カリヤとユズ 1
空が白み始めた新宿・歌舞伎町二丁目界隈。ホストクラブ『Paranoia』もようやく店じまいの時間を迎える。明日、というより今夜というべきなのだろうが。とにかく次の夜は、めったにない定休日。さっさと掃除を済ませようと忙しく立ち回る譲にとってうっとうしい存在でしかない奴が、今日も邪魔しに更衣室からフロアへ戻って来た。
「よっ、譲ちゃん、今日はこれからお前さんの歓迎会をやるぜ。あと一分で済ませやがれ」
譲はモップを金棒代わりに仁王立ちでそれに答える。もちろん、視線は冷たく口調は至極淡々と。
「……ジョウ、じゃなくてユズル、なんっすけど。あと、店で本名使うの止めてもらえます?」
色素の薄い瞳と髪が、どれだけ凄んでみても目の前の奴に敵わない。
「てめえは『涼雅』ってツラじゃねえだろ。ったく、オーナーのセンスを疑うぜ」
十センチをゆうに越える上から見下されるこの不遜な視線が、いつも譲を苛つかせた。
「じゃあ、せめてジョウとかちゃんづけとか、止めてください。ボク、有名人と同姓同名ってこと、子供の頃からコンプレックス持ってるんで」
言いながらバケツに勢いよくモップを叩きつける。
「のぁ、てめ!」
クソな拓巳の着ているすみれ色をしたスラックスの裾に、綺麗なグレーの水玉模様が添えられた。
「あぁ、すいませんね。歓迎会とか、要らないっすよ。どうせ拓巳先輩が言い出したことでしょ」
それをだしに原価でここの酒を飲みたいだけだろ、という言葉は一応飲み込んでおいた。
「っとに可愛くないガキだな、お前。見習い期間の間で俺の二番手が続いてるからって、結構天狗になってるだろ」
痛いところをつくこの店のナンバーワンに、心の中で臍を噛む。
「ガキっていうのも止めてもらえます? オーナーの厚意が台なしになりますから」
年齢詐称がこいつにバレたのは痛かった。あとで知ったことだが、拓巳――本名、刈谷悠貴は、オーナーの甥っ子らしい。こいつの口添えもあって、未成年でもここでバイトを続けていられるのは確かにありがたいことだけれど。
雇用継続の条件は、毎月上位五位以内を維持することと、拓巳のヘルプを優先することだった。
『相手し切れない時に便利なんだよね、涼雅って。こいつって可愛いキャラで売ってるじゃん?』
指名が多くてなかなかひとつのボックスに長居の出来ない拓巳は、上客の機嫌取りを譲に丸投げしていた。お陰でいつもヘルプばかりで、なかなか自分メインの指名客がつかない。致し方なく(といいつつ案外オイシイ思いをしているとも言えるが)枕営業で指名客をどうにか繋ぐ毎日がそろそろ半年を迎えようとしている。もちろん明らかにこの店においては違法行為なので、枕営業の件はトップシークレット……のはず、なのだが。
「なーんでこの俺さまが、しょうもないやり口で手にしたトップツーなんかで満足しているガキに、そこまで言われなきゃならないんだ?」
と意味ありげな笑みを浮かべて返して来る。煽ってもぴくりとも揺らがないその余裕が、無性に譲の癇に障ってしょうがない。
「……っ、さっさとどっか行ってくださいよ! いつまで経っても終わらない!」
「へいへい。んじゃ、あと一分なー」
拓巳は咥えていた煙草を嫌がらせのようにモップ掛けで湿った床へ落とすと、薄ら笑いを浮かべたままその場を一度立ち去った。
「……大ッ嫌いだ。馬鹿カリヤ」
オフになれば皆がそう呼ぶ、自分だけがまだそう呼べないでいる彼の本名を口にした。
刈谷悠貴。年齢不詳、でもほかの先輩に聞くと二十代であるのは確からしい。
半分アメリカンの血が入っている、彫りの深い顔立ちと日本人離れした奇天烈なキャラが妙に受けている。この店ナンバーワンの座をずっと維持する名ホスト。地毛はブロンドらしいのだが、なぜか意固地なまでに茶色に染めている。時々逆さプリンになっているとっぽさがホステス達には『可愛く』見えるらしい。
その癖、常に俺さまモード全開で客にさえ媚びない唯我独尊わがまま野郎。見下すブルーグレーの醒めた瞳は、人を人とも思っていない目で自分を映す。傲慢を絵に描いたようないけ好かない奴。
譲は、そんなカリヤが大嫌いだった。――自分にないものを持っている、彼のその自信が妙に譲の鼻についた。