求婚
儀式の翌朝。ベルトラン伯爵邸の玄関先は、未曾有のパニックに陥っていた。
「……あの、セバス。これは一体、何事かしら?」
目をこすりながら階段を下りてきた私は、光り輝くロビーを見て呆然と立ち尽くした。
そこには、色とりどりの大輪の薔薇が壁を埋め尽くし、テーブルの上には、小山のような宝石箱が積み上げられている。
「お嬢様……。アスラン公爵閣下が、直々にお見えです」
セバスの声が震えている。
その視線の先——。
昨日の冷徹な軍服姿とは打って変わり、隙のない正装に身を包んだアルフレッド閣下が、仁王立ちで私を待っていた。
(ひっ……! 昨日の今日で、もう『離縁届』を持ってこられたの!?)
私の心臓は嫌な音を立てる。
やっぱり、無能な私が番だと確定したのが、よほど我慢ならなかったんだわ。
「……おはようございます、閣下。朝早くから、わざわざ申し訳ございません。あの、お話というのは……」
私が消え入りそうな声で切り出すと、彼は一歩、また一歩と距離を詰めてきた。
逃げ場をなくすように、私の目の前で止まる。
相変わらず、射抜くような鋭い視線。……でも、なぜか耳の付け根が少しだけ赤い。
「……リリア・フォン・ベルトラン。単刀直入に言う」
彼はゴリリ、と奥歯を噛み締めるような音をさせた。怒ってる? 怒ってるわよね!?
「今すぐ、俺の屋敷に来い。準備はすべて整えてある。……これらは、その、挨拶代わりだ」
彼は山積みの宝石を顎で示した。
挨拶代わりにしては、国家予算の数パーセントが飛んでいきそうな輝きを放っている。
「……えっ? 屋敷に……?」
「そうだ。お前を、俺の妻として迎え入れる」
私は耳を疑った。
「……で、でも! 閣下、昨日は『呪いだ』とおっしゃいましたよね!? 愛など期待するな、とも……」
「それは……っ!」
彼は言葉に詰まり、苦悶の表情を浮かべた。
(やっぱり。義務だから仕方なく、っていうことね。それなのにこんな高価なものを……。きっと、私の無能さを補填するための『対価』なんだわ)
私の胸が、ツンと痛んだ。
「……分かりました。閣下がそうおっしゃるなら。……でも、私は魔力もありませんし、きっとお役に立てません。せめて、宝石などは持ち帰ってください。私には、分不相応ですから」
「……何?」
アルフレッドの瞳に、一瞬だけ絶望のような光が走った。
「分不相応……? 違う。足りないのだ。これしきでは、お前の美しさの欠片も表現できていない……!」
「はい……?」
「いいか、リリア。お前は……お前という存在は、あまりに……」
彼は何かを言いかけて、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「……とにかく! 俺の決定は覆さない。一刻も早く、俺の目の届く場所に置く必要がある」
(……やっぱり、監視が必要なほど、私は信用されていないんだわ)
結局、父様とフィオナの猛烈な反対も虚しく(というか、公爵が「彼女の安全のためには、我が騎士団の結界が必要だ」と一歩も引かなかったため)、私はその日のうちにアスラン公爵邸へと運ばれることになった。
馬車に揺られること一時間。
たどり着いたのは、帝都の喧騒から少し離れた森に佇む、白亜の城のような屋敷だった。
(……大きい。広すぎるわ。こんなところに、私みたいな『無能の聖女』が一人で放り込まれるなんて……)
馬車の扉が開くと、そこには整列した使用人たちがずらりと並んでいた。
その中央で、アルフレッド閣下がこれまた、恐ろしいほど険しい顔をして立っている。
「……降りろ。ここがお前の新しい家だ」
差し出された彼の手は、手袋越しでも熱い。
私はその手を恐る恐る取り、震える足で地面に降り立った。
「あ、あの……閣下。私のような者が、このような立派な屋敷を汚してしまわないか、心配で……」
「黙っていろ。お前が気にする必要はない。……案内しろ」
彼は私の言葉を遮るように、私の腰をぐいと抱き寄せた。
(ひっ……! 距離が、近いです……!)
公爵の逞しい腕が、私の細い腰をしっかりと固定している。まるでもう二度と逃がさない、とでも言うように。
案内されたのは、屋敷の最上階。
公爵自身の執務室と寝室がある、いわば「主人のプライベートエリア」だった。
「ここがお前の部屋だ」
開かれた扉の先を見て、私は息を呑んだ。
そこは、私の実家の自室が三つは入りそうなほど広大な部屋だった。
壁は淡い藤色のシルクで覆われ、ベッドは雲のようにふわふわそうな天蓋付き。床には最高級のペルシャ絨毯が敷き詰められ、窓辺には、私が一番好きな花である「白百合」が溢れんばかりに飾られていた。
「……えっ? あ、あの、閣下。ここは……?」
「お前の部屋だと言っている。気に入らないか?」
「いえ、そうではなくて! 私は、もっと……その、屋根裏部屋とか、使用人部屋の隅っことかで十分です! こんな豪華な部屋、私には……」
私が必死に首を振ると、アルフレッド閣下の眉間の皺がさらに深くなった。
彼は私の肩を掴み、じりじりと壁際まで追い詰める。
「屋根裏だと? ……お前は、自分の立場を分かっているのか。お前は俺の『番』だ。帝国の宝だ。……お前を、あんな埃っぽい場所に置けるわけがないだろう」
(……宝? ……ああ、そうか。番の紋章があるから、私が死んだら彼にも影響が出るのね。だから、壊さないように、厳重に管理したいんだわ)
私は自分を納得させた。
「……分かりました。閣下の『資産』として、大切に扱っていただけるということですね。……ご迷惑をおかけしないよう、この部屋から一歩も出ずに静かにしております」
「一歩も出ない……?」
「はい。監視が必要だから、閣下の執務室の隣なんですよね? 逃げたりしませんから、ご安心ください」
私が健気に微笑むと、アルフレッド閣下はなぜか、絶望したような顔で天を仰いだ。
彼は震える手で顔を覆い、漏れ出たのは、絞り出すような低い声だった。
「……違う。そうじゃない。監視など……。俺は、ただ、仕事中もお前の気配を感じていたいだけで……。お前が寂しくないように、一番近い部屋を……」
「えっ? 何かおっしゃいましたか?」
「……なんでもない! とにかく、今日からここがお前の居場所だ。……それと」
彼は去り際、耳まで真っ赤にしながら、ぶっきらぼうに付け加えた。
「そのドレス……昨日のままだな。クローゼットを見ておけ。……お前に似合うものを、三、四十着ほど用意させてある。……気に入らなければ、すべて捨てて買い直せ」
バタン! と大きな音を立てて、彼は逃げるように部屋を出て行った。
一人残された私は、呆然と立ち尽くす。
……三、四十着?
おまけに、宝石箱の中には、私の瞳の色と同じ「青いサファイア」のネックレスが、無造作に、でも大切そうに置かれていた。
(……やっぱり。彼は私のことが、そんなに心配なのかしら。『無能な番を持った自分』が恥ずかしくて、せめて外見だけでも着飾らせて、ボロが出ないように……)
リリアは深い溜め息をついた。




