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バクダン 5

 ――で、結局こうなる訳だ。

「マスターキー、二個作っといて正解だぜ」

 上がる息を殺しながら、ユズの部屋のカードキーを取り出した。負けん気ばかり強いただのガキの癖に、酒が入ると途端に小学生レベルの子供に変わる。

「ヘンなヤツ」

 カリヤは酔い潰れたユズを担ぐ恰好で初めて彼の部屋へ足を踏み入れた。


 ワンメーターそこそこという近距離なのに、その間タクシーを止めてゲロ撒くこと数回。これでエレベーターが直通でなかったら、百パーセントの確率でユズをエントランスで捨てていた。

「ぎぼ……ぉぇ……」

「げっ、待て!」

 寝ていたはずのユズが不吉なひと言を呟き微かに動く。背中に吐かれたら堪ったものではない。担いだままトイレのドアを乱暴に開けると同時に、担いでいた酔っ払いを乱暴に落とした。

 前回の教訓を活かし、ジャケットもタイもタクシーの中で既にユズから没収してある。ユズが便器と濃厚なラブシーンを演じている間に、冷えた水でもないかとキッチンの冷蔵庫を漁ってみた。

「……なんじゃこりゃ」

 大根、人参、レタスにモロヘイヤ。あとは名前も知らない見慣れない野菜。肉や魚も取り揃えてあるのに、水という基本的なものが一本も常備されていなかった。

「おい、ミネラルウォーターはないのかよ」

 開けっ放ししているトイレの向こうへ叫ぶ形で問い掛ける。

「お金もったいなぉええぇぇええ!!」

「きったねえな……」

 聞くに堪えなくなって来て、取り急ぎ隣から自分の買い置きしてあるそれを持ち込むことにした。



 また当分吐き続けるのだろうと思い、自分も一本空けてからとキャップを開ける。

「なんであんなにムキになったんだ、あいつ」

 そんな呟きに、揺れたペットボトルの中で水がぽちょんと小さな相槌を打った。


 リコ。ああいう手合いは、二度とこういう世界に戻って来ないよう、容赦なく懲らしめておくに限る。まだ家だからよかったものの、下手な店で地雷ホストなんかに引っ掛かった日には、今日程度の出費では納まらないだろう。

 リコは結局支払い切れずショウコを呼び出し、彼女が金を立て替えた。恐らくショウコとは疎遠になっていくのだろう。全部、カリヤのシナリオどおりだ。

 同業で気の合う『Princess la Mu』のシュウにも協力願ったが、イベントに至ることなくバクダン撤去は終わった。ショウコをシュウに紹介した手前、当面はあの太客をこちらへ呼び戻すのは難しいだろう。

『ねえ、随分涼雅を買ってるのね。あなたとはタイプが違い過ぎて意外なんだけど。なんでそこまでするの?』

「知らねーよ」

 自分でも浮かんだショウコの問いに、自分で自問自答していた。答えの出ない疑問とともに、残りのミネラルウォーターを飲み干した。




 スウェットに着替えてからよく冷えた新たな一本を手に、ユズの部屋へ再び戻る。

「榊の野郎、今日に限ってなんで店泊不可なんだっつーの」

 なんでこの俺さまが、こんな面倒と重たい思いなんかをしなきゃならないんだ。

 元凶にそう毒づいたのだが、何も返答が返って来ない。

「無視ってんじゃねえよ、クソユズみかん」

 そんな文句を垂れながらトイレを覗くと。

「……マジか。あり得ないし」

 ユズは便座に頬を乗せて、静かな寝息を立てていた。

「おら、起きろ。お前、ほんっとにどこででも寝れるヤツだな」

 呆れた声でユズを起こしながら、その腕をくいと引っ張った。

「んー……」

(熟睡してやがる……)

 正座姿で便器を抱え、頬には便座の跡をくっきりつけて。だらしなく緩んだ口許は、小さなOの字を描いている。

「……ほんっと、ガキだな」

 なんだろう、この感覚。変にどこかこそばゆい。

 ――リョウちゃんって、カリヤにだけは、いっつもムキになるんだよね。


 誠四郎がエレベーターホールで別れ際に言ったそのひと言を、真に受けでもしているのだろうか。

 もう一度ユズを肩に担ぎながら、ふとそんなことを思うと苦笑が漏れた。


 ※


 ベッドにユズを放り出して、適当に部屋を漁って部屋着を探す。

 男の割に整頓好きなようで、着替えはすぐに見つかったのだが。

「……尾崎、ねえ……」

 片づいているだけに、乱雑に置かれたそのCDケースが余計にカリヤへその存在を主張した。何となくそれを手に取る。ケースを開くと、中身がどれも入っていない。オーディオのイジェクトボタンを押してみても、そこにもそれは入っていない。

