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9/12

番の共鳴と、死神の執着

「晒し者事件」から数日。私の精神は、とうに限界を迎えていた。

 毎日、首元にあの「下手くそなハンカチ」を巻いて(あるいは胸元からチラつかせて)屋敷を闊歩する閣下。それを見るたびに、私の寿命は削られていく気がした。


(……もう、ダメだわ……)


 ある朝、ベッドから起き上がろうとした瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。

 体中が燃えるように熱い。喉はカラカラで、指一本動かすのも億劫だ。


(……あ、これ、死ぬんだわ。閣下の不興を買いすぎて、体が拒絶反応を起こしたんだ……)


 朦朧とする意識の中で、私は自分の最期を悟った。せめて、家族に一言「ごめんなさい」と言いたかったけれど、声も出ない。


 そのまま深い闇に落ちて、どれくらい経っただろうか。


「——リア、……リリア!」


 耳元で、聞いたこともないような、ひどく掠れた叫び声が聞こえた。

 重い瞼をゆっくりと持ち上げると、そこには、私の知っている「冷徹な公爵」とは似ても似つかない、ボロボロの男の姿があった。


「……えっ、あ、アル……フレッド……さま?」


 そこにいたのは、いつも一分の隙もなく整えられていた漆黒の髪を振り乱し、軍服も着崩し、目の下には死人のような隈を彫り込んだアルフレッド閣下だった。

 彼は私の手を、砕かんばかりの強さで握りしめている。その手は、凍えるように冷たいのに、ひどく震えていた。


「……目を開けたか。おい、医者! 早くしろ! まだ意識が混濁している!」


 閣下の怒号が響く。部屋の隅で、帝都一と言われる名医たちが、見たこともないほど青ざめた顔で震え上がっていた。


(……ああ、やっぱり。私が死にそうだから、閣下はこんなに怒っているんだわ。……番が死ぬと、彼にも何かしらの呪い(ペナルティ)が行ってしまうものね。……私のせいで、閣下に迷惑をかけてしまう……)


「申し訳、ございません……。早く、死なないように……します……」


 私が弱々しく謝ると、閣下は一瞬、息を止めた。

 そして、私の手を自分の額に押し当て、絞り出すような、悲鳴に近い声で言った。


「……黙れ。謝るな。……お前が死ぬなど、許さん。……もしお前がいなくなれば、俺はこの国ごと、すべてを灰にするぞ」


(……ひっ! 脅迫……! 私が死んだら、国まで滅ぼすつもりなの!? どこまで、どこまで執念深いの、この人は……!)


 恐怖で心臓が跳ね上がる。けれど、熱のせいで体は動かない。

 閣下はそのまま、私のベッドサイドに膝をつき、私の手を片時も離そうとしなかった。


「……水だ。リリア、水を飲め。……俺が飲ませてやる」


 彼は、最高級のクリスタルグラスを私の唇に押し当てた。

 けれど、手が震えているせいか、水が少しこぼれて私のパジャマを濡らしてしまった。

 すると閣下は、「……くそっ、俺は何一つまともにできないのか!」と自分の拳を床に叩きつけ、血が出るほど唇を噛み締めている。


(……怖い。……自分の無力さに、あんなに腹を立てている。……きっと、私が『使えない道具』だから、苛立っているんだわ)


 私は涙をこぼした。

「……捨てて、ください……。私、もう……歩けそうに、なくて……」


「……捨てる?」


 閣下の瞳に、暗い、底知れない炎が灯った。

 彼は私の顔を覗き込み、逃がさないようにその両頬を大きな手で包み込んだ。


「……お前を捨てるくらいなら、俺は自分の魂を捨てる。……いいか、リリア。お前が地獄へ行くというなら、俺もお前を追いかけて地獄へ行く。……俺から逃げられると思うな」


(……逃げられない。死んでも、逃がしてくれないんだわ……!)


