Love Dogfight 3
無差別接客の難は免れたみたいで、それはまあよかったのだけれど。
「――っていうことで、ドン・ペリを入れてくれたお客さまの担当をよろしくねっ。そんで、リョウちゃんは基本、僕と一緒ってことでよろっ」
「何でですか」
発した声のトーンがあまりにも低くて、自分でもちょっとだけ驚いた。
カリヤのフォローが皆無。その状況を想像しただけで、背中に冷たい汗が伝っていった。知らない客とカリヤ抜きで話したことなんて一度もない。
「てめえがいちいち俺に振って来るからだよ。いい加減、自分なりの取っ掛かり方ってのを考えろってこった。いつまでも面倒見切れねえ」
追い討ちを掛けるように、シュウが言葉を繋いで来る。
「拓ちゃんのヘルプだと、ボケツッコミって感じでしょ。でも、それってワンセットで初めてお客に通用する訳じゃない。僕について回った方が、リョウちゃんの参考になると思うよ」
そういえば、癒し系がどうとか言っていたような気がする。でも、何だか癪に障る。猿真似をしろとでも言うことなのか?
「誰かに振らなければいいんでしょ。だったらボクひとりでやってみますよ」
謙虚に言ったつもりの言葉が、声に剣が立っている。あくまでも、シュウに答えているんだとアピールするように温和な笑顔をかたどってみたが、頬の筋肉が微妙に痙攣している気もする。
「人んちの店でまで下手こくな。迷惑だっつの。黙ってシュウの言うことを聞け」
苛立ちを紛らす時のカリヤの癖。咥えた煙草のフィルターを噛む。それを目にしてしまったら、ユズがどう思おうと引き下がるしかなかった。
「……はい」
「うはっ、素直ー。わんこみたいだねっ」
こいつ、ホントいちいちむかつく。それに、カリヤの不機嫌にもまったく動じずそれさえ茶化すみたいに彼の顔を覗き込む。これのどこが一体『癒し系』なんだろう。やり場のない苛立ちは、ユズの親指に向けられた。キチ、とユズの硬い爪がその歯で折られた音がする。みっともない癖に気づいて我に返るとともに、向かい合って座る二人の会話が初めて耳に入って来た。
「拓ちゃん、絶賛不機嫌中だね。そんなにボクに取られるのが怖い?」
「調子こいてるとたたむぞコラ」
「こわっ。っていうか、ねえ、いいじゃん。カヲル子さん、ちょうだいよ」
「モノじゃねえっつの。お前それをあいつの前で言ってみろよ」
「やだ、怖い」
「んじゃ、影でもそんなクチ叩くな」
「あの」
しまった。うっかり声に出してしまった。
「何」
そう問うカリヤの目つきが、怖い。
「……何でもないです」
「てめえもたたまれたいか」
「ヤです」
「じゃ、言え」
「……いや、大したことじゃないんですけどぅお!」
今のデコピンはガチで本気のひと刺しだった。弾く振りしてホントに刺しやがった。あとでファンデで隠さないと、きっと絶対引っ掻き傷になっている。みっともないに決まってる。
「や、カヲル子さん? って、初めて聞く名前だな、って思っただけで」
「あ? ああ。滅多に店には顔出せねえからな」
なんで視線を逸らしたんだろう。なんでそんなに苛々した仕草で、まだ吸い掛けなのに煙草を揉み消してしまったのだろう。
「リョウちゃん、銀座にあるクラブ『姫』って、知ってる?」
横から割って入ったシュウの言葉で、ユズの疑問が中断された。その名にどくん、と心臓が大きく脈打つ。触れてはいけない部分に触れてしまった気がする。
「……いえ」
そこから離れてしまいたくて、たった二文字で嘘をついた。隣から鋭い視線が刺さって来るのを感じ取る。シラを切れと自分に命じ、伏せたい気持ちを堪えてシュウの方へ顔を向けた。
「カヲル子さんって、そこのママ。これがまたすっごい美人で、キャッシュの払いも気風がよくって、何気にツンデレだし、もう理想の客なんだよっ」
クラブ『姫』の名前は知っていても、そこの経営者や上の人間のことは知らない。話題が最も回避したい事柄から逸れたことを覚ると、ユズの口許が自然と緩んでいった。
「お店のママさんとなれば、確かにそうしょっちゅうは来れないですよね」
なんて適当な相槌を打つ。我ながら現金だと思いつつ。さっきまでシュウなんか嫌いだと思っていた癖に、この話題が途切れたあとの不機嫌オーラに満ちた気まずい沈黙よりも、シュウとの会話の方がマシだと訂正している自分がいる。
「っていうかさ、拓ちゃんクラスになると、独りにへばりつく訳にもいかないじゃん? けど、カヲル子さんをオンリーになんか出来っこないし、だから僕にちょうだいっつってんのにさ」
「いい加減にしとけ、シュウ。それ以上ベラベラくっちゃべったら、速攻帰るからな、俺」
異様に低い声と同時に、シュウに向かって揉み消したあとの吸殻が飛んだ。
「あっ、ちょっと! 灰がついちゃったじゃん。ピンクだと目立つんだぞ、これ」
――カリやんってば、本カノ隠すのに必死だね。
「……は?」
「……のヤロてめえ」
本カノ――ホンカノってのは、何だったっけ。
白くなった頭で考える。
本“カノ”ってことは、女性な訳で、話の流れから言ってもカヲル子という人は女性っぽくて、それでもって、誰の本カノ、って、今シュウは言ったんだっけ――?
『カリヤンッテバ、ホンカノカクスノニヒッシダネ』
プライベートの名前で呼んだ。ということは、シュウもカリヤと親しい人だ。きっとうらぱらを知っている人。カリヤが信頼している人。その人の言うことに嘘はないんだろう、と推測すると、つまりカリヤはノンケってのが本当?
かぃん。
そんな音が聞こえた気がした。
遥か上空、雲の向こうから、大きな金だらいがユズの脳天を直撃した。