第33話
「うわぁ……」
今日何度目かわからない声を上げた進の目の前には、地獄絵図すら生ぬるい光景が広がっていた。
いやむしろ一種の天国か、そう感じるのも無理がない。床に転がる数本のアルミ缶が黒魔術の魔法陣を描いており、その中央には二人の少女が下着姿で重なっていた。
一瞬違う世界に来てしまったような、または知らずのうちに非合法の薬物でもキメたせいで心の底に眠る願望が幻想として現れたのか、それくらい現実味のないことが繰り広げられていた。
経緯がわからずただ立ち尽くす彼の来訪に気付いたのは翼だった。床の硬さに辟易とした表情を浮かべる彼女はあくびを一つ、目じりに涙を湛えて進を見る。
「ふあぁ……あ、おはよ」
「お、おう……おはよう」
翼は背を伸ばすように両腕を天に向けから瞼をこする。もう一人の少女、さくらはまだ起きる気配がなく、自分の腕を枕にして夢の中を漂っていた。
いったい何があったのか、それを聞けないまま目を何度も閉じ開く進に翼が立ち上がる。起伏の少ない身体を覆う下着は色気よりも実用性を重視したようなシンプルなデザインで、床に転がるさくらの、おおよそ中学生らしからぬ煽情的なデザインとは対比的だった。
翼は覚束ない足取りで二歩、三歩、そのまま倒れてしまいそうなほどの危うさを見せながら進へと近づく。まるで出来の悪いゾンビ映画を見ているような、緊張感に欠ける演出を見せられて硬直する進の胸もとへと飛びつくと、そのまま木登りの要領で這い上がる。
「ねえ……えっちするよ」
酒精の匂いが首筋をくすぐり、耳元でささやかれた言葉に進の背筋は震えていた。足は絡めとられ全身をまさぐられる、柔らかな舌が首筋を這いずり軽く耳を噛まれる。
童貞には少々きつすぎる刺激に進の頭の中は一面真っ白の雪化粧になっていた。我慢できない、いやする必要なんてあるのかと坂を転げ落ちるように流されていく。
――いや、いかん。
すんでのところで思いとどまれたのは視界の端にさくらを見たからだった。もし起きでもしたらどうなるか、最悪まで想像すれば身体の芯の熱も冷めるというもの、一時の過ちを犯すほど若くないのだと言い聞かせて翼の剥き出しの肩を掴む。
「あの――」
「聞かないから。脱げ」
男らしい発言は有言実行、シャツのボタンを一つ一つ外されていく。
半分ほど進み胸もとが大きく開かれる。その手を止めようとすると逆に掴まれていた。
「駄目」
「いやそっちが駄目だって、約束しただろ?」
「してない。結婚とか色々勝手に決まって、そうじゃないじゃん、もっと繋がりたいんだ」
そして口付け、貪り溶け合うようなキスは導火線に火をつけた。
やられ、やり返す。お互い引き寄せながらしばらく前戯を続け、一度顔を引く。
口元から線が伝い、途切れる。
「聞き分けのない悪い子だな」
「うん、だからお仕置きしてよ」
そんな誘い文句をどこで覚えたのか、進には効果てきめんで、少女を抱きかかえながら寝室へと消えていった。
気持ち悪い、と呟きながら起きた者がいた。
頭を抱えるようにして身体を起こす。冷房でよく冷えた身体は筋肉がこわばり、しかしそれ以上に頭が痛い。視界は回り、胸の奥から込み上げてくる不快感が寝ていることを許さなかった。
視線を下げれば肌色が多く、あぁだから寒いのかと納得する。肌の表面は乾いた汗がベタつき不快、早く洗い流したいと立ち上がる。
お風呂、どこ……?
