第32話
場所を変えて、カラオケ店。話の内容から進は個室を選んでいた。
適当に飲み物を頼んで席に着く。当然マイクは握らず、いまだショックに口を閉じている少年の動きを待っていた。
五分が経過する。スマホには翼から安全な場所まで避難したことの通知が来ていた。
……長いな。
気持ちはわかるが再起動まで時間がかかりすぎである。思えば縁もゆかりもない相手、そこまで親身になる必要もないのではと進が考え始めていた。
いやいや、ちゃんとした大人としての振る舞いをしようと誓ったばかりではないか。それでも埒が明かないのは事実であり、じれったくもなって進は口を開く。
「あの子とは、付き合いが長いのか?」
「……」
答えない。無視である。
初対面、お互い名前も知らず年齢差だってある。黙ってしまうのも無理はないが、ビシッと覚悟を決めるべき場面であった。
「あのな、このままだと学校を通じて親御さんに話さなきゃならなくなる。それでもいいならそうしててくれ」
親という言葉を聞いて少年は明らかな反応を見せていた。当然だ、中学生の不純異性交友を快く受け入れる親などいるはずもない、秘密の関係がバレるというのは恥ずかしさと恐怖しかないことだろう。
同性だから気持ちは痛いほどわかる、ましてや中学生、性に興味のある年頃だ。だからどうにか軟着陸させてやりたい気持ちが進にはあった。
そのためには少年の協力が必要不可欠である。
少し喉を湿らせてから進は安物のソファーに身体を預けていた。
「内緒にしておくことは出来るぞ、でもこうやって一回バレたんだ、きっと二回目もある、そうしたらまたそうやってだんまり決めるのか?」
「……」
「なんて言っていいのかわからないんだろ、そこが子供なんだよ」
「じゃあどうすればいいって言うんだよ!」
逆ギレ、悲痛な叫びとでもいえばいいのだろうか。いやそんなことは無い、本当はわかっていて、なお今の安寧を忘れたくないだけなのだ。
よくあることである、そう誰にだって。
「我慢しろ」
「……でも」
「デモもストもない。相手は人形じゃないんだ、知識も足りてない金もない、せめて自分で稼げるようになってからそういうことはするんだ」
遊びじゃ済まないんだと進は言う。いつもの彼らしからぬ、真っ当な大人の意見だった。
なぜなら。
「すまんな、こんなことしか言えなくて。童貞だからさ、わかんねんだよセンパイ」
「え……あ、はい」
「今軽く引いたな? 仕方ないだろ、縁がなかったんだもん」
中年男性が語尾にもんとかつける様子は酷く気持ち悪いものがあった。人付き合いが苦手だから場を和ませようとしたつもりなのだろうが、効果的というよりただ滑稽である。
威張る程のことではないカミングアウトはやはり恥ずかしいものがあり、進は軽く後悔しながらグラスに口をつける。
「ま、慎重にな。焦ってもいいことないから、あとは二人でよく相談して決めろよ」
「それって――」
「許したとかじゃなくて、そもそも許すとか言う話でもないし。所詮は外様の戯言、やるならやるで場所とか時間考えてあんまり人様に顔向けできないことは控えておけ、な?」
人間痛い目を見れば反省するもの、無闇矢鱈と締め付けるのではなく自省を促す、このくらいの年齢ならそちらの方がいいと思っていた。
やけっぱちになったら負けそうだからである。逆ギレからの暴力沙汰になったらやり返せるのか、そんなところに目がいくあたり進は根っからの小心者だった。
「……ありがとうございます」
「あー、ところで何歳なん?」
中学生だろうとは思っていた。さくらが中学生なのだからという根拠にもならない理屈で。もしかしたらひとつふたつは年下かな、そんな軽い気持ちである。
「……十六です」
「お、おう……」
それがまさかの高校生、童顔低身長とは得なのか損なのか、何となく苦労が偲ばれて、進はもう少し優しくすればよかったかなと反省していた。
ところ変わり。
翼がさくらを連れて来たのはマンションの一室だった。ものの見事に何も無い部屋は愛する彼氏の家である。
なにゆえそこを選んだのかと言えば、茫然自失しているさくらがどういう行動に出るかわからなかったから。後は都会のどこに安息できる場所があるか知らないというのもある。
何かと立ち寄っている部屋はもう勝手知ったる他人の家、手を引いてきたさくらをリビングのテーブルに座らせて、翼は冷蔵庫からお茶を用意する。
指先が冷たくこごえるほどに冷えたベットボトルからコップへと、二つ用意して翼はさくらの向かいに座っていた。
「……あのさ」
何となくの前置き、続く言葉を吟味していた時だった。
「――なんで邪魔したの?」
「邪魔って何? 普通止めるでしょ」
