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第28話

 翌日のことだった。

「――え、部活出られるの?」

 朝のホームルーム前、いつも通り集まった四人は、開口一番さくらの告げた言葉に驚きを隠せずにいた。

 治ったなどということはない。今も白い包帯が右手にきつく巻かれているし、それを庇うような仕草もある。だと言うのにさくらが問題ないというには理由があった。

「ホルンって使うの左手だよ?」

「……そうだっけ?」

 聞いてなお疑問符を頭上に浮かべる三人、いちいち他人の楽器までよく覚えておけというのは無理なのだが、さくらはもやっとした表情を浮かべていた。

 いやさくらだけではない。全員が含みある顔をしているのだ。

 なぜなら。

「そういうことは早く言いなさいよ!」

「だって、ホルンって右手も使ったりするからお医者さんに見てもらうまで確証持てなかったんだもん」

 心配して損したというように雪緒に、温厚なさくらも気分はよくない。指を使わないだけで楽器を安定させるために負荷がかかることは事実なのだ、ドクターストップをかけられる前にぬか喜びさせる訳にはいかなかった。

 とにかく、怪我という騒動はひとまず着陸をみた。皆が和気藹々(わきあいあい)とするなか、まうみだけが力無い笑みを浮かべていた。




「そっか。そっかぁ……すまん、そこまで気付いてやれなくて」

『仕方ないよ。三年隣にいた私たちも忘れてたんだから』

 ところ変わり、場所は都会から少し離れたベッドタウン、進は自室で机に向かっていた。夜も本格的な時間、パソコンのデスクトップ上には仕事で使う資料の雛形だけが表示されている。進捗はまだまだと言ったところだ。

 同じ会社に十年近くいればそれなりに仕事を任されるわけで、療養の間に滞っていた書類などはようやく先日片付いたばかり、後輩の作った書類の添削など上の立場の仕事は終わりついに自分が作成しなければならない会議の資料と手を出すことが出来ていた。

 そんな折に電話など集中力が足りてないのではとなるものだが、むしろ逆、疲弊した心に水を差すように進のモチベーションは上がっていた。定期的に連絡を取り合うことで次回の休みにきちんと実家へ向かえるよう、自分を追い込んでいたのだ。

 結果は上々、あれ以来精神が鬱の方向に傾くことはなかった。薄氷の上を歩いているとはいえ、今は小康状態を保てていることに感謝していた。

 それはこの後頑張ることとして、今は電話中。相手は言うまでもなく翼であり、練習に励む報告を受けていた。何しろコンテストまで十日とないのだ、完成度を上げるためにできることはまだまだあった。

 ただ部活動一辺倒では息が詰まるというもの、特に――年齢差はあるとしても――付き合いたての二人はまだなんでも楽しい時期、話しは自然と次の土曜日のことになっていた。

『ねぇ、泊まりいける?』

「日曜も部活だろ? 朝早くなるぞ」

『そうだね……』

 急行電車に乗ったとしてもそれなりに時間がかかる。若い身空でそんな苦労する必要はないとは大人の意見か。

 それはそれとしてどうにかしてあげたいという気持ちも進にはあった。そもそも大人と子供での外泊自体が良いとはいえず、なんとか方々が納得できる形に落ち着かせるなんて虫のいい話が――。

「あ」

 あった。

 思いついてしまった。

 いやしかし、と思い止まる。最近気がついたのだ、なんの裏取りもせず、頭に浮かんだ言葉を口にしてもろくな事にはならないと。まずは関係者に連絡をとってから、『どうしたの?』――悠長なことを言っている余裕はないのかと観念していた。

「泊まりなんだけど……ちょっと案があるから確認してからでもいい?」

『ほんと!?』

「まだ大丈夫って決まった訳じゃないから、そんなに期待されても困るよ」

『そう? 期待できないより期待くらいできた方がよくない?』

 翼にとって何気ない言葉だったのだろう、しかし進は頭を叩かれたような感覚に陥っていた。

 なんと子供らしい意見なんだ、大人になれば出来ないというより出来なかったのほうが期待させていた分落差で人を傷つける、ひいては自分の評価を下げるだけだというのが一般的である。処世術といえば聞こえがいいが、自分の限界を勝手に作っただけの諦めともとれるのだ。

 間違っているとも言えないが、鼻から全て同じとはなんとも誠意がない。いつからか楽へ楽へと、水が滝に流れ落ちるように猫も杓子も同じ返答をしていたことへ羞恥を覚えて、進は顔を赤らめていた。





