第38話
「へぇー」
事情をわかってなお、進の口から出た言葉はまるで興味が無いと仄めかすような態度だった。
他人事、そんな言葉が思い浮かんでしまうのは仕方のないことだった。今、進は椅子に深くもたれて郵便で届いた書類を片手に話をしていた。その意識はほぼ手元に割かれており、耳から聞こえる音は喫茶店のBGMのよう。
当然その態度は伝わり、『おい』と、低く唸る声が聞こえていた。
『聞いてんの!?』
「聞いてる。けど他を当たれとしか言えん。翼が嫉妬するから」
『気持ち悪。そういうこと聞きたくないの!』
稚拙な苦情はむしろ耳に心地よく、好きに騒いでいろと進は優越感を覚えていた。
パートナーのいない相手からのひがみにも捉えたのだろう、能天気なのは浮かれている証拠だった。
その後もしばらく続いた文句は、言い疲れたのかパタリと止まる。書類の整理もそれなりに進んだため、終わりを切り出そうと進が口を開きかけた時だった。
『――あーもう。ならこっちにだって考えがあるわ』
「……何するつもりだ?」
ろくでもないことだろうなと想像しながら相手する。自分だけの被害ならば恥をさらして終わるのだが、世の中そんなうまくいくはずもなく、えてして周りまで迷惑をこうむるというのが相場である、と進は今までの経験から理解していた。
待った。しかし返答はなく、代わりとでも言うように含みを持たせた笑いだけが電話越しに残響する。
『見てなさいよ』
短く言い放つ。それを戯言と片付けるには進の受けてきた非情な行いが邪魔をする。
ここ数ヶ月、休日を休日と知れない日々を過ごさせられた張本人である、一部感謝こそあれど全体的に迷惑を受けているのだ。今回もきっと、なんて負の信頼感が胸に募っていた。
結局、なんて声をかける間もなく電話は着られ、無音となったスマホだけがそこに残っていた。まだ話の途中だと言うのに非常識、進はもやもやとした気持ちを抱えながら全てを忘れてその日は眠っていた。
「新名さん、ちょっといい?」
あくる日のことである。部活の終わり、片付けをして帰る一団に紀美が待ったをかける。
四人が部室を出ようとした時だった、部長でも、副部長でもない翼に声をかけるなどあまり多くない。特に部活の方針に関わることならばまずありえないので、必然的にプライベートな内容となる。
それがわかって、
「なに?」
呼び出されるいわれはいくつかあれど、共通しているのはだいたいよろしくないということ。翼は低く威嚇するように声を震わせていた。
いつもならそれでひるむ紀美も今日ばかりはひと味違っていた。負けじと一歩近寄ると、押し返すように睨み返し、しかしすぐに頭を下げて、
「ごめん、進に合コン企画させて」
「……はぁ?」
手を合わせて拝む彼女に、翼は珍獣を見るような目で返していた。
話の脈絡などあったものではない、唐突に言われた言葉を咀嚼しようにも喉に引っかかるといった表情である。中学生に合コンという言葉は馴染みがなく、言っている意味は解らずとも雰囲気から不誠実を働こうとしていることだけは伝わっていた。
「合コン!?」
「反応すんな、うっとおしい」
耳聡く首を突っ込もうとするまうみを斬って、翼は向き直る。
合コン、正式には合同コンパである。複数の男女が集まり食事などを通して新たな出会いを模索する、それくらい今の子供でも分かる。その目的からすでにパートナーのいる男女が参加することは好まれず、しかし紀美はわかっていてなお茨の道を進もうとしていた。
あきれた、とため息。これが教師の姿か。三年という月日、部活での付き合いとはいえ相応の時間積み上げてきた信頼が音をたてて一気に崩れるようだ。
「……紀美ちゃん先生、冗談だとしてもつまんない」
「冗談じゃないし」
「ならなおのことたちわるいんだけど。なに、人の彼氏とろうっての? 教師がそれって、やばくない?」
「いや、あいつなんかと付き合いたいわけないから。合コンしたいだけなの」
本音が漏れる、しかし好き合っている者の前で相手を下げる発言は無神経の極みであった。案の定、翼の眉間にしわがよる。
翼が不機嫌な理由はそれだけではなかった。紀美は進と中学生を共にしている、そして同い年。大人の価値観を持ち、翼の知らない一面を知る紀美の態度が、格別仲の良い間柄に見えて今にも地団駄を踏み鳴らしそうになっていた。進がこの場にいたならば小さな独占欲も猫可愛がりしたことだろう、あれはそういう男である。
「――で、おっさんはなんて言ってたの?」
翼が尋ねる。わざわざ自分に聞いてきたということは自ずと答えがわかっているようなものだが、一応の確認の意味を込めて。
「……断られた」
「その時点で諦めなよ……」
「諦められないのよ。来年逃したら一生独身かもしれないし、子供だって産むのもリスク出てくるし」
生々しい発言だがその分気持ちがこもっている。年齢は違えど同じ女性、全く気持ちがわからない訳でもなく、翼は腕を組む。
考える、眉間のしわが濃くなる。
考える、目を閉じる。
……仕方、ない。
翼の口から青く息が漏れる。目の前の女性の、血走った目を見るにここで断ったとしても付きまとわれて延々と同じ話しをされることだろう。
折れるしかなかった、これではどちらが大人かわかったものではない。
「――いいよ」
「ほんと!?」
「ただし」
翼はそこで口を閉じ、指を一本立てる。
何事もただでは道理が通らない、そういうことなのだ。
「ひとつ、おっさんを説得すること」
「大丈夫よ」
「……言っとくけど脅すような真似じゃなくて、ちゃんと説得してよね」
あまりに軽い返事だから翼は不安になって釘を刺す。寝物語で色々と聞いている彼女は、進が部活を手伝っている経緯くらい把握しているのだ、同じ手を使わせる訳にはいかなかった。
幾分か既に後悔し始めながらももうひとつ指を立てる。
「もうひとつ、当日彼女持ちなことを周知させること」
「当然ね」
「……」
「……え?」
「……いや、いい。なんか疲れた」
酷いなで肩になりながら吐き捨てるように翼は言う。そもそも彼女持ちに声をかけること自体が当然ではないのだ、説得力の欠けらもない。
それでも進を頼るということは、他に伝手がないということ。確かに紀美の周りの男性と言えば学校の、言い方は悪いがしなびた教職員と進、そして克樹である。条件は同じとはいえ、なんとなく克樹に合コンを企画させるのは違う気持ちも理解できていた。
これほどまでに頼りなかったか、と疑問に思いながら、ふと別の疑惑も思い浮かぶ。
「紀美ちゃん先生」
「何?」
「男はいいけど、女の参加者に伝手はあるの?」
「……」
「……」
「あ」
あ、じゃねえよ。思わず言いかけて翼は口を閉じた。




