公爵の誇示
あの「ハンカチ献上事件」から一夜明け。
私は、いよいよ公爵家から放り出される覚悟を決めて、荷物をまとめ始めていた。
(……きっと今日中に、執事のセバスさんに『帰りなさい』って言われるわ。最後くらい、きちんとした格好で挨拶しに行かなきゃ)
私は重い足取りで、閣下が騎士たちと朝の会議を行っているという大広間へと向かった。
せめて一言、「お目汚しをして申し訳ありませんでした」と謝るために。
けれど、広間の大きな扉が開いた瞬間、私は自分の目を疑った。
「……えっ?」
広間の中心、騎士たちが居並ぶその真ん中で、アルフレッド閣下が椅子に深く腰掛けていた。
相変わらずの威圧感。
けれど、何かが決定的に「おかしい」のだ。
彼の首元——いつもなら隙なく整えられている漆黒の軍服の襟元から、あろうことか、あの「下手くそな刺繍のハンカチ」が、これ見よがしに突き出していた。
(……嘘。なんで、あんなゴミみたいな布を、わざわざ見えるところに……!?)
しかも、閣下は騎士団の幹部たちを前に、妙にゆったりとした動作で、わざわざそのハンカチを取り出し、口元を拭うふりをして、また大切そうに、でも確実に全員に見えるように襟元へ戻した。
「——閣下、先ほどの遠征計画ですが」
「待て。……その前に、この刺繍の出来について意見を聞こう」
「は……?」
騎士たちが一斉に困惑の表情を浮かべる。
閣下は、私の縫った「折れた棒(剣)」を指でなぞりながら、氷のような冷徹な声で告げた。
「これは、俺の番が夜通し、指を血に染めながら縫い上げたものだ。……この歪みこそが、愛の重さだとは思わんか」
(ち、血に染まってないわよ!? 確かに一度だけ針を刺したけど! ……っていうか、やっぱり晒し者にしてるんだわ! 「こんなに下手なものを贈られた俺の身にもなってみろ」って、皆の前で私を笑いものに……!)
騎士団の副団長代理のような人が、引きつった笑顔で答える。
「は、はあ……。独特な……力強いデザインでありますな、閣下」
「……そうだろう。貴様らには、一生縁のない至宝だ」
閣下はフンと鼻を鳴らすと、ちょうど扉の陰にいた私に気づき、鋭い視線を向けてきた。
(ひっ……見つかった!)
「リリア。……こちらへ来い」
私は震える足で、騎士たちの視線が突き刺さる中、閣下の前まで進み出た。
(もうダメ。ここで、皆の前で正式に離縁を言い渡されるんだわ……!)
「閣下……! 申し訳ございません、あんな汚いものを身につけさせてしまって! 今すぐ捨ててください、私が悪かったんです!」
私が必死に謝ると、閣下は座ったまま、私の手首を掴んで自分の方へ引き寄せた。
そして、そのハンカチを私の目の前に突き出し、地を這うような低い声で言った。
「捨てろ……だと? お前は、俺に死ねと言っているのか」
「……えっ?」
「……これは、俺の所有印だ。お前が俺を選んだという、消えない証だ。……貴様ら、よく見ておけ。これが、我が妻の『献身』だ。……次にこれに触れようとする不届き者がいたら、即刻、極刑に処す」
(……所有印!? 執着が怖すぎる……! つまり、私はもう一生、この「下手くそなハンカチ」を贈った女として、この恐ろしい騎士団に名前を刻まれてしまったのね……!?)
騎士たちは「(あーあ、閣下が完全にイカれちゃったよ……)」という、哀れみと恐怖が混ざったような目で私を見ている。
(……逃げられない。あんなに呪いのようにハンカチを握りしめて……。私は、一生この人の『管理物』として生きていくしかないんだわ……!)
私はあまりの恐怖と絶望に、その場にへたり込みそうになった。
一方、閣下は満足げに、その「歪んだ剣」の刺繍を、これ以上ないほど愛おしそうに撫で続けていた。