 日は経って土曜のことである。

 今朝も早くから実家へ向かった進が、ここ最近のルーティンと化した夏希の朝食を食べている時のことだった。

「そだ、連絡先教えなさい」

 あまりにも脈絡のない話に進の握るフォークは宙で止まっていた。数秒考えて、

「携帯変えてねえぞ?」

「バカね、ほんとバカ。どうしてこんなバカに育ったのかしら」

 朝から罵倒の連続である。これで堕落せず、大きな問題を起こすことなく大人になったのだからむしろ褒めるべきなのではないだろうか。

 それはさておき真意を聞くべきである。業腹な気持ちを抑えつつ、早朝から気分を下げられながら進何事もなかったように尋ねていた。

「で、誰の?」

「翼ちゃんのおうち」

「……嫌だなぁ」

 語尾にハートが舞っているような言い方に心底恐怖を植え付けられる。約六十の母親の見たくない姿だった。

 なにかものすごくろくでもないことを考えているようで、山姥(やまんば)よろしくとって食ってしまうのではないか「変なこと考えてるな。いい? 相手の父親は心配してるの、何処の馬の骨とも知らない若くもねえおっさんが娘と交際したいなんて、普通にお断り案件だから。そのために私が説明してあげるって言ってんの」――ちゃんと考えてものを言っているようだ。

「俺も大人なんだけど……」

「そういう意味じゃないことくらい分かれ。恋愛は当人同士って時代だけど未だに家の付き合いってのも大事なことだから」

 夏希は誇らしげに胸を張る。

 田舎らしい考え、というより製造責任者が出ていくことで信用を担保しようというのだ。都会に住む進では仮に無体を働いたとしても容易に高飛びできてしまう、その点夏希は土着の人間、変な噂が広まれば村八分とまではいかないまでも住みづらくなることは必至だった。

 いわばケツ持ちである。それならばと、進としても断る理由がなかった。

「ん、了解。後で送っとく」

「早めにね、あんたすぐ忘れるんだから」

 最後まで小言たっぷり、念入りに釘を刺しておかないとまだまだ不安という親心なのだとわかっていても、暑苦しいと感じるのもまた子心というもの。進は投げやりに答えてこれからの英気を養うべく中断していた食事を再開させていた。



 練習を一日サボれば取り返すのに三日はかかるというが、意図せず数週間ぶりに触れたスティックはブランクを忘れさせるほど滑らかに動いていた。そもそも落ちるほどの腕もないと言えばその通りなのだが、心情に比例してか腕の振りも軽い。しかし悲しきかな、今日のところは出番がなかった。コンテスト用の楽曲は四人で行うために選曲された金管四重奏、当然ドラムが入る余地などなく、進は本当に要らない子となっていた。

 それは克樹も同じであるが、律儀に毎週通う彼もまた指揮者の横で腕組みをしていた。それでも耳を立てて指導に備えるあたり、役割があるともいえる。この場で手落ち無沙汰なのは進だけだった。

 以前の彼ならその事実に胸を痛めていただろう。しかし今は違う、突貫工事で補強した精神は一心不乱にトロンボーンを吹き鳴らすガールフレンドの姿を見ることでさみしさを忘れることに成功していた。

「……おっさん、見過ぎ」

「……すみません」

 何事にも限度というものはあるが。


 波乱なく――そうそう波乱などあるはずもないのだが――午前の練習が終わり、昼休憩の時間になっていた。

「おっさん、昼は?」

「外に行くつもりだけど……一緒に来るか?」

 部室を出て駐車場へと向かう進は呼び止められていた。振り返れば手に包みを持った翼が追いかけていて、しかし提案には首を横に振る。

 あら残念、少しはデートらしいことをしたかった進の表情はそう物語っていた。今が一番忙しい時に遊びかまける余裕はないが、それでも恋人らしいことをさせてあげたかったのだ。

 そんな進のことを知ってか知らずか、深呼吸。翼は意を決して、

「――お弁当作ってきたんだけど……一緒にどう?」

「……」

 返答はしばらくなかった。

 突発性の難聴に(さいな)まれたわけではない、感謝と喜びの感情は同居するどころか喧嘩しながら我先にと走り出したせいで喉元に渋滞を起こし、息をすることも忘れていた。

 くらり、と身体が傾く。

 酸欠だった。ホラー映画のジャンプスケアを初めて見た子供よろしく震え、そのまま前のめりに二歩歩く。

「え、ちょ……」

「もー、ほんとかわいいなぁ。心臓に悪いからあんまり不意打ちしてくれるな」

「かわいいとかいうな、もう……」

 言われ慣れていない様子もまた愛らしく、抱きしめる腕にも力がこもる。

 その姿は馬鹿がつくほどの溺愛っぷり、文句を垂れ流す翼の口元もだらしなく緩んでまんざらでもなさそう。歳の差はあれど、相性は悪くないようだ。

 と、それだけなら問題ない。好き合う二人が抱きしめあっているだけなのだから。ただここは神聖なる学び舎、休日とはいえ人目が一切ないなどということもなく、むしろ部室近くの廊下でいちゃついているのだから、その一部始終を目撃されているのも自明の理であった。

「わぁ……」

「なにやってんだか……不潔よ」

「……焼却炉ってまだ使えたっけ。確認しなきゃ」

 廊下の柱の陰より、さくら、雪緒、紀美が縦に並んで出歯亀していた。その後ろで見ている克樹は同級生の醜い嫉妬にあきれ顔を浮かべていた。

 一人輪の外にいたのはまうみだけ。彼女の煮え切らない態度に、雪緒は視線を流すだけで何も言わずにいた。

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