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俺の支配劇場、主役のはずが道化に堕ちた~凡人だと見下していた女の彼氏が、俺の人生を脚本通りに破壊していく~

俺、橘玲司たちばなれいじの世界は、いつだって俺を中心に回っていた。

裕福な家庭に生まれ、望むものは大抵手に入れてきた。容姿にも、弁舌にも自信があった。大学の演劇サークルで代表を務めているのも、俺が誰よりも「支配」することに長けていたからだ。才能のある奴を見つけては褒めそやし、自分の手駒として使う。気に入らない奴は、巧みに孤立させて追い出す。俺の作る舞台は、常に俺の意のままに動く、完璧な劇場でなければならなかった。


月島詩織は、その中でも極上の手駒だった。

人目を引く容姿、女優になりたいという強い野心、そして男を転がすのが上手い小悪魔的な魅力。何より、彼女には蒼井陽彩という、貢ぐためだけに存在するような便利な彼氏がいた。俺は詩織を手に入れることで、彼女の才能も、容姿も、そして彼女の背後にいる金蔓さえも、間接的に支配しているような万能感に浸っていた。


「玲司さんみたいな人とじゃないと、私、輝けない」


サークルの部室で、俺の腕の中で詩織がそう囁いた時、俺は勝利を確信した。あの陽彩という男のことは、詩織から聞いて知っていた。地味で、平凡で、ただ優しいだけの凡人。そんな男から、サークルで一番の美女を奪い取る。その背徳感と優越感は、最高の酒の肴だった。

詩織が陽彩から巻き上げた金で俺にプレゼントを買ってくるたび、俺は心の中で嘲笑した。哀れな男だ。自分の恋人が、自分の稼いだ金で他の男に媚びを売っているとも知らずに。凡人は、いつだって強者に搾取される運命なのだ。


俺の完璧な支配劇場に、予想外の脚本が舞い込んできたのは、そんな時だった。

"Kairos" と名乗る匿名の人物から送られてきた『虚飾のガランドウ』。

一読して、俺は戦慄した。これは、傑作だ。

傲慢でカリスマ的な主人公。彼に翻弄され、破滅していく美しいヒロイン。派手な展開、観客を惹きつける計算され尽くした台詞回し。これは、俺が演出家として名を上げるための、神から与えられた梯子だと直感した。


「この脚本は神がかってる。演出家としての俺の名声を不動のものにするチャンスだ」


俺は詩織にそう告げ、彼女を主役に据えた。俺が演じる主人公の相手役は、当然、俺が支配する女でなければならない。

"Kairos" には最大限の賛辞を送り、俺たちは公演に向けて走り出した。この時の俺は、自分が神の梯子ではなく、地獄への階段を一段ずつ、自らの足で下り始めていることなど知る由もなかった。


恐怖の始まりは、公演一ヶ月前に送られてきた修正稿だった。

俺が演じる主人公に、新たな独白シーンが追加されていたのだ。


『俺が評価された、あのアイデアも……本当は俺のものじゃない。あいつの才能を、俺が横取りしただけなんだ。誰も知らない、俺だけの秘密さ』


読んだ瞬間、心臓が凍りついた。

一年前。俺は、サークル内で行われた脚本コンペで、後輩が書いたプロットの根幹を盗用し、自分の作品として発表して優勝した。その事実は、俺とそのアイデアを盗まれた後輩しか知らないはずだった。その後輩は、俺の圧力に屈して泣き寝入りし、サークルを辞めていった。

誰だ。 "Kairos" とは、一体何者なんだ。なぜ、俺の過去を知っている?

背筋を冷たい汗が伝う。俺は必死に平静を装った。


「ただの台詞だろ。役に集中しろ」


不安げな詩織にそう吐き捨てたが、自分の声が震えているのがわかった。

脚本を読むたびに、"Kairos" という正体不明の存在が、まるで監視カメラのように俺の全てを見ているような、妄想に取り憑かれていった。稽古に身が入らない。台詞を口にするたび、それは演技ではなく、俺自身の罪の告白のように感じられた。


「お前、この脚本家について何か知ってるんじゃないのか!?」


俺は苛立ちを詩織にぶつけた。彼女もまた、自分の罪をなぞるような台詞に追い詰められ、精神的に不安定になっていた。俺たちは互いを疑い、傷つけ合った。美しい手駒だったはずの詩織が、今や俺の罪を映す不快な鏡のように思えた。

