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第36話

「らしくないぞ」

「勝手ばっか言って。あんた、昔から変わらないのね」

「性格だからな」

「子供っぽいって言うの。ちょっとは成長しなさい」

 怒られる、それはちょっと理不尽だろうと進は憤慨する。

 無理を言っているつもりはなかった。これからどうしようもない現実を突き付けられる前に一つでも障害はないほうがいい。そんなささやかな願いだった。

 手助けする、先を生きる者ならして当然のこと。それだけのことを悩み、手をこまねく紀美は伏し目で表情に影を落としてから、

「あ」

 進が聞きたくない声、見たくない表情で顔を上げる。

 ……ヤな予感。

「ねえ――」

「嫌だ」

「却下」

「……まじかぁ」

 こういう時の押しの弱さに、進は自己嫌悪していた。




「何話してたの?」

 時間は少し過ぎて。

 生徒四人は舞台袖に集まっていた。前のプログラムは始まったばかり、今振っている指揮棒が止まればライトが煌煌と照らす舞台に上がらなければならない。

「いや……あんまりよくないことだと思う」

「なにそれ」

「わかんないから怖いんだよ」

 いささかも緊張した様子のない翼が話しかける。

 豪胆なのか、それとも現実が見えているのか。どちらにせよ頼もしいことには違いない。

 本来部外者である進もそこにいた。なぜかは本人も知らず、紀美に引っ張られる形で連れられていた。

 ……どうしろと。

 信じて送りだすことしかできない立場なのに、場違いすぎて恥ずかしさすら覚えてしまう。結局何をするか教えてもらえないままなところも恐怖の一因だった。

 周囲の目を気にしていると、元凶である紀美が遅れてやってくる。円を描くように集まる生徒、進はそれを二歩離れたところから眺めていた。

「……よし。皆、準備はいい?」

 晴れ舞台、気合いの入れようが違う。流石にこの場所で不和の様子は見せなかった。

「この一年色々あったけど、皆がいちばん頑張ってた。その成果を見せてね」

「はい」

 四人が口を揃えて返事をする。いかにもな青春の一ページに、同じょうなことをした記憶が蘇る。

 ……したよな?

 したはずである。しかし、進は自信なく頭を搔くしか出来なかった。

 と、そこで紀美の目線に気付く。いやいやまさかと周囲を見ても何も無い。標的は自分だと進は項垂れる。

「さ、一言頂戴」

「マジで言ってる?」

「マジに決まってるでしょ。手伝ってくれるって言ったじゃない」

 言った、確かに言ったがそれは自分を除いたもっとふさわしい人物という意味だ。例えば克樹とか。人選間違ってるぞと目で訴えても取り合う素振りすら見せない。

 急に振られ、なんの言葉も用意していなかった進は、時間を稼ぐようにあー、とつぶやき、

「……後悔はする」

「最初からネガティブなこと言うんじゃないっての」

「仕方ないだろ、つうか最後まで聞け。いいか、どんだけ頑張ってもあーすれば良かったとかもっと出来たとか、絶対思うんだ。それはそれでいい、問題は自分の後悔を人のせいにすんな。そもそも三年間続けてるだけで相当頑張ってるんだ、体調の悪い日もあった、気分が乗らない日もあった、それでもこうやって皆でやってこれたんだ。誇ればいい、他人からケチつけられるいわれはないよ」

 中学校の部活動は義務だった。報酬もなく、手に職をつけるための訓練でもない。将来役に立つかどうかも怪しいことに青春時代の何割かを持っていかれる。遊び盛りには酷なことだった。

 大人になって同じことが出来る人がどれだけいるだろうか、そう考えれば強制とはいえ三年間続けることは素晴らしい。

「まうみちゃん」

「はい」

「君は十分部長としてふさわしい働きをしていたよ。その中でどうしても抱え込まなきゃならないこともあっただろうけど、そういうことを相談するために副部長がいるんだ。悩むのは存分すればいいけど、その時どこを向いているかは忘れないで。一人後ろを向いて進んでいたらほかの三人は路頭に迷うから」