大事なことを見落としながら彼女は部屋を眺めていた。知っているけれど知らない部屋に戸惑い、手近にあった扉へ指をかける。
そこは闇夜のようにくらい部屋だった。ぼんやりとかすかに形がわかるような、輪郭がぼやけて曖昧な世界、ふわふわと浮く雲で作られた物が並んでいる、そんな感覚を覚えていた。
そして見つけてしまった。
暗闇に慣れた目が中央に陣取る家具をしっかりと目に収める。あれは間違いなくベッドであると。
素足が床を離れる度、吸い付くような音を立てる。汗に塗れた身体をどうにかするよりも、冷えきった身体を暖めるほうが先と、衝動が身体を突き動かす。
よく見えないままベッドの縁に立つと、手探りで掛布団の端を掴む。そのまま身体を潜り込ませれば手に柔らかくて硬いものが触れていた。
……暖かい。
身体全部を覆うような大きさである。ところどころ硬い骨が邪魔くさく、滲んだ汗がやや臭うがまさに人肌と言っていいほどに熱を帯びている。もっと欲しがって抱きつけば「んひっ」と冷たさに身震え、それもすぐに慣れたのか穏やかな呼吸に合わせて動く懐炉へ戻っていた。
身体が暖まれば不思議と吐き気も治まり、柔らかなベッドの中でいつしか寝息を立てていた。
数時間経って、そこには色々と反省に頭を抱える進の姿があった。
「ひぐっ!」
「いっ……たぁ!」
さくら、翼の頭上に拳が振り下ろされ、ふたりはそれぞれ悲鳴をあげる。
ベッドの上、布団にくるまったふたりは裸に近く、ひとり先に起きた進は下着姿である。
涙目を浮かべるふたりを生み出した原因は進の拳であり、その理由は、
「とりあえず、飲酒についてはこれで許す。この件に関してだけはお前らが悪いからな」
法律を犯している、それだけでなく自分の身まで傷つけたのだ、進が怒るのも当然である。
だがそれよりも気になることがあった。
「――で、一体全体なにがどうなってこうなったんだ? まるで意味わからんぞ?」
飲酒の経緯、裸でくんずほぐれついた理由、なにひとつ理解できない。むしろあてずっぽうでもいいから当てられたら超能力者としてやっていけることだろう。
進の疑問に、ふたりは顔を合わせる。合わせたのはいいが明確に答えは出てこず、いやいやそれでは困ると進も眉をひそめていた。
「……とりあえず、シャワー浴びてもいい? このままだと風邪引くから」
「はぁ……わかった。まずは身綺麗にするか」
話が進展をみせない以上仕方ないと、進は深くため息をついていた。
人生往々にして波乱ありと言うが、まさかこの身に降りかかるとは。そんなことを考えながらさくらは湯船に浸かっていた。
隣ではシャワーを浴びる翼の姿が確認出来る。水飛沫が顔にかかり、嫌そうな顔をしても気付いていないようだ。
脳停止で答えを出すのならば天罰だろうか。未成年が流されるままラブホテルへと行こうとした、考え足らずの向こう見ずの末路は飲酒、そして同級生との裸の付き合いである。まるで途中から別の映画を見させられているかのような急展開に鑑賞者からは顰蹙を買うこと間違いない。
浴槽で体育座りをしながらさくらは物思いにふける。お互い訳が分からなくなってお酒に逃げたと言えば何となく大人感が出るが、あんな苦くて炭酸のきつい飲み物を飲んだところで何がうさ晴れるわけでもない。それどころか時間が経てば頭は痛くなるし吐き気が込み上げるしでストレスを積み重ねるだけ、最悪の飲酒体験となっていた。
そこまではまだいいと思えた、問題は朧気ながら覚えている痴態だ。
記憶の片隅で未経験の翼を散々煽った挙句、ならどんな形か実演してみろと煽り返されていた。冷静に考えれば馬鹿なことを言われてると一蹴するところなのだが、アルコールが脳細胞をミキサーで粉砕していた頭では売り言葉に買い言葉、やってやろうじゃねえかよと脱いだのが間違いだった。
どこまでも間違いだらけなのだが、そもそも一歩人より先にいっているだけで経験はそれほど多くない。特別知識があるわけでもなく手解きをうけるなんてもってのほか、根っからの性分と性に興味があると思われたくない感情のせいでいつも受け身でいるのだから人に教えるなんて出来はしなかった。結局拙い手遊びを繰り返すこと三十分、それでも酔いの回ったテンションは恐ろしく、ふたりしてぎこちなくも甘い快楽に身を任せ、果て疲れて眠ってしまったのだった。
さくらに同性愛の気はない。二眠りした頭で思い返してみてもどちらかといえば不潔、不快感が勝っていた。つまりはそこまで人格を歪めてしまうもの、恐ろしさのあまりもう二度とお酒を飲むことはないだろうと心に決めていた。
「……なにしてんの?」
シャワーの水を止めた翼が言う。顔の半分まで浸かったさくらを訝しげに見ていた。
「……やっちゃったなぁって」
「ん? なんかやってた?」
「やっちゃったもん。というか現在進行形でやっちゃってる感じ」
愚痴れども伝わらず、翼は首を傾げながら足を上げていた。
風呂だから必然的に裸である、諸々見えてさくらは顔を背けていた。
「な、なにしてんの?」
「何って私も湯船に入りたいんだけど。ていうかまじまじ見ないでよ、マナーでしょ」
これは流石に翼が正しく、さくらは端に身を寄せていた。




