第37話
コンクールの結果は中の上、華々しい結果とはならなかったがあの状況ならむしろ大健闘したほうだった。それよりも得がたい経験が少女達をひとつ大人へと成長させていた。
その後の打ち上げでは、今まで以上に輝く表情を女子は浮かべていた。今日までの数週間を取り戻すかのように和気あいあいと話し、時間めいっぱいまで笑う。誰も犯しがたい空間だった。
その間大人達はひたすらに食べていた。輪に入れず、ここに来て話すこともない。車の運転もあるため酒も飲めず、暇な時間は顎を動かすことで消費していた。
そんな時間も終わりをむかえ、あとは解散である。話し足りないものはこの後何処かに行くとして、進は一人都会の自宅へと車を走らせていた。
それから数日、いや数週間後のことである。
「ねぇ」
残暑もまだ厳しい八月の後半、進は自室のベッドで横になっていた。裸のまま、隣には一人の少女を抱いて。
一度犯してしまった罪は消せず、ならば二度目も同じだろうと誰に対してかわからない言い訳を抱えながら、ずるずると退廃的な関係が続いていた。といっても翼は学生、こうして会う機会も月に一度、今日だって本来ならば外デート、買いもしない客相手に愛嬌を振りまく店員の姿を眺めるに勤しむはずがあまりの暑さに外出を断念せざるを得ないと、意図しない形の自宅デートとなっていた。
「なんだ?」
「どうして学校に来ないの?」
少女からの質問に進は答えを導き出すことができなかった。
言っている意味が解らない。当然である、彼の中ではすでに終わったことなのだから。
今更中学生に混じって勉強という意味ではないことは重々承知の上で、野球でいうなら夏の甲子園にも匹敵する吹奏楽のコンクールも終わった。三年生である翼たちは高校受験に向けて勉強に心血を注がなけらばならない時期、部活などしている時間はないし、活動も終わっているはずだった。
「……部活、終わったよな?」
「終わってないけど?」
「……そうだっけ?」
「うん、定演までだし」
……あ。
そういえばそんなこともあったな、と思い出す。
コンクールが外向けのイベントなら定演、定期演奏会はうち向けのイベントである。重要度はさほど高くなく、披露する相手も保護者のみ。ちょうど一、二年生が出場する秋のアンサンブルコンクールが控えていることもあって半ば忘れられているイベントだった。
というか。
「やるんだ」
「まぁ、伝統だし」
四人しかいない部活、最大に集まっても観客は八人、いや翼は片親なので七人しか集まらない。出来ないことはないが、ずいぶん規模の小さい演奏会になることは間違いない。
そして、その練習まで進が顔を出す理由もなかった。
「定演、見に行くよ……みきすけが許すなら」
完全な部外者である進はそういうしかなかった。
しかし、それに翼はふくれっ面で返していた。やりとりに大きなミスもなく、理由のわからない進がどこで間違えたか探していると、
「おっさんも一緒にやらない?」
「え、駄目だろ。演者に回るのは」
問いに進は真面目な返答をする。
うち向けの小さなイベントとはいえ、聴衆は保護者なのだ。あの見知らぬ男性は誰かという話になり、翼との関係が露呈しかねない。ただでさえ田舎の伝言ゲームの速さを実感したばかり、自分から虎口に飛び込むような真似は出来なかった。
そこまで言えば納得するだろうと考えていたのだが、それはもろく崩れ去ることとなる。
「OBだし、いけんじゃん?」
「そういうもん?」
「四人しかいないところを手助けに来ましたって。そんなおかしい話?」
問い詰められるといけそうに思えてしまう、意志の弱さがまだあった。
進の知る限りではOBが参加したなどという前例はない。しかしそれからずいぶんと月日が経っているのだ、知らないところで前例が出来ていてもおかしくないし、何より美談にも受け取れる話である。進は頷きかけて、
「……いや、えっと――」
「紀美ちゃん先生がいいって言ったら来るよね」
「……はい」
結局なんだかんだ押しに弱いのだ、なし崩し的に頷く未来しか用意されていなかった。
「お前もさぁ、許可出すなよ」
後日、電話にでた進が事情を聴いて文句を口にしていた。
なんと、なんら苦もなく翼との交渉は可決、こうなっては断ることも難しくなっていた。
『何、文句ある?』
「……ないっす」
『あ、克樹も呼んだから。一人より二人のほうが見栄えいいしね』
