Love Dogfight 1
この頃、カリヤの様子がどうもおかしい。
(何か、見張られてるような気がするんだよな)
それも、敵意とか警戒心とかとはちょっと違う雰囲気だ。でもじゃあなんでとほかの心当たりを自問してみても、まったく身に覚えがないから始末に負えない。
「メシー。まだー?」
「……あと五分で焼けますから」
キッチンからリビングのソファベッドを振り返って見れば、カリヤが条件反射のように「メシ」と言う。何でこの人がここにいるんだ、と疑問を口にするのに飽きてから、もうどれくらい経っただろう。
「これって結構地獄だよな。匂いは出来上がりってアピってんのに、まだ食えないっつーこの待ち時間」
そうやって退屈そうに枕を抱えてソファベッドの上をゴロゴロするなら、とっとと自分の部屋へ帰ればいいのに。
「じゃ、自分の部屋で待っておけばいいじゃないですか。出来たらノックくらいしてあげますよ」
「やだ。ちまちま動き回るのはめんどっちー」
(……とか言いながら、なんでゴロゴロとしてて、じっとしてらんないのかな、この人は)
巨体がゴロゴロしてても、ちっとも可愛くなんかない。この人って、こんな人だったっけ、と考え出すと、無意識に首を傾げてしまう。
「あ? 何?」
(あ、ばれた)
「ああ、と……、いえ。何でもないです」
「信用ねえな。いじったりしねーよ」
子供みたいと思えば、不意にこういう目つきで自分を見る。最近、カリヤが向けて来る射抜くような視線が怖かった。
チン、というオーブンの音が答えに詰まるユズを救った。
「あ、出来ましたよ、グラタン」
わざとらしいくらいの明るい声で、混じった安堵の溜息をごまかした。
ブロッコリーと人参と茄子と和牛を入れた、ちょっと和風テイストのペンネのグラタン。カリヤはブロッコリーが苦手らしい。だからパセリと嘘をついてみじん切りにしてやった。
「パセリが鬼入ってる」
生のパセリは水分が多いんだ、という見え透いた嘘にまんまと騙されてはいるけれど、それでも眉間に皺が寄っている。
「ボクが好きなんです。文句言うなら無理して食べなくってもいいですよ」
とか言えてしまうのは、カリヤのリアクションがこの頃はもう解ってしまうからで。
「食わないとは言ってねえ」
結局変だと思いながらもそれに甘んじているのは、独りの食事が嫌いだから。食べてくれる人がいる。それは何年ぶりのことだろう。
「いただきます」
「いたーきまーす」
フォークを両手で挟んで手を合わせる。向かい合わせで食卓を囲み、食事に対して感謝のお辞儀。そんな普通の食事風景が、ユズの昔からの憧れだった。それを叶えてくれるカリヤを、決して疎ましくは思っていない。ただ、ちょっと不思議なだけで。
「うぉ、何じゃこりゃ。しょう油効いてるのにメチャクチャ美味え」
お世辞なんか言えない人だと知っているから。そういうがさつだけれど素朴な感想がすごく嬉しかったりする。
「ホワイトソースに和風調味料は似合わないって先入観があると、面白い味が作れないんですよね」
そんな他愛のない雑談も、好きだ。気兼ねせず、頭をフル回転させながら話す仕事中の営業トークは疲れるだけだから。
「おまえさ、いっそプレイヤーは止めて、厨房に入っちまえば?」
……そういう話は、嫌いだ。
「……センパイに指図されたくないです。関係ないでしょ、アナタには」
急に飯がまずく感じる。ついさっきまではここ一週間の中で会心の出来だと思ったはずなのに。ペンネを刺すフォークの手が止まると、向かいからもう一本のフォークが伸びて来た。
「あ。食わねえなら俺が全部もらう」
「誰も食わないなんて言ってないでしょうが! 自分の皿開けてからにしてくださいよ、行儀の悪いっ」
「てめえは俺の母親かよ。細かいことにうるさいよな」
