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バクダン 4

 ユズの中で、盛大にキレたモノ。

 カリヤの見下す皮肉った笑みの所為で木っ端微塵に粉砕された自尊心だけではなく。

(この鬼畜。何もそこまでしなくたって、出入り禁止にするだけで充分じゃんか)

 あまりにもハイリスクなその賭けの内容を知ったことで、カリヤの非道な一面を初めて見せつけられた。その裏切られ感がユズの憤りを余計に煽っていた。

 横目でちらりとリコの様子をうかがえば、やはりそこは看護師、気が強い。そのシチュを楽しみつつも、挑発の瞳はカリヤの方を向いている。

 ユズは意識してゆっくりとソファから立ち上がると、軽くネクタイを緩めてあおる恰好で下から上へと視線を上げた。

「受けて立ちますよ。お手柔らかにお願いしますね、センパイ」

 グラスを片手にサロンを注ぐ。それをカリヤへ差し出すと、一瞬彼は怪訝な顔をしつつも素直にそれへ手を伸ばした。

「いただきます」

 そう言葉を返す瞬間、堪え切れずに口許が一方だけ上へと歪む。カリヤの手がグラスへ触れる寸前、グラスを掲げた手を自分の口許へ運んで一気に中のサロンを飲み干した。

「人の酒って、うっまー」

 ――ザマーミロ。

 挑発して、かっとさせて、一気に飲みまくらせて酔い潰してしまえ。

 空振りした手のやり場を持て余した彼は、やむなくその手を拳に替えつつ自分の方へと戻していった。

「かっわいくねーガキ」

 無理に作った皮肉な笑みが、妙に片側へ引き攣れている。

「久住ー、俺にボランジェ持って来いや」

 久し振りに、すごく気分がよい。ボランジェをカリヤがオーダーしている。ジェームズ・ボンドが愛飲したと設定されている『男の中の男』と称されるスパークリングワイン。

「あと、各テーブルに希望のボトルどれでも一本ずつ」

 それだけで、もうどれだけのキャッシュになったのだろう。

(……考えちゃ、ダメだ。気迫負けする)

 ユズは一瞬湧いた『万が一』の不安を、次の一杯で無理矢理飲み込んだ。


 奇妙なバトルの始まりを告げるゴングの代わりに、周囲の歓声がホールに響いた。




「ロマネ入りました、ありがとうございまーす」

「シャトー2006入りました、ありがとうございまーす」

 もうどれだけ飲んだのか、幾ら分使ったのかも解らない。銘柄を聞いただけでぞっとする。けたたましいBGMが耳障りになって来る。それでも、ギブる訳にはいかなかった。

「クロ・デ・パブ……新物……」

「リョウ、もう止めよう? 払いはまだ何とか大丈夫だから。これでも結構貯めて来てるの。だからもういいから。ね?」

「だぁめ~。リコさん持ってかれるの、ボクがヤなんですー」

 嘘。ただ負けたくないだけ、カリヤには。

 気づけば周囲の客層は変わっている。グラスなんかもうどこにもない。はやし立てられるままにらっぱ飲みのボトルを空けては、本数で競い合う状態になっていた。

 一度はソファに預けた背を、どうにか再び起こす。敵の方を見上げれば、彼は空になったボトルをさかさまに掲げ、ケチな飲兵衛のように舌を出して最後の一滴を待っていた。

「よ、どした。呂律が回ってないじゃんよ」

 カリヤが、その一滴まで飲み干すとふらつきもせずに立ったままそう言ってこちらを見下ろして来た。

 化けもんかよ、こいつは。トイレ休憩さえ挟まない。身体が負けん気について来ないことで、余計に頭へ血が上る。

「あんた、キタナイよね。ボクが絶対ノるって解ってリコさんを巻き込んだんでしょ」

 理屈では解っている。カリヤが自分にこのイベントを通して何を教えようとしているのか。

 ――バクダンの客を相手に中途半端な情をいつまでも引きずるな。

 これは、自分への制裁を兼ねた、バクダン女・リコの心理を店から遠のかせる為の誘導イベントだったのだろう。そしてカリヤは、リコがこれ以上自分に近づかないようにと、失敗の尻拭いをしてくれているとも受け取れる。

 解っているのに、気持ちがついていかない。自分の負い目があとへ退かせてくれない。

「さっさと潰れて下さいよ。ボク、絶対負けませんから」

 弱い自分がこの事態を招いた。これ以上またカリヤに借りを作るのは、嫌だった。

「ふーん。じゃさ、お前のオススメ、飲ませろよ。トレードな」

 一瞬ひそめた眉を元に戻すと、相変わらずの高慢な笑みを返したカリヤが妙な提案を出して来た。

「……ブラック・ルシアン」

 嫌がらせのように甘いカクテル、それもウォッカベースのものを選ぶ。バーテンダーがそれを作っている間だけでも、酔い覚ましの時間が少しは取れると思ってのオーダーだった。カリヤは途中からずっと、自分と同じ酒を飲んでいた。てっきり同じものを言うと思ったのに。

「ふーん、カクテルね。んじゃ、こっちはブレイブ・ブルな」

「へ?」

 そんなのは、知らない。カクテルはあまり詳しくない。知っている中で一番アルコール度数の強いのは、ブラック・ルシアンだったから。だからそれで潰してやれと思ったのだけれど。


「!」


 カクテルに変えたのは失敗だった。自分がちゃんぽんがダメだったということもあるが、ワインと違い、カクテルは――。

(これ、割合変えてる――殆どテキーラじゃんか!)

 カルーアの甘い香りに騙された。ブラック・ルシアンのレシピ、ウォッカの代わりに他のアルコールを使用することで、幾つか別の名がつくカクテルがあることだけはぼんやりとだが勉強した。きっとブレイブ・ブルというのもそのひとつ、なんだろう。

 カリヤの一気飲みに負けじと自分も一気にあおったことも失敗のひとつだった。一気に世界がぐるぐると回る。甘い匂いが吐き気を催す。

 ついでにもうひとつの失敗は、イベントの真意を考えてみれば、店員は皆自分を潰しに掛かるだろうといつまでも思い至れなかったこと。

「き……たないぞ、センパイ……」

 視界いっぱいだった人ごみが、ぐらりと斜め立ちになっていく。次第に目の前から人は消え、天井のシーリングファンが視界の大部分を占めていく。

「涼雅、乙」

 最後に見たのは、口許を抑えて小さな悲鳴を上げるリコの涙目の顔と、空になったロック・グラスに舌を這わせるカリヤの、勝ち誇った目で見下ろす笑みだった。

 ――完敗、だった。

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