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第35話

 泊まりを予定していなかった少女たちは変えの下着すらなく、進のトランクスとTシャツを羽織ってベッドの中にいた。

 中央に翼、それを挟んで川の字になる。確かにこれなら変なことは出来ないと、内心どう思っているかは置いておくとして就寝となった。

 問題ないはずだった。しかし忘れていたのだ、恐ろしく寝相が悪い人物がいることを、それも二人。

 陽が出始めた頃、さくらは目を覚ます。

 身体が異様に暑く、そして息苦しい。自室ではありえないことに数秒考えて、外泊していることを思い出す。

 それがなぜ息苦しさと繋がるのか、答えはすぐそこにあった。

 横目で上を見れば最近よく会う男性の顔、目の前には寝る前に見たパジャマの柄である。

 ……うわっ。

 自分と進の体勢を鑑みて導き出された答えは一つ、抱きつかれていることに気付いてさくらは熱く息を吐く。

 おかしい、そんなはずはないと考える。間には確かにもう一人いたはずなのだ、それがどこかに消えたなんて――。

 ぎゅう……。

 背中から感じる圧力があった。なるほどそういう事か、寝ている間に翼が背中側に回ってサンドイッチされているんだ……なんで?

 疑問に思っても実際そうなっているのだから論ずる必要はない。それより今はこの環境から脱することがさくらにとって急務だった。既に額は汗が浮かび、胸元から立ち上る熱気が気持ち悪い。このままでは茹でダコよろしく真っ赤になること間違いない。

 しかしそれは容易でなかった。前後に隙間がないため腕は動かせず、足は六本理解できないほどの絡まりを見せている。必死の抵抗でもがいてみせてもどれだけ深く眠っているのか、起きる様子はなかった。

「んんー!」

 力を込めたせいで余計に暑くなる。このままでは倒れてしまうと思い始めた時だった。

 ゴスッ。

「ぐうぅ!?」

 蹴られた。

 腰に鈍い痛み、同時にさくらの背中を風が通る。押しのけるために膝で小突くとは器用な真似をするが、やられた方は悶える程度に威力があった。

 この野郎と後方に気がとられていた時、頬を殴られるような衝撃に視界が暗転する。

 脈絡のない突然のこと、その原因は大きな手による張り手であるとわかったのはすぐのことだった。

 腰に顔にと、導火線に火が付いた爆弾を押し付けるようにお互い距離を離そうと手や足が出る。間にいるさくらにとってはただの迷惑行為にすぎなかった。

 はたしてそこまでされる謂れはあるのか、そう考えると虚しくなって悲しくなって、ぽろぽろと涙があふれてくる。

 ただ寝ていただけなのに。あまりにもむごい仕打ちだと。

「ひっく……うぅ……」

 嗚咽が部屋にこだましても加害者たちに起きる様子は微塵もない。理不尽な目にあいながらさくらは枕を涙で濡らしていた。


「――で、泣いてた訳と」

 起床する時間になって、すすり泣く音を目覚ましに起きたふたりが事情を聞くと、そんな答えが返ってくる。

 知らなかったのだ、お互い寝相がそれほどまでに悪いということを。いや知っていた、起きる度布団は現代アートの形に変形し、まともに枕を使えた試しがない。それでも不思議とベッドから落ちたことはなく、言うほどと甘く見ていたのだ。

 もはや弁明の余地はなく、

「なんていうか……すまん」

 ただ謝り倒す以外の方法はなく、進は誠心誠意頭を下げていた。

 既にさくらの涙は枯れ果て、赤い目だけが痕として残っている、彼女は唇を尖らせながらもベッドの上に足を崩して座っていた。

「もう……いいです」

「あ、ラッキー」

「やっぱ恨む。痛かったんだもん」

 翼が余計なことを言ったばかりにさくらは拗ねてしまう。勘弁してくれと、進は頭を抱えていた。






 まばらな拍手が会場を包み、壇上にいた数十人の中学生が舞台袖へと移動する。

 あれからしばらく経過し、七月の最終週の土曜日になっていた。いつものように部活、ではなく今日はその集大成、県内の中学校からコンクールを目的に人が集まっていた。

 会場は県庁所在地の市にある大きなホール、二十年前から場所は変わっていない。少子化が進んでいるとはいえ県内の中学校を集めるのだかそのくらいのキャパシティが必要だった。