それでも、俺は舞台を降りるわけにはいかなかった。ここで逃げ出すのは、敗北を意味する。橘玲司の辞書に、敗北の文字はない。俺は、この得体の知れない恐怖をねじ伏せ、舞台を成功させることで、再び支配者としての地位を確立しなければならなかった。


公演当日。

俺は、震える手で舞台の袖に立っていた。観客の期待に満ちた熱気が、今はただ重圧となって俺にのしかかる。

幕が上がり、スポットライトを浴びた瞬間、俺は覚悟を決めた。恐怖を、怒りを、全てを演技のエネルギーに変えて、この舞台を乗り切ってやる。

俺は傲慢な主人公を演じた。それは、もはや演技ではなかった。恐怖から逃れるために、俺は必死に「いつもの俺」を演じていたのだ。

舞台は、皮肉にも大成功だった。割れんばかりの拍手。スタンディングオベーション。俺は、この悪夢を乗り越えたのだと、一瞬だけ安堵した。


だが、本当の地獄は、そこからだった。

カーテンコールの挨拶をしようとした瞬間、世界が暗転した。

スクリーンに映し出されたのは、俺の罪状を告発する映像の数々。一年前の盗作の、動かぬ証拠。詩織以外の女たちとの、下劣なやり取り。

「最低だ!」「クズが!」

数分前まで俺を称賛していた観客たちの声が、今は鋭い刃となって俺を突き刺す。

足が震え、立っているのがやっとだった。隣では、詩織が腰を抜かしてへたり込んでいる。

そして、スクリーンに映し出された一枚の写真。

見たことのある、地味で冴えない男。詩織の金蔓、蒼井陽彩。

その彼が、見たこともないような誇らしい顔で、トロフィーを手にしている。


『脚本 "Kairos" こと 蒼井陽彩 / 第XX回 文芸新人大賞 受賞』


理解が、追いつかない。

あの凡人が? 俺が見下していた、搾取されるだけの存在が? 俺をここまで追い詰めた天才脚本家 "Kairos"?

ありえない。そんなことが、あってたまるか。

それは、俺が築き上げてきた世界の全てが、根底から覆される瞬間だった。俺は、神の脚本の上で踊る滑稽な道化に過ぎなかったのだ。


公演後、俺の世界は文字通り崩壊した。

サークルの仲間たちは、俺を化け物でも見るかのような目で見ていた。軽蔑、怒り、嘲笑。今まで俺に従っていたはずの連中が、次々と俺に罵声を浴びせ、背を向けていく。

俺は、その場から逃げ出した。どこをどう走ったのか、覚えていない。気づけば、冷たい雨に打たれながら、誰もいない道端に蹲っていた。

後日、大学から呼び出しがあり、盗作の件を厳しく追及された。俺は全てを失う恐怖から、見苦しく嘘を重ねたが、もはや誰も俺の言葉を信じなかった。退学処分。それが、俺に下された判決だった。

実家にも連絡が行き、厳格な父からは勘当を言い渡された。仕送りは止まり、クレジットカードは利用停止。俺が今まで当たり前だと思っていたものは、全て砂の城のように崩れ去っていった。


今は、都心から遠く離れた安アパートで、日払いの肉体労働をして、その日暮らしの生活を送っている。

汗と泥にまみれ、疲れ果てて部屋に帰ると、いつもあの日の舞台がフラッシュバックする。

スポットライト。観客の罵声。そして、スクリーンに映し出された、蒼井陽彩の穏やかな笑顔。

俺は、彼の才能に嫉妬したのではない。

俺は、彼という存在そのものに、完膚なきまでに敗北したのだ。

俺が支配していると思っていた世界は、初めから彼の脚本通りに動いていたに過ぎなかった。詩織も、俺自身も、ただの登場人物。彼が描く復讐劇を盛り上げるためだけの、滑稽な道化だった。


「……くそっ……!」


冷え切った床の上で、俺は何度も同じ言葉を繰り返す。

酒を買う金もない。俺を慰めてくれる女もいない。

俺の支配劇場は、もう二度と幕を開けることはない。閉幕のブザーは、今も俺の頭の中で、永遠に鳴り響いている。

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