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Love Dogfight 5

 ほろ酔いで少しだけ鈍ったユズの頭が、わずかな違和感をキャッチした。

(あれ? 何か妙にBGMばっか……?)

 終始盛り上げの為にがなりたてていたイベント進行ホストの声が、ぴたりと止まってしまったのだ。

 そちらへ視線を投げ掛けると、入口の方をうっとりと見つめている。ユズも釣られてそちらを見ると、彼と同じ状態になった。

 ひと目で判った。ショウコが零した愚痴の意味も、シュウがあんなに拘っていた意味も、そして、カリヤが本カノと位置づけている理由も――両脇にナンバーワンホスト二人を自主的にかしずかせているカヲル子を目にして、納得せざるを得なかった。

「いらっしゃいませーっ」

 支配人と思しき男の声さえ掻き消す、プレイヤー全員一致の大歓迎。それに微笑で答える彼女の口許には確かに年齢を感じさせる笑い皺が浮かぶが、それさえも妖艶と思わせる大人の微笑で。

「ありがとう」

 ほんの数段の段差にさえ、あのカリヤが手を差し伸べる。真珠色の上品な留袖に艶やかな深紅の牡丹。それは彼女そのものを染めこんだ織模様だと感じさせた。

 ユズ達のいるブースを通り抜ける際に、彼らの会話が少しだけ届けられて来る。

「久し振りにシュウのラスソンを聴きたい気もするわね。タワーをお願いしようかしら」

「そう言ってくれると思ったんですよー、らっきっ。もう中央にセットしてあるんだっ」

 シュウのその返答に答えたのか、彼の延長線上にあるユズの方へ向けていたのか。ユズにそんな自意識過剰を抱かせるような魅惑の微笑が、ユズの時間を一瞬止めた。

 からん。

「詐欺レベルで綺麗な人ですね、あの人」

 サーバーの氷がユズの時間を動かした。ショウコの存在を思い出し、慌てて是とも非ともつかない感想を漏らす。

「そ。そして、恐ろしいくらいの情報魔。どこで拾い上げて来るんだかわかんないけど、人の弱味を握るのが得意な人よ」

 続いた「ご愁傷様」という意味を図り兼ねて、彼女が嫌がると知りつつその話に食らいつく。

「え、どういう意味?」

「さっき、ああいう顔して笑い掛けて来たでしょ。あれはシュウには絶対向けない。含みのある微笑みよ」

「怖いですね。何か心当たりあるの、ショウコさん」

「バカ。私じゃなくて、君に向けていたんじゃないのよ、あれ」

 口に仕掛けたワインを素で噴きそうになった。

「何で? だって、ボク会ったことなんかないし」

 鼻に入ったワインが瞳を変に潤ませる。不整脈を起こしそうなくらい、心臓が過剰労働している。あの人は自分自身なんかを知っているはずがない。あの人が知っているのは久石譲ではなくて――。

「タゲられたんでしょ。シュウみたいななんちゃって癒し系じゃないから、君は」

 得意げでいて寂しげな彼女の締めの言葉は

「だから君もどうせカヲル子さんに取られちゃう、って言ったでしょ」

 だった。




 中央で幔幕に隠されていたものの正体がタワーだったと初めて知った。幔幕が取り外されると、天井につくかと思うほどの高いグラスがドン・ペリで満たされるのを今や遅しと待っていた。ミラーボールに照らされて七色に輝くそれは、この店の繁栄を予言するようにも見えて、少しだけユズを焦らせた。

「取られちゃうとか、ショウコさんの思い過ごしじゃないのかな。それより、ぽん、って軽い感覚でこんなの入れちゃうカヲル子さんって、もしかしてセンパ……Paranoiaに見切りをつけて、こっちをメインにするつもりなのかな」

 喧騒に紛れたユズのそれが、ショウコの耳に届くことはなかった。彼女の視線は、脚立に乗って最上部からドン・ペリを注ぐカリヤに集中していた。視線だけでなく、五感全てを彼に向けているように見える。