 進の後輩達はまだ出番が先、他校の演奏を聴きながら三度目となるこのコンクールに意気込みを燃やしていた。

 ……いや。

 次の出場校が舞台上で準備をしている中、進は横を見る。ここ数か月にもなる付き合いの女子生徒たちの表情は……とても集中しているとはいいがたかった。

 表立って何があるわけではない。しかし感じてしまうのだ、シャツのボタンを掛け違えたまま着ているような、そんな気持ち悪さを。

 原因に思い当たる節はある。というかまだ解決していなかったのかと呆れるほど。比較的冷静でいるのは翼、次点でさくら、あとの二人が口も開かず目も合わせない。

 演奏にさほど支障はないとはいえ、このままでは禍根を残す。進はため息をついてゆっくりと立ち上がった。

「みきすけ」

「ちょっと、その呼び方止めてよ」

「……紀美、すこし」

 外を指さす。それだけで意図が伝わるのだから便利なものだ。


「転校? 知ってるわよ」

 紀美は腕を組みながら頷く。

 人目を避けるようにやってきたのは駐車場の木陰である。照りつける太陽の下、冷房の効いたホールから出るとすぐに汗ばんでしまう。

「ならどうにかしろよ」

「どうにかって何よ。私、担任じゃないし」

「顧問だろ」

「あんたね、教師のことなんもわかってないのはわかるけど、そういうことは担任か生活指導がやるの。私がやっちゃだめなのよ、部活に出てない訳でもないし、言い争う様子もない、どうやって口出ししろっての」

 紀美は頭を押さえながら言う。冷淡なのではなく、手が届くところにいないのだから理解しろと。

 賢い大人の考えを進は否定する。

「どうにかしてやれよ。大人だろ?」

「ならあんたがどうにかしなさいよ」

「……出来るならしてるって。でもよ、最近の若い子が考えてることなんかわかんねえっての」

「私だってわかんないわよ」

 話は平行線を辿り交わる様子をみせない。無意味な時間だけが延々と引き伸ばされていた。

 考える、考えろ。まうみは親の都合で転校する、それを伝えたくない。しかし皆には既に知れ渡っていて、雪緒が告げることを止めていた。

 ……何故?

 いつもそこで立ち止まる。その先が見えず、答えが手繰り寄せられない。

 どちらも一言言うだけで終わる話だった。つまりこんなことで足踏みをしていることが他人からしてみれば馬鹿らしい。なのに……。

「なあ、なんで雪緒ちゃんは言わないんだ?」

 一番分からないところを進は口にする。友達、それも決して浅くない関係なら言い淀むまうみの気持ちを汲むことくらいしてもいいはずなのだ。

 それを聞いた紀美の目は笑っていなかった。

「うーん、ちょっとわかる気がする」

「マジで?」

「マジマジ……っていってもそんな自信はないんだけど。大人になって欲しいんじゃないかなって」

「あぁ……あぁ?」

 頷きかけて聞き直す。

 意味がわからなかった。大人になることと引越しに相関関係は見られず、ただ戸惑いだけが残る。馬鹿にされていると一考しても紀美の雰囲気がそれを否定していた。

「どういうこと?」

「そっか。あんたにゃわからんか」

 訂正、ある程度は馬鹿にされているようだ。

 紀美はそのまま腕を組んで、

「高校行く時怖くなかった? 部活の知り合いいなかったでしょ?」

「怖く……いや、全然」

「どうしよう、このまま話していても時間の無駄な気がしてきた」

 暖簾に腕押し、紀美の言葉は進には響かず、そのせいで会話する気力も削がれていた。

 進とて強がりで言っているわけじゃない、部活以外にも知り合いはいて当然で、高校のクラスメイトにも何人か話したことのある人はいた。在学中に新しく広がった交友関係もあり、いやそもそも独りで生きていくことすら苦に思わない性格なのだ、高校進学程度で気弱になる感性を持ち合わせていなかった。

 だからまうみの気持ちがわからないし、そのままではいけないと暗に諭す雪緒の気持ちにも気付けない。

 そしてそこまで理解してなお、手を貸さない紀美が信じられなかった。

「なんで手、貸してやらないん?」

「だから――」

「そうじゃないじゃん。自分が話しかけなくても人にやってもらうとかあるだろ?」

 進が当たり前のように言うことを、紀美はゆっくり頷き、

「二人の問題だから」

「二人の問題で済んでないから言ってんじゃん」

 被害は大きい。精神的にさくらは参っているし、翼も苛立ちを表に出している。悪い精神状態は部活動にも身が入らず、順調に伸びていた成長曲線はここに至って鈍化していた。

 とはいえ、それも誤差。県大会から地区大会へ行くためには上位三校に入らなければならず、ほぼ順位は決まっているようなものだった。八百長などという生易しいものは存在しておらず、有力校にはそれ相応のノウハウや予算、切磋琢磨する生徒が多いという、勝つべくして勝つ構図が出来ているのだ。

 だからと言ってないがしろにしていいわけじゃない。その努力を怠る紀美がどうしても信じられないと進が感じるのも無理はないことだった。

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