらいながらも話を続けた。

「あんま、そういうカテゴリ分けとか、考えたことねえからわかんねえ。人種で職が制限されるとか、俺がこういう商売やってたってのを知ってるヤツがゲイのレッテル張ったりとか。そういうのにむかついてたから、面倒で考えるのをやめた」

 俺は、俺だ。そう思って生きて来た。カテゴライズなんかされたくない。利用しようと企むオーナーを、逆に利用してやればいい。そう思って叔母を頼った。アメリカに比べたら、日本は平和ボケした天国だとさえ思ったあの頃。

「けど、どこに行ってもあるんだよな。マイノリティに対する、差別」

 汚いものを見るような、事情を知っているキヌ子の目。愛人関係にある支配人、榊も同じ目で自分を見た。

 自分の店を持ちたいと思ったきっかけは、カヲル子との出会いと、今は『うらぱら』になっている『PARADICE』というブティックホテルの看板に刻まれたその名称からヒントを得た思いつきからだった。

「ガセだったんだけど、俺が男専門で枕営業してるって噂を聞いて、当時はまだ俺も未成年だったから、カヲル子がお節介を発動しやがって」

 キヌ子とホステス時代にナンバーワンを競っていたというカヲル子に、人として強く惹かれた。利用するなんて強気な言葉でごまかしながら、結局誰かに依存しているだけの自分というのを嫌というほど思い知らされ、それから自分が変わったと思う。男に依存するでもなく、自力で立っているだけでなく、自分みたいな赤の他人にまで手を差し伸べるカヲル子の器の大きさを羨んだ。

「すげえ、強くなりたかったんだ、俺。本当は弱いから、強くなって、誰かを守れるくらいじゃないと、カヲル子の位置には届かねえ、って」

 そんな時に会ったのだ。どうしようもないダメ中年に。

「ダメ中年って。……だって、その……あれ?」

 視界の隅に、ユズが膝から手を離したのが映った。俯いたまま盗み見ると、こめかみを抑えて悩む表情がカリヤの目に焼きついた。

「あの……やっぱり、その人がカリヤの……?」

 記憶が、感情が、八年前に遡る。ユズの膝に戻った彼の手が握りしめられ拳を作った。それもぼやけて来てしまう。まだ、想い出に出来なくて。

「あいつが初めてだったんだ」

 カヲル子にさえ話したことのないアメリカでの暮らしを調べた癖に、それを知っても邪気のない目を向けて笑ったヤツは。人の心が宿って初めて店が店になる、と具体的なことを教えてくれたヤツは。

 ――キミの性癖は、本当に持って生まれたもの? それとも、あの時(・・・)植えつけられた不本意なもの?

「独りじゃないってことを忘れるなとか、自分がどんなもんなのかってえのを決めつけるには早過ぎるとか、dearestなんて思わせ振りな書置きを残していきやがった癖に」

 あいつが独りにしないと言ってくれたのかと一瞬思った、あの頃の自分は馬鹿だった。笑えてしょうがない心境なのに。

「俺とよく似た宝もんみたいに思ってた女を守る為に、敵だったてめえの親父をぶっ殺して、てめえの脳天もぶち抜いて逝っちまった」

 俯いてぼんやりと眺めている床に、はたはたとふたつ、みっつ、小さな水玉が滲んではぼやけていった。

 惨めで無様な失恋話。男だなんだと主張しながら、そいつの前では何でもよかった。だけどそいつにとっての自分は、偶然通りすがっただけの存在に過ぎなくて。

 その女のツラを拝んでやろうと何度も思った。ふたりの間に出来たガキがいるかも知れない、とも言っていた。そこまであいつが惚れ込んだ女ってのが、どれだけのタマなのか見てみたかった。その感情が嫉妬だと思い至った時、それを実行するのはやめた。あんなどうしようもない若作りの中年なんかの為に、なんでそこまで振り回されなきゃならないんだ、と腹が立った。

「もう、うんざり。腫れた惚れたとか、誰かにこだわりを持っちまうとか、そういうの」

 そう思って来たこの八年だったのに。歯痒さとばつの悪さから、目を掌で覆う。ぐ、と自分の顔を掴んだら、こめかみが痛んだ。

「カヲル子さんの言ってたことって、本当だったんだ」

 呟くユズの声が柔らかく届く。垂れた髪が、掻きあげられた。でかい図体の癖に肩を揺らす自分が情けない。逃げ損ねた頭が、男の割は華奢な手に鷲掴みされ、強引にユズの方へと引き寄せられた。

「ひとりが怖いなら、一緒に行ってやるよ。だから、一緒に信州へ行ってみようよ。ね?」

 八年前も、甘えて来たあいつがこうして自分の顎を肩に載せて言った。

『守りたかったんだ。俺が消えることでしか、あいつを守る方法がなかったから。でも……帰りたい』

 惚れた女の話を延々と吐き出したあいつの気持ちが、今、少しだけ解った気がする。そしてあの時、ただ黙って話を聴いてやった自分の選択が間違っていなかったのだと確信する。

 解ってくれる人がいる。腫れた惚れたという話とは関係なく。ただそれだけで、救われる。そして、施したものは廻り廻って施される。

「……行く」

 ユズと出逢えて、よかった。初めてそれを心の中で言葉に置き換えることが出来た。

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