「私にもこのくらいの力があったら、拓巳をあんな風に笑わせることが出来るのに」

 声なんかは聞こえない。彼女自身も知らずに呟いているのだろう。唇がかたどったその言葉は、どこかユズの抱くそれと似通っている悔しさに満ちていた。

 力が欲しい。強さが欲しい。守り包めるくらいのそれが欲しい――。

 佳奈子とその娘の小さな姿が、仕事中に初めて脳裏を過ぎった。


「ショウコさま」

 内勤と思われる黒服のボーイが、そっと彼女へ耳打ちした。途端彼女が何とも言えない複雑な表情をかたどった。

「……そ。涼雅の件は、解ったわ。情けは要らない、って彼女に伝えて」

「いえ、そうではなく、拓巳が邪魔なのでお願いしたい、と」

「は?」

「邪魔、だそうでございます。カヲル子さまは涼雅だけがご希望でして、是非ショウコさまにご協力をお願いしたい、とのことなのですが。ご無理を申し上げているようでしたら、あちらさまにはご不快を買わない形でそのようにお伝え」

「や、え、も、ぜんっぜん! そういうことならオールオッケー!!」

(いや待てちょっと、それはオレが全然オッケーじゃない!)

 タワーを入れるご褒美の自由指名だから、あの二人がカヲル子の席にいるとばかり思っていた。彼女に自分は関わっちゃいけない。勘がそんな警鐘をガンガン鳴らす。

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。ボクはあの、ショウコさ」

「早く行け」

 ユズの抵抗を容赦なく遮った、その声の主は黒服ではなく。

「カ……拓巳センパイ……」

 見上げればそこには、新たなボトルとグラスふたつを手にしたカリヤが仁王立ちで座を譲れと眼でユズを殺していた。

「俺さまは今、てめえにコケにされた所為でチョーサイアクに機嫌が悪い。あとでカヲル子から聞いたこと、全部ゲロさせるから覚悟しとけよ」

「……はい……」

 もう、何がなんだか解らない。ドン・ペリコールのお客だけに時間制限つきでの接客、という話は一体どうなってしまったんだろう。

(いや、そのルールは健在なのか。カリヤの持ってた奴もドン・ペリだったし)

 ゆるりとだるそうに席を立つ。ふと思い出したようにもう一度身を屈めると、ショウコの耳許へそっと囁いた。

(ワイナリーの約束、忘れないでね。ボクは絶対カヲル子さんより、ショウコさんの方が好きだから)

「ケ・ン・カ・売・っ・て・ん・じ・ゃ・ねえっ」

「だから痛いですってば。いちいち蹴らないでくださいよっ」

「子供の喧嘩みたいよ、君達ってば」

 声高らかにショウコが笑う。少しはカリヤがカヲル子の指示で仕方なくショウコの相手をしに来たのではないと思える気分になっただろうか。

「ショウコ、てめえもクソ涼雅なんかに鞍替えしたら、地雷化してやっからな。コイツの口車に乗るんじゃねえぞ」

「誰もParanoiaに戻るとか言ってないしー」

「口パク見てりゃ判るんだっつの」

「あ、見てたんだ。エロ」

「てめ」

 そんな二人のやり取りを背中越しで聞き、ユズはそっと胸を撫で下ろした。


 この世界は、恋愛のDogfight。ショウコはカリヤを、カリヤはカヲル子を、カヲル子の真意は解らないけれど。シュウもカヲル子に執着してるし、リコを思うと胸が痛い。

(――オレは……?)

 淡い微笑がまた浮かぶ。

 ――ユズ、私を愛して。

 佳奈子が住んでいた世界は、こういう世界だったんだ。身を投じて初めて知った。相手の心という獲物を狩らんとして、攻防を繰り広げる乱闘のような駆け引きの嵐。彼女が一度も自分に対して「愛して」とは言っても「愛してる」とは言ってくれなかった理由が解った気がした。

 逃げた佳奈子を、きっとカヲル子は探している。ショウコが言っていた“含みのある笑い”の真意を確かめる覚悟がユズの中で固まっていった。

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