第51話
音で物語を紡ぐ、それは気が遠くなるほど昔から行われていたことだった。
演舞然り、歌劇然り。世界最古の笛は四万年も前に作られていたのだ、音楽は人の遺伝子に組み込まれていると言っても過言ではないのかもしれない。
そんな歴史も時を経るにつれ複雑に、幅広く、そして過激になっていく。ありふれた音楽では人の心を動かせなくなり、一瞬の火花を散らすような曲がインスタントに生み出され消えていく、大量生産大量消費はもはや当たり前となって、いまだ留まる気配がない。
だからだろう、百年以上も前に生み出された名曲であっても観客を魅了するには刺激が足りないようで、ステージの上からでも反応が芳しくないことくらいはよく見えていた。そもそも奏者は観客をよく見ているのだ、今にも眠りそうな男子生徒の顔を覚えるくらい苦ではない。
それも仕方のないことだった。音楽が飽和した時代、個人の好き嫌いははっきりと分かれていて、楽しみ方も千差万別、無理に強いるなんて音楽本来のあり方からも外れていた。
かといってこのままでいいとは思っていない。むしろ想定内であった。
一曲目の交響曲が終わり、まばらな拍手が飛んでくる。比較的いい演奏ができたとしてもこの程度、観客は奏者のことなど構うことはなかった。
ゆえに、魅せるなら今だった。
進が動く。すぐ後ろに置かれているドラムに座りスティックを持ち替えると、先ほどまでの静けさを打ち破るように、全力で足を踏み込んでいた。
車のアクセルなら暴走間違いなし、唯一違うところを挙げるとするならば、豪雨のように連打しているところだろう。
耳障りにも聞こえる突然の音量に、観客の意識が進を向く。力任せに演奏する気持ちよさは否が応でも全身の血液を加速させ、ガソリンは爆発寸前だった。
そのままスティックを打ち鳴らし、阿修羅のごとく叩きまわる。
気が触れたように見えたのは彼だけではない。突然立ち上がったトランペットが、トロンボーンが頭を振りながら吹き荒れる。その音色は先ほどまでの澄んだ湖面のような穏やかさとは違い、バリバリと雷鳴に振るえる硝子のように耳を打つ。
グロウル、グロウトーンと呼ばれる奏法であり、息と一緒に喉を震わせながら吹くのだ。ただそれだけで野犬の唸り声じみた音に変わってしまう。また、言うは易し行うは難し、そんな練習をするくらいなら一曲でも多くちゃんとした曲を練習したほうが身になるものでもあった。
それでも、ひと昔前の歌謡曲を格好よく見せるには一役買っていた
スイングジャズ風に変貌を遂げた曲は逆に新しく、緩んだ木漏れ日のような雰囲気を洗い流してしまう。なにも座っているだけが演奏ではない、マーチングだって行進しながら演奏するし、時には踊りながら演奏することも珍しいわけじゃない。
型にはまった音楽が嫌なら、型破りな音楽をする。自由とはそこから始まっていた。
その後も、ノリのいい曲を何曲か続けていた。
誰もが知っている曲を観客に歌わせたり、生徒に思い出深い合唱曲をしっとりと吹いてみせたり。ソロパートでは生徒たちが思い思いの演奏を披露し、皆でボディーパーカッションをしたりと。
過去から見れば粗削りで粗暴、三年間の成果を見せる目的なら今回の定期演奏会は不適合である。それでも最後くらい馬鹿みたいに騒ぐ、まさに楽しんだもの勝ちな演奏はついに最後の一曲を残すまでとなった。
一時間、たったそれだけの時間が彼女たちに残された最後の舞台。締めくくりは、さくらの提案したあの曲だった。
紀美からマイクを受け取り、部長のまうみがステージの際に立つ。嬉々とした視線が集まり、彼女はへそに力を込める。
「――みなさん、今日はお集まりいただきありがとうございました」
一礼。深々としたお辞儀の後、まうみは笑っていた。
「今日まで色々なことがありました。入学した時、自分たちでこの学校が最後になるなんて実感はなくて、でも今、この演奏をもって、この中学での吹奏楽部は終わりを迎えます」
そしてまうみは首だけ回し学友を一瞥する。
「雪緒、翼、さくら、紀美ちゃん先生。皆と一緒に演奏出来て本当に楽しかったし、最高の出会いだったよ」
返事はなく、雪緒はただ手を叩き、翼は笑みを返す。さくらはハンカチで目頭を押さえていたが、それは楽器に溜まった水抜き用のものだった。
「皆さんも不思議に思われたかもしれませんが、今回ご厚意でOB、OGの先輩方にも手伝っていただき今日という日を迎えることが出来ました。特に唐澤さん、あなたにはいろいろな問題に直面した私達を助けていただきました。あなたがいなければ今日という日はなかったと思います」
名指しで呼ばれ、進は気恥ずかしさから頬を掻く。その後慌てて一礼するも、観客からは失笑が湧き上がっていた。
「もちろん、お父さん、お母さん。先生がたと、支えてくれた皆にも感謝しています。この一年、私達は色々なことを学びました。自分たちがいかに守られていたのか、大切にされてきたのか。そして、大人でも悩んで失敗して、時には立ち上がれなくなって、誰かの力が必要なんだということも。だから――」
まうみはそこで一息入れ、
「――今度は私たちが皆を支えられるように、この曲を送りたいと思います。曲はCeltic Womanで、『You Raise Me Up(私はあなたの力になる)』。最後まで楽しんでください」