最低な理由だが進が参加するなら克樹も参加出来て当然である。条件は同じなのだ、省く理由もない。
しかしこのままではやられっぱなしである、そのことがどうしてもむしゃくしゃして進は唇を尖らせ、
「……ならお前も参加しろよ」
『え、なんで? ていうか指揮者なんだけど』
「一曲くらい平気だろ。それに指揮者がいなくてもペットがコンマス(コンサートマスター)すればいいだけだし」
『えぇ……』
電話越しに聞こえるのはためらいの声。おそらくもうずいぶん楽器を吹いておらず、ちゃんとできるかが気がかりなのだろうという推測は確信に近い。
甘えだいう権利が進にはあった。春先、二十年越しに楽器を触らされたのだ、人にやらせておいて自分はやらないでは大人として品格を疑われる。
引きずり下ろすための醜い策略は、
『……わかったわ。やってやろうじゃない』
功を奏し、これには進も軽く笑みを作る。
これで七人、まだまだ小規模と言わざるを得ないが、それでも倍近い人数である。多少なりとも見栄えが良くなったけれど、人間策がうまくハマれば欲をかくというもの。
「……真喜は、どうする?」
それはもう一人の同級生、わざわざかさぶたに触れるような行いであるが、ここで蚊帳の外にするのもバツが悪いと進は言う。
ただの保身でもあった。言わずに後で文句を言われるなら協議の末見送ったほうがいい。進一人の意見ではなく、皆の総意となれば真喜子も納得するだろうと。
当然棄却されるものと考えていた。元旦那と中学生の前でセッションするなんて噴飯もの、恥の上塗りだ。本来考慮すらせずともいい事へ、紀美は予想外の答えを口にする。
『うーん、聞いてみる』
「え、なんで?」
『は? なんでって、あんたが言ったんでしょ』
言われ、進はそうだけどもと口ごもる。
真に受けた場合のマニュアルを用意しておらず、むしろ紀美の正気を疑っていた。相手の気持ちを慮る精神を忘れたのかとすら進は考えていたが、それは流石に人のことを言えない。
ただ、やってくれると言うなら任せて悪いこともないと、
「……んじゃよろしく」
『はいよ』
軽く決まってしまった。
そして少しの沈黙の後、
『……相談したいというかお願いがあるんだけど』
改まって言う紀美に久しぶりの嫌な予感センサーが立つ。全身の産毛が逆立つとまではいかないまでも、まるで借金の連帯保証人にでもなったかのような、取り返しのつかない不安が喉を乾かしていた。
「やだ」
まるで子供のように進は拒否する。最近芽生えたやさしさなど付け焼き刃でしかなく、その数少ない労力も割く相手を選ばないとすぐに枯渇する。ねじ曲がった性根はなかなか直らないからこそその人を人たらしめるということなのだろう。
電話の向こうではどんな顔をしているのだろうか、進は知る由もないが、はっきりと落胆したため息が一つ漏れ出ると、
『合コンしない?』
「しない」
『なんでよ』
「むしろなんでだよ。あれは恋人探ししたい男女が集まってやることだろ、俺には関係ないし、むしろ不都合なんだが」
こればかりは進が全面的に正しく、紀美の話題が悪かった。わかっていやっているなら相当たちが悪く、しかし引くに引けない理由があるならばさもありなんと言える。
つまりは事情があるのだ、大事なこととも言い換えられる。
『人の教え子に手を出したこと悪いと思ってないの?』
「思っていたとしても謝る先にお前はいねえ」
『……お願いします』
ことさら殊勝な態度で紀美が言う。冗談で済ますならこんな態度をとることはないことぐらいわかる付き合いであるから、進もそれ以上強く言うことはなかった。
だから気になって、
「――で、なんでいきなり合コンなんだよ」
『私達もういい年じゃない? これでも人並みに結婚欲はあるわけでして、少なくとも一年は非常勤で時間があるから今しかチャンスがないのよ』
恥も外聞もかき捨てて漏れ出た本音。来年には四十に近くなるとなれば結婚し子供を産むにもリスクを考えるようになる。常勤となればまた忙しい日々を送るため、本人の言う通りチャンスは来年までなのだろう。
原因は他にもあった。部活の同級生のうち二人は離婚したとはいえ一度結婚し子供もいる。同じく独り身だった進もなんの因果かうら若い彼女を得ていた。一人取り残された紀美の焦燥感たるや、筆舌に尽くし難いものがあった。