「……はい」

 進はいい終え、軽く一息つく。これでどうでしょうかと紀美を見れば顎で雪緒の方を指していた。

 ……えぇ。

 説教臭い大人とは、進の嫌うところ。見れば雪緒も期待を込めた瞳で進を見つめているのだから腹を括るしかなかった。

「……えー、雪緒ちゃん」

「はい」

「副部長として、いつもお疲れ様です。君のいいところは人を注意できること、それはどこまでも気にかけてあげる優しさです。普通他人にそこまで関心がもてないからそこは誇っていい。でもそれは一歩間違えれば押し付けにもなる、期待の表れなのはわかるけど相手のことを理解することも必要だよ。特に親しい仲ならね」

「……はい」

「人を成長させるのはほんと難しい。一方的な願望じゃ叶わないしすんごい時間もかかる。相手の歩幅を見てあげるてね」

「わかりました」

 柄にもないことをしていると、顔が熱を帯びる。恥ずかしい、そんな大それた人間ではなく、むしろ恥多い人生を歩んできたほうが何様のつもりなのだと滑稽だった。

 唇を真一文字に閉じ、トランペットを胸に抱く雪緒は目に見えて雰囲気が変わっていた。背中から炎が吹き出す程のやる気に満ちた目がやり過ぎだったかと進を後悔させる。良くも悪くも感化されやすい年頃なのだ、これでどう転んでも今後の人生に責任なんて取れないのだから、逃げ出したくもなる。

 問題の二人は終わった。じゃあもういいよねと紀美を見る前に、視界に入ったのはさくらの輝かんばかりの顔だった。……やらねばならぬのか、と半分泣きそうになりながら進は口を開く。

「さくらちゃんは最初影の薄い子だと思ってた。なんていうか普通なんだよ、でもそれって悪いことじゃないって最近気付いてさ、割とアクの強い人達が多いからその中で皆が振り返る人になれるんだから。ただ人を傷つける、人に傷つけられる覚悟は必要だと思う。これからそういう場面で普通にしていると、どこかで取り返しのつかないことが起きるんだ。人に優しくも大事だけど自分にも優しくね」

「……わかりました」

 進の言葉を噛み砕くようにさくらは頷く。

 ……うーん。

 消化不良、進の顔が物語る。問題を抱えている二人や親交が深い翼に比べ、あまりに接点がなく、かといって先日の件を口には出せない。結局当たり障りのない内容を口にしていた。

 どうかな、と見れば感触としては悪くない。そのまま保護者面している紀美を見てもうんうんと表情も柔らかいことから及第点は貰えたようで、ほっと胸を撫で下ろしていた。

「で、私は?」

 最後となった翼が聞いていた。

 一番接点が多く恥ずかしいところも見せた相手だ、言うべきことはただ一つ。

「ありがとう、君のおかげで前を見れた」

「いや、そうじゃないでしょ」

「うるせえ、人に押し付けといて、黙ってろ」

 紀美の横槍に辛辣で返す。

 進にとって翼の長所は魅力、短所は個性に置き換わっているのだから下げる言葉は出てこない。一人ベクトルの違う言葉を受けて、それはそれで満足気な表情を翼は浮かべていた。

 ふと、外から聞こえていた音が止む。直後まばらな拍手が聞こえていた。

 まだほんの少しだけ時間がある、進はまうみへと視線を向けていた。

「部長、一言」

 進からバトンを渡されて、彼女はこくりと小さくうなずく。

 そして、

「……皆、この後大事な話があるの。でもその前に目いっぱい楽しんじゃお」

 掛け声に合わせて生徒は舞台へと向かう。その背中はしゃんと伸びて力強さに溢れていた。

「あんたもいいこと言えるようになったじゃない」

「茶化すなよ。ほら、待ってるぞ」

 一人遅れて向かう紀美は小さく手を振って戦場へと赴く。結果はどうであれ、もう何も心配することはないのだと、皆つかえが取れたように己が出来る全てをさらけ出していた。


 そして、夏が終わった。

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