第44話
「すみません」
一時間半ほどたった時、紀美の隣に座る女性がバッグを持って立ち上がる。
それに合わせて他の二人も同様の仕草を取っていた。
「……あれ、帰るの?」
すっかりほろ酔い気分の紀美が言う。そんな彼女の腕は掴まれ、
「少しお手洗いに」
わけも分からず連行されていた。
雑な言い方をすれば連れション、つまり作戦会議の時間だった。半分の人が居なくなったテーブルではすっかり盛り上がりが鳴りを潜め、浮かれていた気分が落ち着きを見せる。一息つくにはちょうどいい時間だった。
「先輩」
「んー?」
「紀美さん狙ってます?」
「……」
男だけとなって、こちらも作戦会議ということなのだろう、問題は突拍子もないことを言われて反応できるかということだ。
否定をするなら簡単だった、ただ一言告げればいいのだ。そこにスパイスとして過去どんな無茶ぶりで苦しめられていたかを添えれば信憑性も増すというもの。
しかしそれをすればせっかくやる気の――空回りが目立つが――紀美の妨げになってしまう。露見した際の報復を恐れ、滅多なことは言えずにいた。
それに、と進は残った面子を流し見る。中盤に差し掛かれば自ずと誰を狙っているかはわかってくるというもの。流石に年齢というハンデを背負いここまでいい所を見せられずにいる紀美は敗戦濃厚、ここから大逆転勝利を望めるはずもなく、また、他の男性が狙っている子に気がある素振りを見せるのも、誰ひとり得をしない行動だった。
つまりは、
「まぁ、こっちで引き取るよ」
南無南無、と心の中で合掌しながら一番いい選択を選ぶしかなかった。
同時刻。
女子トイレにて、女性陣も話し合いとなっていた。
「誰狙いですか?」
「私は山根さんかな」
「え、私も狙ってたのにぃ」
「向こうもその気みたいだし。あなただって深山さんからアプローチされてたじゃない」
「そうですけど、ちょっと……」
軽く化粧を直しながら、三人の女性は値踏みをしていた。その輪にも入れない紀美は、戻るに戻れずただ立っていることしかできないでいた。
せっかく頼んだばかりのビールがぬるくなるなぁなどと、悠長なことを考えていた彼女にも話が振られる。
「先輩は唐澤さんですよね?」
「……ん?」
酔った耳では上手く聞き取れず思わず聞き返す。誰が誰だと、なぜ決めつけるのか。
「えっと……なんだっけ?」
「もう、しっかりしてくださいよ。誘ったのは先輩なんですから」
「あー、ごめんごめん。で、私がなに?」
「誰を狙うかですよ。合コンっていうのも口実で前から狙ってたんですよね?」
「誰を?」
「唐澤さんですって」
……。
人間驚きすぎると声が出なくなるようで、いやこの場合はあまりにありえないことを言われ、脳が理解を拒んでいるというのが正しいか。
「どうしてそうなったのよ」
「だって先輩、唐澤さんと話している時がいちばん楽しそうですし。それに相手も満更じゃないんじゃないですか?」
「だよねぇ。あの人多分年上が好みよ」
「わかるー。話振っても全然反応なくて。顔は悪くないけどああも素っ気ないとねー」
他の女性達は人のことでキャッキャと盛り上がるが、大間違いである。まさか既に懸想している相手がいて、それも中学生だなんて夢にも思わないだろう。
場がシラケると思い、紀美は翼との約束を伝えていなかった。ただこの状況なら翼の懸念も杞憂に終わるようだ。
と、そんな状況ではない。
「いや! 絶対いや!」
紀美が力強く拒否する。親の仇と結婚させられそうにでもなったのかという勢いである。
「じゃあ誰がいいんですか?」
「うっ……」
逆の刃で切り返されて、紀美は言葉に詰まる。ここまでどうにか目立とうと手を尽くしてきたが成果は芳しくなく、そればかりに気を取られ特定の誰かへ唾をつける余裕などなかった。それどころかお誘いなら向こうから来るのではないかという、廃糖蜜のようにねっとりとした甘い考えをしていた。
それでは駄目だと気付いた頃には時すでに遅し。ここから挽回する手立てを考えようにも経験の無さが災いして、酒に逃げていたのがこの女だった。
結局、紀美が本懐を遂げることなく、合コンは無事終了した。結果だけを見れば、飲み食いに専念していた進を含め、概ね満足といった形で閉会となった。
これを良縁奇縁として関係が続くかは幹事の責任ではない。二次会は若い者だけで行うようで、進が帰ると言った手前、敗者も人数合わせで帰ることを余儀なくされていた。
残暑らしからぬ風の吹く夜のことだった。
「失敗したぁ……」
帰路に着くまでの道すがら、たまらず吐き出した紀美はおろしたてのバッグを握りしめていた。そのまま投げそうな雰囲気すらある。
「せやな」
対照的に進の表情は明るく、ほろ酔い気分のまま一歩後ろをついていた。手にはスマホ、翼とのチャットが表示され、玉砕と書かれたスタンプをわざわざ購入してまで送っていた。
これで笑いの種は数日持つなぁ、と不謹慎なことを考えていた彼は、しばらく返信がないことを確認してからスマホをバッグに戻し、
「別に焦ることないだろ、初めの一回つまづいただけなんだ、また二歩三歩踏み出せばいいんだよ」
「その余裕そうなところがムカつく」
「じゃあなんて言えばいいんだよ……」
「慰めて」
紀美が言う。果たして進に慰められて嬉しいかは別として、彼は鼻で笑う。
「いやだよ」
「別に期待してなかったけど、そうキッパリ言われるとムカつく」
「さっきからムカつくしか言ってねえぞ」
「反論すんな」
傍若無人、ここに極まる。
やはり酔っぱらいは厄介だと、進は再認識しながらこの無意味な時間が早く過ぎ去ることだけを願っていた。