「……あんまそういう憎まれ口ばっかり言ってると、ケーキ出してあげませんよ」
言っている途中でしまった、とすごく後悔した。サプライズにしようと思ったのに。
「お? マジ? ユズの手作り?」
「……その犬っころみたいなリアクション、どうにかなりませんかね……」
やっぱり、変だ。カリヤが優しいのは気持ちが悪い。そういう違和感が、つい無意味な憎まれ口を叩かせる。彼が眉間に皺を寄せて睨んでいる方がまだほっとする。
「てめえに犬っころ呼ばわりされたくねーよ」
こちらの売り言葉に対する買い言葉は変わらないけれど。
「最近、あんまり癇癪起こさないんですね。オレ、何かセンパイの気に障ることしましたか」
カリヤが感情を波立たせないのは、自分を見限ったから、という気がして。つい、今日だからだと思いたい――ついそんな愚痴がこぼれ出た。
「あ? 何だ、急に。別にんなもんないんじゃね?」
それとも心当たりがあるのかよ、なんて問われてしまうと、逆にこちらが困るのだけれど。
「いえ……ないから何でかな、って、訊いただけです」
答える口調の滑舌が悪い。そこへまた観察するような視線が突き刺さる。居心地いいけど、居心地悪い。リコの件でまた貸しを作って以来カリヤと過ごす時間が増えてからの、こういうふとした時間が苦手になった。
カチャカチャとカトラリーが皿を弾く音だけがしばらく響く。
「あの、センパイ」
曖昧なままというのが耐えられなくて、グラタン皿を空にしたカリヤにおずおずとさっきの答えを聞こうと声を掛けた。
「あのさ」
次の言葉を発する前に、カリヤに話の続きを取られてしまう。
「俺って、お前のセンパイなのは、店ん中だけじゃね? お前だけだろ、未だに源氏名か“センパイ”って呼び方してるヤツ」
行儀悪くフォークでこちらを差しながら、テーブルに肘をついて斜に構えたカリヤは、心底呆れた顔でそう言った。その目が何だか自分を哀れんでいるように見えて、なかなか返す言葉も話題を逸らすほかの言葉も出せなくて。
「お前、酔っぱん時とか寝ぼけてる時は思いっくそ呼び捨ての癖に、それを全然覚えてないのな」
「マジっすか……?」
瞬間背筋が冷たくなった。それが彼の不快を買っていたのかと思った所為で。
「すみません……」
と、顔を見ては言えなかった。大言壮語もいいとこだ。まだ全然足許にも及ばない現実を嫌というほど自覚している。なのに、負けたくないとかカリヤみたいに自信家になりたいだとか、そういう本音が酔っ払っている間に駄々漏れしていただなんて。俯いた先で膝に載せた拳が震える。それは自己嫌悪から来る恥だとか、よりによってカリヤなんかにモロバレしていたという屈辱とかの所為、だと、思う――多分。
「は? 何謝ってんだ? ばかじゃねーの」
人の話聞いてんのかよ、とフォークで頭のてっぺんをグサ、とひと突きされた。
「い……たいじゃないですか!」
「敬語も要らねえし、センパイもなしでいい。ここは、そういう場所だから」
そう言って皮肉のまったく混じらない、普通の笑みをこぼすカリヤが何を考えているのか解らなかった。解らないから、次の言葉を思いつけない。何故かは解らないけれど思考が止まる。
「ケーキ、持って来ましょうか」
ネガティブな思考へ走る前に、自分から頭を切り替えた。どこか辻褄の合わない散らばった会話を、まとめてゴミ箱へ捨てるように楽な話題へ切り替える。
「プレートに年齢を入れてあげますよ。年、そろそろ教えてくれたっていいでしょう?」
今日は十一月十五日。何歳になったのは知らないけれど、カリヤの何度目かの誕生日だった。
「十億歳って入れとけよ」
そう言って紫煙を燻らせる見た目はそれなりの年齢に見えるのに。
「ほんっと、子供っすね」
こぼれた彼の笑顔に釣られたように、ユズの口角も柔らかく上向いた。