中学生がラブホテル、ませているにしても程度がある。良識があるならば止めるだろう、警察でも呼ばれてしまえば方々に迷惑がかかる、大事な時期にアホなことをして出場停止などよく聞く話だった。
しかしさくらはそれが面白くないようで、親の仇のように翼を睨んでいた。
「自分のことは棚に上げて、おかしいじゃん」
「あげてない。あげてないって言ったじゃん」
「嘘だ!」
激昂、そして叫ぶ。
これには翼とて温厚に対処しようという気持ちが失せていた。決めつけられたこともそう、それよりどれだけ誘惑しても手を出されない惨めさが勝っていた。
「男の人が我慢出来るわけないもん」
「さくら、それ以上言ったらキレるよ」
こめかみに青筋を立てながら翼は目を細める。その拳は強く握られ、今にも衝動が爆発しそうである。
テーブルの上に置かれたそれを見逃すはずもなく、冷えた目でさくらは言う。
「また殴るの?」
「殴らないし」
殴ってはいない、叩いただけ。そんな言葉遊びではなく、本当に翼は握り拳を解いていた。
ゆっくりとテーブルに手のひらを押し付け、そのまま腰を持ち上げる。据わった目をしたさくらを横目に向かった先は冷蔵庫だった。
そこで何を取り出すかと言えば、銀色に光るラベルが眩しい発酵飲料。キンキンに冷えたそれは湯気を立ち上がらせ、ふたつ、両手に持って、
「飲め」
短く脅す。
どんっと置かれたアルミ缶は当然の事ながら中身は少しも減っていない。さくらは膝の上に手を置いたまま珍獣を見るように凝視してから翼へと視線を移していた。
「……駄目だよ」
「もっと悪いことしてた奴が今更カマトトぶんな」
目には炎を宿し、翼はプルタブを開ける。カシュッっと小気味いい音を無視して、一気に呷る。
ごくっ。
それはもう飲むというより流し込む、車にガソリンを入れるような速さで喉を鳴らすと、がんっと乱暴にテーブルへ缶を置いた。
「飲めよ」
「いや……」
「私の酒が飲めないの?」
早くも酔いが回ったか、意味不明なことを口走る。少なくともそれは翼のものではなく進のものである。
しかし勢いはそれでとどまらない。
「そうやって見下して、人前では人畜無害装って鼻で笑うなんていい度胸してんじゃん」
「どういう意味?」
「そのまんま。やることやってるくせに嘘ついて、なんなの? 馬鹿みたいに恋バナしてた私たちがそんなに滑稽だった?」
「言ってる意味わかんないよ」
「わかれよ!」
怒鳴る。怒鳴られ、さくらも睨み返す。
お互い言っていることやっていることがめちゃくちゃなのだ、収集が着くはずもなく、いやむしろ簡単に手が出ないだけ理性的とも言えた。
とはいえさくらとしては理解のできないことを一方的にまくし立てられているのである、普段は大人しい彼女でも苛立つというもの、ついには目の前にある缶へ手が伸びていた。
開け、飲む。鬱憤ごと飲み干すように缶を逆さまにして嚥下すると、「げぇふ」とおおよそ淑女らしからぬ盛大なゲップをお見舞いする。
「いい飲みっぷりじゃん」
「……翼ちゃんがさせたんでしょ、にがぁい」
舌を出して苦しそうなアピールは年相応、むしろちびちびと舐めるように飲み続けている翼のほうがおかしかった。
一息ついて、いやまだ炭酸が胸に残る苦しさへ眉をひそめながら、さくらは缶を置く。
「嫌がるかなって」
「誰が」
「彼、まうみとか会わせてって言いそうだし」
言いそう、というか確実に言うだろう。逆に言わなければ病気を疑うほど。
だから言わなかった、というのは言葉足らずだ。ならばとさくらは付け足すように話し始める。
「コンプレックスなんだって、背が小さいの。確かに小さいけど別にいいじゃん、隠してるせいで近くにデートも行けないしうちに来たらセックスばっかだし」
溜まっていたものをぼろぼろと吐き出す。赤裸々に綴られた内容は今まで誰にも相談できなかった反動によるものだった。
思春期の男子なんてそんなもの、と言ってしまえば思考停止していることに他ならない。たまには普通のデートもしたいとせがんだ結果が今日であり、結局最後はいつものようになる、その前で翼に見つかったという訳だ。
「このまま上手くいけば今度はちゃんとデートしてくれるかもしれなかったのに、台無しだよぉ」
「そもそも身体目的みたいな男と付き合うんじゃないっての。中学生のくせして生意気」
「……だって、気持ちよかったんだもん」
それは本音だった。
そして、翼の逆鱗に触れていた。
それでも逆上なんてしない。缶ビールを一気にあおると、向かった先は冷蔵庫。巻き戻し再生のように持ってきた缶が計四本、テーブルの上に並んでいた。
「……あてつけ?」
「違うよ……ねぇ、本当にセックスしてないの?」
さくらの、もはや疑いではなく心配の域に達した言葉に翼は静かに愚痴をこぼし始めるのだった。