 公爵の瞳には、もはや狂気のような執着が宿っているように見えた。

 彼はその後、三日三晩、一睡もせずに私の枕元に居座り続けた。

 私が少しでもうなされれば、狂ったように名前を呼び、私の手を握り、呪文のような愛の(リリアには呪いに聞こえる)言葉を囁き続けた。


 意識が戻るたびに、どんどんやつれて、目が血走っていく閣下を見て、私は確信した。


(……この人は、私を愛しているんじゃない。……私を『支配』することに、命をかけているんだわ……。……逃げ出したら、本当に殺されてしまう……)


 熱が引いた頃には、私はすっかり「一生、この死神の所有物として生きる」という覚悟(諦め)を固めていたのだった。


 熱が引いてから数日。私の体調はようやく回復の兆しを見せていた。

 けれど、一つだけ——致命的な問題が発生していた。


(……足が、床につけられない)


「閣下……。あの、そろそろ自分の足で歩きたいのですが」


 私がベッドの端に腰掛け、床に足を下ろそうとした瞬間。

 どこで見ていたのか、背後の扉が猛烈な勢いで開き、アルフレッド閣下が滑り込んできた。その速度、帝国の暗殺者でも回避不可能だろう。


「何をしている、リリア! 足を下ろすなと言ったはずだ!」


「ひっ……! い、いえ、お手洗いに行こうかと……」


「……ならば俺を呼べ。なぜ呼ばない」


 彼は私の返事も待たず、軽々とその強靭な腕で私を横抱きにした。いわゆるお姫様抱っこ、というやつだ。

 一国の公爵、しかも帝国騎士団総長が、パジャマ姿の女を抱えて廊下を闊歩する。……地獄絵図である。


「閣下! 恥ずかしいです、降ろしてください! 私はもう元気ですから!」


「黙れ。病み上がりの体で冷たい床を歩くなど、言語道断だ。……それとも何か? お前は俺の腕が不満か。……それとも、あのアホ(北の砦に飛ばしたカイル)の腕の方が良かったとでも言うつもりか」


「そんなこと一言も言ってません!」


 閣下の瞳が、底冷えのするような光を宿して私を射抜く。

(……怖い。……あ、わかったわ。こうやって私の足を地面から遠ざけることで、歩き方を忘れさせようとしているんだわ! 自力で逃げる術を奪う……なんて周到な拷問なの!)


 廊下ですれ違う使用人たちは、皆一様に壁際に張り付き、音を立てずに頭を下げている。

 彼らの目には、公爵に「捕獲」された哀れな番として映っているに違いない。


 ようやく目的地(お手洗い)の前に着いたけれど、閣下は私を降ろそうとしない。


「……あの、閣下。ここからは、一人で……」


「……三秒だ。三秒経ったら俺が中に入る。それまでに済ませろ」


「無理に決まってるじゃないですか!!」


 私は必死の抵抗で扉を閉めた。

 扉の向こうからは「……二、……一……」と、死神のカウントダウンのような低い声が聞こえてくる。

(……生き地獄だわ。プライバシーなんて概念、この屋敷には存在しないのね……!)


 用を済ませて外に出ると、案の定、閣下は彫像のようにそこに立っていた。

 そしてまた、当然のように私を抱き上げる。


「……次はどこだ。庭か? 図書室か? ……あるいは、俺の寝室か?」


自室ここでいいです!!」


 部屋に戻ると、彼は私をベッドではなく、ソファに座らせた。

 ……いえ、正確には「ソファに座った閣下の膝の上」に、私は収まっていた。


「か、閣下……。あの、ソファはあんなに広いのに、なぜ……」


「……ここが、最も安定する」


 彼は私の背中に腕を回し、首筋に鼻を押し当てるようにして、深く息を吐いた。

(……吸われてる。魔力が残っていないか、根こそぎ奪おうとしているんだわ。無能な私から、わずかな生気まで吸い取って、完全に逆らえないように……!)


 私は震えながら、彼の胸板に手を置いた。

 ドクンドクンと、岩をも砕きそうな力強い鼓動が伝わってくる。


「……リリア。お前は、もう俺の腕の中から逃げることはできない。……一生、俺が運んでやる。食事も、移動も、……お前の人生のすべてを、俺が肩代わりしてやる」


(……人生の肩代わり。……つまり、私の意思はもう必要ないってことね。私は今日から、公爵閣下の『動くお人形』なんだわ……!)


 私は、閣下の腕の中で絶望に目を閉じた。

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