 ふと視界の隅に入ったゴミ箱が淡いオレンジの照明で微かに光った。

「……」

 机代わりにしているらしきドレッサーの下からそれを取り上げて見ると、そこにはへし折られたCDが乱暴に放り込まれていた。


 ユズは、何を抱えているのだろう。


 家出少年。未成年で真っ当なバイトも探さずこの道を選ぶ奇異さ。女でさえあれば、誰とでも寝る節操のなさ。その癖、変に義理堅く不器用なくらい律儀で、人にはそつなくあたる真っ当な面の方が圧倒的に多い。かと思えばこんな風に、子供に返る時もあり。

「ヘンなヤツ」

 ベッドの方へ視線を向けて、また同じ感想を呟いた。

 ドレッサーの脇にはキャスターつきのカラーボックスが置かれている。引っ張り出すと、中には綺麗にファイリングされたクリアブックが並んでいた。

 それを手に取ったのは、ただの興味本位だった。

「こいつ、本当に大学生だったのか」

 それも、私学とはいえ結構レベルの高い大学だ。だが学生証まで何故ここに挟み込んでいるのだろう。

「なるほど」

 発効日から、余裕で一年以上が過ぎていた。

 通帳、入寮関係書類、入学時の誓約書の控えなど。ぱらぱらと何となく書類をめくると、気を引く名前に目を留めた。

「……久石、佳奈子?」

 保護者名に書かれた名前。字面を知ったのは初めてだ。

 そのほかの書類のひとつに、家族構成の記入欄があった。


 ――久石豊。四十歳。続柄、父。職業、漁師。

    久石佳奈子。二十五歳。続柄、母。職業、主婦。

    久石恵那。四歳。妹――。

「マジか……」

 嫌な予感が背筋を冷たく舐めていく。不快な類似がカリヤの眉間に深い皺を刻ませた。


 ケータイのメモに、ユズの実家の連絡先を入力し、クリアブックを元のキャスターの中へ音を立てずにそっと戻した。

 着替えを片手にベッドサイドへ戻る。

「おら。着替えてからベッドに入れよ」

 ユズの首の下へ腕を差し込み、半ば無理矢理抱き起こす。反動に従い頭を載せた肩が、不意に湿った感触をカリヤに伝えた。

「ごめ……ん」

「あぁ? 起きたのか」

 くい、と軽く右肩を上げ、ユズの頭を上げさせる。ぽてんとそれは再びカリヤの肩に戻り、か細い声で呟いた。

「カリヤくらい、……出来たら、……のになぁ……」

 ――ごめんね、佳奈子さん。


「……俺は呼び捨てかよ」

 向かい合った状態でユズを抱え込んだまま手探りでシャツのボタンを外しながら、腹立たしい想いで吐き捨てる。

 年齢差から見て、明らかに実の母子でないのは明確だ。家出の理由も何となく察せられた。

 見てはいけないものを見たばつの悪さに、手早くユズの着替えを済ませ、ベットへ仰向けに寝かせ直す。布団の中へ押し込んだら、さっさと自分の部屋へ戻ろうとしたのだが。

「……一緒にいてよ……」

 そう言って引き止める先にいるのは、ユズにとって一体誰なのだろう。

「寝ぼけてんじゃねえよ」

 そうぼやきながら、眠るユズの頭の下から無理矢理自分の腕を引き抜こうとした。

「お……ぃ」

「お願い……」

 頭を抱え封じられたら、抵抗する気も失せていく。この心境とこの状況で、ユズに起きられては居心地悪いことこの上ない。

「佳奈子じゃないっつーの」

 ぼやきながらも包み込む。次第に拘束が緩んでいく。背に回された握り拳が女みたいに縋りついて来る。

 むりな姿勢からどうにか自分もベッドに横たわると、ようやく「ぷは」と顔を上げることが出来た。

「窒息死させる気か」

 さてどうしたもんかと思いながらも、規則正しく首筋へ送られる温かな吐息が何だか妙に心地よく。

 いつしかカリヤも睡魔に負けて、そのまま眠りに堕ちていた。

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